記憶の断片
アイルランドの首都であるこの街がロンドンと違うのは、ジョージアン様式(一七世紀初頭から一八世紀初頭)の建物が多いというところだ。煉瓦がそのままむき出しなので、茶系の建物が多い。
当時アイルランドを統治していた英国は、ジョージアン様式の自国の建物を壊し、ビクトリアン調となった。ビクトリア女王統治下は、英国が最も栄華を誇った時代であり、富、権力が建造物にも表現されている。ロンドンにて初めはきれいな建物にワクワクしていたマキであったが、二週間もいると、その派手さや過度な華美さに飽き飽きしてきたのだった。
その点、ダブリンの建物は、一見地味に見えるが飽きがこない。高らかに自己主張しない景観が曇ることの多い空に合う。もちろん、国力の差もあろうが、なぜかマキにはアイルランドの質素な部分がしっくりきた。
聖パトリック大聖堂に足を踏み入れた途端、涙がジワリと込み上げた。一一九一年創設、アイルランド国内最大のゴシック建築の教会である。マキは涙を拭いながら、聖堂内をゆっくりと歩いた。観光客はそう多くはないが、誰もが静かに聖堂内に陳列されている塑像などを見学している。
(へー、ジョナサン・スウィフトが司祭だったことがあったのか。読んだよねぇ、『ガリヴァー旅行記』)
アイルランドが産んだ偉大な作家の一人だ。因みに、ここダブリンに「ライターズ・ミュージアム」という作家たちを記念した博物館があり、マキは観光目的地の一つとしている。
(ああ、なんだろう、落ち着く・・・)
マキは整然と並んでいるベンチに腰掛け、美しいステンドグラスを見上げた。そして、ここに以前来た時は一人ではなかった、という気が沸々と湧いた。
(え?以前にも来たことあるって?それって、もしかして前世の記憶???)
すると、頭の中にある映像がちらちらと現れた。
綺麗な色のドレスに帽子を被った少女が楽しそうに笑っていて、横には長身細身の男性の姿。記憶の断片だろうか、と疑問に思ったと同時に、ドーッ、と涙が溢れてきた。
その上、このように感極まった、自分でもよく解らない感情の起伏が起こった場所というのは、この美しい教会だけではなかったのだ。
トリニティ・カレッジ(ダブリン大学)では、世界で最も美しいとされる千二百年前に手写本された福音書である「ケルズの書」が保管されているが、図書館内のロングルームと呼ばれる部屋で、蔵書の豊富さや内装の素晴らしさに感動したのだが、身体の奥底から込み上げてくる感情で、涙が出るのを抑えられないというのを経験した。
また、市内の中心部にリフィー川が流れているが、川沿いの建物の景観を見た時にも胸をグーッ、と押さえつけられたようになった。通りを歩いてる人々の服装が、長いドレスやドレープのついたシャツ姿にみえる白昼夢まで見た。
ダブリン城では、一二六六年に建てられ、そのままの形を残している「レコード・タワー」を見た時には、既視感を覚えたし、
(やっぱり、あたし一人じゃなかった。いつも誰かといた気がする・・・)
それが誰なのか皆目見当がつかないが、蕗子が言っていた、前世でアイルランドにいたというのは真実なのかも知れない。懐かしさが込み上げて来るのだ。
観光しながら歩き疲れると、カフェに入ったり、街のあらゆるところにある公園で、住民がのんびりとしているのを見ながら一息ついたり、と、憩いの場はたくさんあった。
夕方になるとテンプル・バーに戻り、パブでアイリッシュ料理を食べる。隣に座った観光客や住民からギネスビールをごちそうになり、ビールは飲めないはずのマキであったが、意外に美味しく感じられ、陽気なアイリッシュ音楽の演奏と共に、夜の喧騒を楽しんだ。
街は花で溢れている。テンプル・バー界隈のパブには吊るし籠に入れられ、様々な種類の花が飾られている。一般の住宅もそうだ。出窓には秋に咲くパンジーやスミレ、ピンク色のサフィニアといった素朴な花がたくさん植えられていて、花が大好きなマキにとっては、大いに癒しとなった。
アイルランドの典型的な朝食はというと、目玉焼き、焼いたトマトにソーセージ、カリカリのベーコン、そして忘れてはならないのがベイクド・ビーンズ。焼いてはいない煮豆のことだ。甘辛く味付けしてある。薄切りのトーストにアイリッシュバターをたっぷりつけて、マーマレードも塗る。お共はストレートまたはミルクティー。
(美味しい。たくさん歩くからカロリー消耗するし、食べたいだけ食べよ)
マキはモリモリと食事をし、観光地を周遊した。
ギネスビール工場見学、国立美術館、一番の目抜き通りであるオコーネル通りやグラフトン通り、郵便局とは思えないギリシャ彫刻建築の中央郵便局など、見どころはたくさんあった。
その中央郵便局から、日本にいる麻紀やその他友人、アメリカのクリスティンにハガキを送った。切手はチャールズ・ダーウィンの肖像画だった。英国人のダーウィンが、なぜアイルランドの切手に?とは、思ったものの。
加えて、「Éire」と切手に記載されているが、これがアイルランド語(ケルト語またはゲール語)でアイルランドというのを初めて知った。道路標識やランドマークを示す看板などは必ず英語とアイルランド語で表記されている。
(うん、すごく楽しい。イギリスも楽しかったけど、物価はアイルランドの方が安い気がするし、ここは人が優しいよな。別にイギリスで意地悪されたわけじゃないけども、ツンツンした人がいない)
カフェにて、スコーンにたっぷりとクリーム、ジャムを付けてから一口食べ、ダージリンティーで渇いた喉を潤したマキであった。




