慟哭
朝、城の私室にてミリアムがカトリンに手伝ってもらい長衣を着付けた頃、扉を叩く音がした。その叩き方で誰かすぐに解ったミリアムは、
「お入り、オスカル」
と、扉に話しかけた。扉が開くと、唇を固く一文字に引いた表情のオスカルが立っていた。オスカルがその口を開ける前に、ミリアムは異変に気付き、
「何かあったのね?」
と、オスカルに聞いた。オスカルは部屋に入ろうとはせず、
「旦那様がお呼びです」
と、粛然たる声で言った。二人は黙ったまま、伯爵の執務室へと向かった。
執務室には伯爵の他、パトリックがいて、双方とも厳しい顔をしていた。
ミリアムの胸はオスカルが来てから後、早鐘を打っていたが、総身の血潮がすべて頭に上ってしまったかのような熱を感じた。このまま父の前に真っ直ぐ立っているのは困難のように思えたほど。
「ミリアム。これから儂が聞くことに正直に答えよ」
ミリアムは返答しなかったが、伯爵は続けた。
「そなた、コークに住まう若者と逢引きを重ねておるそうだな?」
「・・・・」
「事実なのか?」
「・・・はい・・・」
ミリアムが小さな声でそう答えると、伯爵は溜め息をついた。
「何故そのような輩にうつつを抜かしておるのだ、全く・・・」
この伯爵の言葉にミリアムは反応し、
「うつつを抜かしてなどございません。わたくしたちは愛し合っているのです。わたくしはその方と添い遂げたいと思っています」
この場にいた丁年者三人が目を見張り、
「愚かなことを申すでない!」
伯爵が大声を上げ、ミリアムはその反動で体をびくんと震撼させた。足が震えて、もう立っていられない。
「何を申す?添い遂げたいじゃと?平民の、しかも貧しき男とか?笑止。お前はこの伯爵家の長子なのを忘れておるのか?」
「家督が大事とおっしゃるなら、マウラに継がせて下さいまし。わたくしはあの方の元へ嫁いで参ります」
「戯け者めが!!」
伯爵はもっと声を荒げ、机から立ち上がってミリアムの元へと勇んで近寄った。
「貴族の生まれの娘が一介の貧しい男と一緒になって暮らしていけると思うておるのか?」
「二人で働いて、協力し合っていきます」
「否!お前は世間を知らぬ。この城で儂等や召使の庇護のもと、ぬくぬくと暮らしてきたお前に世の中が解かろうはずもない。よいか、貧しき者たちはその日の糧にさえ有りつけぬことがあるのだ。毎日、卓に着けば食べ物が運ばれてくるこの城とは勝手が違うのだぞ。そのようなことが聡いお前に解らぬはずがなかろう?」
「やってみないことにはわかりませんし、わたくしはあの方と一緒に居られるならば、どんな苦労も厭わない心積もりです」
「許さぬ!」
伯爵はミリアムの震える肩を掴んだ。
「お前には東国の騎士との縁談を進めておる。彼の者とはすぐに引き合わせる」
「なんですって?」
「儂が知己になった男だ。あちらもお前との婚姻を望んでおる。お前に儂の跡を継がせる訳にはいかん。なんという茶番だ。お前には失望したぞ、ミリアム。その者と会うことは二度と許さぬ。よいな。これは命令だ。己が立場を弁えよ」
ミリアムはきっと唇を結び、掴まれた肩を振り払った。そして、倒れるかのように足をもたつかせながら執務室を出ていった。
そのミリアムをすぐさま追おうとしたオスカルと、側にいるパトリックに向かって、伯爵は申し付けた。
「お前達、姫を城の外には出さぬよう。その男宛ての文も出させてはならぬ。然るべく対処せよ」
「かしこまりました」
オスカルはそう答え、ミリアムの後を追った。伯爵は大きく息をつき、長椅子に座り込んだ。額に手を充て吐き出すように、
「まさかミリアムがこのような不始末をしでかすとは・・・」
「ミリアム様は才知優れた姫様でいらっしゃいます。若さゆえの所業であったと、ご理解される時が必ずや参りましょう」
パトリックは心痛な面持ちのままそう告げた。
「お嬢様!」
ミリアムの私室の扉をオスカルは強く叩いて、何度もミリアムを呼んだ。中から泣き声が聞こえる。
「ミリアムお嬢様!」
返事がないので、オスカルは扉を開けて入ろうとしたが、ミリアムは、
「入って来ないで!」
と、一蹴した。しばらく扉の前で待っていると、騒ぎを聞いて駆けつけてきたマウラがオスカルと目を交わした後、
「姉さま、わたしよ」
と、扉に向かって声をかけた。
「マウラも入って来ないでちょうだい!」
と、ミリアムはまるで駄々をこねる子供のように誰も寄せ付けようとはしなかった。マウラとオスカルは同時に溜め息をつき、
「とりあえずそっとしておこう、オスカル」
「はい」
と、ミリアムの部屋の扉の前から辞していった。




