ダブリンへのいざない
イギリスで数週間過ごした後、ロンドン郊外にいる元親戚が紹介してくれた御仁はアイルランドの南に位置するコークという町の西部に住んでおり、ヒースロー空港発のコーク行き航空券を取ったマキであったが、保安検査場を通り過ぎ、ゲートに行こうとすると、パスポート以外に別の書類がいるそうで、その便を逃してしまった。
(こんなことってあり得る~???)
と、悔しいやら悲しいやら。R航空のチケットカウンターに戻り、インド系の女性職員にたった今起こったことを説明したが、逃したのは自分なので、新たにまた航空券を購入しなければならないとのことだった。
悔しさ倍増・・・。しかも、運の悪いことに、本日のコーク行きは先ほど乗るはずだった便で終了とのこと。
「信じられない・・・」
そうつぶやき、忸怩たる思いでしばらく思考していたら、その職員がきれいなイギリス英語で言った。
「あなたはダブリンへ行くべきだと思うわ」
そう言われるとそれしか選択肢はないように思われ、仕方なくダブリン行きの飛行機に乗ったのであった。
ダブリン空港到着後、真っ先にしなければならないことは、宿泊地の確保であった。とっかかりはコークの知人宅に泊まらせてもらう予定だったので、計画は完全に狂ってしまった。ここには知り合いはいない。
空港内のインフォメーション・カウンターへ行き、ホテルを紹介してもらった。名前も聞かず、選んだホテルは一泊の値段と場所の便利さ。とりあえず二泊で予約を入れてもらった。
「ジョージ・フレデリック・ヘンデル・ホテル」
ダブリンのテンプル・バー界隈。フィッシャンブル通りにあるホテルだった。どこにでもある中堅クラスのホテルだ。
どうして音楽家の名前がついているのかな、と思いながらチェックインを済ませ、部屋に行くと、室内は清潔に保たれ、シャワーからはちゃんと熱いお湯が出た。これならここを拠点にダブリン観光ができる、と安心した。
さて、と、先ほどもらったダブリン市内の地図とにらめっこしながら、何をやろうと考えた。と、その前にまずは腹ごしらえだ。
朝食を外で食べようと思ったが、不慣れな土地だ、なんだか面倒くさいな、と、思い、ホテル一階のレストランへ足を向けた。早くも遅くもない時間帯だったが、客は一人しかいなかった。
スクランブルエッグを注文し、紅茶が来るのを待っていると、先客と目があった。一目で日本人とわかり、目礼すると、その四十代と思しき日本人男性が話しかけてきた。周囲に他の客がいないので、話しかけやすかったのだろう、と、麻姫は思った。
「日本の方ですよね?」
「はい、そうです」
「お一人でアイルランドまで?ご旅行ですか?」
「ええ」
「渋いですねぇ。アイルランドを旅行先に選ぶとは」
彼はそういって人懐っこい笑顔を麻姫に向けた。
「あの、もしよかったら、こちらにいらっしゃいませんか?一人で食べるよりも二人の方が楽しいし」
麻姫がそう言うと、じゃ、遠慮なく、と言って、その男性は麻紀の隣のテーブルに移動してきた。二人掛けの小さなテーブルなので、会話も十分にできる。
「僕は出張で来ているんです」
「そうなんですか」
世間話をしていくと、彼は麻姫が現在住んでいる街に転勤でいたことが判明。こんな偶然があるのか、と二人とも驚いていた。
現在は東京に戻っているそうだが、海外出張は年に数回あるとのことだった。
「ご出身は関西ですよね?」
「え?わかりますか?」
「関西弁のアクセントがありますよ」
そういうと彼はまた笑った。
「なかなか抜けないんですよねー。もう長いこと東京暮らしなのに」
「いえ、わたしも友人には九州弁で話してますよ」
それから、関西と九州の話になった。ひとしきり、出身地の話をしてから、
「どうして一人旅の行先をアイルランドにしたんですか?」
と、男性が聞いた。
「本を書きに来たんです。無職になったのもあって、ここらで一度、人生をリセットするのも悪くないかな、と。作家になるのが十代の頃からの夢で、今、書こうと思っている話がアイルランドを舞台にしたいのです。
ケルトの民話や妖精のことがこの国では信じられているでしょう?それで一度も来たことがなかったので、どんな感じか見に来たかったんです。
日本でも神話や妖怪、物の怪といった普通は目に見えないものがまだ結構信じられてますよね。なんか通じるものがこの国にある気がするんですよね」
彼は麻姫の話すことを熱心に聞いてくれていた。
「それともう一つは、傷心旅行ってこともあります」
「あ、すみません。そこは触れない方が良かったかな・・・」
「大丈夫です。かなり吹っ切れてますから」
麻姫はそう言って、ニコリと笑った。気まずい思いをさせたら申し訳ない。
後でメールアドレスを交換したのだが、彼はこう書いてくれていた。
『さきほどは楽しい朝食の時間をありがとうございました。とても印象に残りました。よい旅をなさってよい作品を仕上げられることを願います。お元気で・・・』




