昔語り
城下でのマルクとの別離から数日間、城へは戻りたくない、と、ミリアムは教会に留まり、朝から夕刻まで身体を動かしていたが、とうとう迎えの車に乗ったオスカルがやって来た。
例の騎士との見合いの日が決まり、そのために仕立屋を呼んで長衣を新調せねばならず、伯爵夫人が娘を呼び戻したのだ。
「教会で体調を崩されて、安静にしておられた、と、旦那様、奥方様には申し上げました」
と、オスカル。全くの嘘ではないが、それを理由にした教会での滞在を長引かせることはできなかったという。
「わたしはこのまま、司祭様の元で修道女になるしか道はないのかも知れないわ」
「何をおっしゃっておいでですか、お嬢様」
と、オスカルはミリアムを嗜めたものの、ミリアムの心情を慮り、それ以上は何も言わなかった。
城には伯爵家御用達の仕立屋が来ており、母とマウラが待ち構えていた。
「お帰りなさい、ミリアム。気分はどう?」
夫人はミリアムに聞いたが、ミリアムは唇をほんの少し引くだけの笑みを見せただけで、言葉は返さなかった。
「お帰り、姉さま、オスカル」
「ただいま戻りました」
「姉さまが長衣を新調するなら、わたしも作ってもらおうと思って、ね、母さま」
「見合いをするのは貴女じゃないのよ、マウラ」
「それはそうだけど・・・」
「わたしは要らないわ。既にあるもので済ませます」
「そうは言っても、これはお父さまのご意向なのよ、ミリアム。わたくしは貴女がそう言うだろうとは思っていたのだけれど・・・」
「まだ気分が優れないの。失礼しても構わないかしら。新調しなければならないのなら、母さまとマウラで選んでおいてちょうだい。どんなものでも構わないから」
ミリアムはそう言い於いて、私室へと向かった。夫人、マウラ、オスカルは三者三様、目を合わせてから、やれやれ、と首を振ったり、肩をすぼめて見せたり。
一刻後、部屋に夫人がやって来た。部屋に入るなりミリアムの近くに来て、まじまじと娘の顔を見た。
「大丈夫、とは言い難い顔ね」
目を合わせたのは一瞬で、ミリアムは下を向いた。すぐに夫人から離れ、長椅子に腰掛けた。夫人も横に座る。
「お相手の方のこと、貴女、全く聞いていないでしょう?知りたくないの?」
「興味が湧きませんの」
「貴女の良人となる方ですよ」
「・・・・・・」
「お父様が東国で起こった乱の鎮圧に参戦された際に知己となられたお方で、心根の真っ直ぐなお方だそうよ。文武両道、その上美丈夫。騎士団長をしっかりと支えていらっしゃるとのこと。これまでご結婚の話がなかったことが驚くくらいなのですって」
夫人は続けた。
「実際にお会いしてからでないと細かなことは分からないでしょうけれど、お父様が見込まれた方よ。貴女ときっと良い夫婦になるだろうと。そして、二人でこの地をうまく治めてくれる、と」
「二人で?父さまはわたしに失望したのではなくて?わたしには家督を継がせないとおっしゃったじゃない」
「ミリアム、こちらをご覧なさい」
ミリアムは視線を母に移した。夫人は溜め息をつき、
「貴女が彼の者と出会っていなければ、この縁談は何事もなく進んだのでしょうね。けれど、時は巻き返せないのよ」
「・・・あの方に出会っていなければ、だなんて、そんなこと考えたこともありません」
母の眼を直視できない娘の姿を哀れに思い、夫人はミリアムの手を取った。怒り、悔しさ、もどかしさ、様々な感情がそこに現れている。
「今から話すことは、あなたの胸の内に留めておいて欲しいのだけれど、わたくしね、お父さまに嫁ぐ前、好いた方がいたのよ」
はっ、と、ミリアムが顔を上げた。
「その方はわたくしの幼馴染みで、家柄も何もかも同格の、そして、その方もわたくしへの好意をお隠しにはならなかったの。年頃になれば双方の親が話をして、一緒になれると思っていたのだけれど、見目麗しかったあの方を見初めた令嬢がいらっしゃって、その方のお家はわたくしの家よりも格上だったから、お父上のおっしゃるがままご結婚されたわ」
「そんな・・・、母さまも同じことをご経験されていただなんて」
「そう、だから貴女にも話しておきたかったの」
「どうやって、一体どうやったら、そのお方のことを忘れられたの?」
「忘れてはいないわ。そうする必要もないと思うの。今でもその方はわたくしの初恋の君として、わたくしの思い出の中にいらっしゃる。心の大事な場所にそっと入れておくのよ。それくらいのことは許されると、わたくしは思っているわ。
あとは、その心の場所に鍵をかけて、時が来るのを待つの。わたくしも今の貴女のように塞ぎ込んだけれど、時というものはね、優しいお医師なの。どんな痛みも癒してくれるわ」
ミリアムは母に抱きついた。夫人は娘を慈しむように抱き、髪を撫でてやりながら、
「『人には添うてみよ』と、よく言うけれど、わたくしは貴女達のお父様と結婚して、本当に幸運だったと思っているのよ。仲が良く見えるわたくしたちでも、大変な時があったし、これから先もどんな試練が待っているのかわからない。
とはいっても、貴女達が生まれて来てくれて、立派に育ってくれて、残すは、良き伴侶と共に幸せになって欲しいというのがわたくしの願い。それは、お父様も同じ想いよ」
娘の震える肩をしっかりと抱き留めたまま、夫人はまるで子守歌を歌うように、ミリアムに語りかけたのだった。
その夜、既に寝台に入って天井を見つめていたミリアムの部屋にマウラが入って来た。
「久し振りに一緒に寝よう、姉さま」
と、ミリアムの隣に潜り込んできた。マウラが持ってきた燭台の灯りを消してから、暫く二人で天井を見上げていたが、
「オスカルから聞いたわ。姉さま、ちゃんとけじめをつけたって」
「―そんな立派なものでもないわ。最後にお会いして、お言葉を期待していたのよ」
「石畳の君に何を言って欲しかったの?」
「今となっては、わからないわ・・・。全て戯言よ」
「それで、実際に、君はなにか言ったの?」
「『すまなかった』と、一言だけ・・・。来ては下さらないかも知れない、とも思っていたから、そして、その一言だけでもいただけたから・・・」
暗闇の中で、鼻を啜る音がした。ミリアムは驚いて、隣にいるマウラを見る。
「姉さま、ごめんね、わたし、何もしてあげられなかった・・・。力になれなかった・・・。せっかく姉さまが恋する殿方に出会えて、想いが通じたというのに・・・。本当にごめんなさい・・・」
ミリアムは涙を手で拭うマウラを抱き締め、
「何を言うの。あなたは充分やってくれたじゃない。君との手習や逢瀬を重ねられたのは、あなたのおかげよ、マウラ」
「うん、でも、やっぱり、姉さまには好きな人と添い遂げてもらいたかった。わたしは、家のこととか、領地のこととか、正直よく解ってないけど、それに、親の決めた相手と結婚するのは当たり前のことかも知れないけど、なんだかとてもやるせなくて、納得がいかないの」
今度はミリアムがマウラをよしよし、と慰めながら、ぽつりとつぶやいた。
「マウラは必ず好いた方のところへお嫁に行きなさい。あなたの心が決めた人のところへ・・・」




