更なる東へ
東部にいる間、週末に招待していた蕗子が遊びに来た。
東京暮らしが長い彼女は、車を五時間も運転したことがなく、麻姫は心配していたが、快適なドライブだったという。しゃぶしゃぶの材料を頼んで持って来てもらい、ジミー達と一緒にワイワイ言いながら食べた。卓上コンロは麻姫が持参していた。
夜は二人で寝袋+天体観察というお決まりのコース。蕗子は非常に喜んでくれた。
「麻姫ちゃん、元気そうで安心した」
「心配かけてゴメンね」
「大きな変化がドドンと来た後だからね」
蕗子が持って来てくれたヴーヴ・クリコを開け、星の下で飲んでいる。なんとも贅沢な時間だ。
「これからどうするか、決めたの?」
「うん、二か月くらいヨーロッパに行ってくる。知人や友達を訪ねてね」
「それはいいね」
「イギリスに拠点を置いて、それからアイルランドだね、前から行ってみたかったから。そこで小説書いたり、本を読んだり、ま、ここでも同じことやってるんだけどね」
「彼にはあれから連絡してないの?」
「してないよ。向こうからもなし」
「そっか。でも、それでいいと思う。連絡したければしてもいいと思うし、心の赴くまま、だよ」
「蕗ちゃんもだ。ジミーちゃん、クリスティンと同じこと言ってる」
「そうなの?」
「貯金は少ないし、戻ってきて、どうなるかわかんないけど、『やりたいことをやりなさい』って言われた」
「麻姫ちゃんは、お金は大丈夫だよ」
「ホント?」
「うん、もうちょっと時間はかかるかも知れないけど、長い目で見てという意味ね」
「そっか。じゃあ、もう少し、好きなことだけしてみようかな」
「もう少しと言わず、このままずっと、でもいいと思うよ」
蕗子はくすり、と笑って言った。
「了解しました~。じゃあ、あと数日ここにいて、戻ったら、アパート引き払ったりする野暮用を済ませてロンドンに行ってくるね。」
というわけで、マキはロンドン行きの航空券を手配した。
ハート・ソングを出る朝、荷物をスヴェンに積み込んだ後、ジミーへ挨拶に行ったマキを、彼は来た時と同じように優しくハグし、
「私は君を誇りに思っているよ」
と、伝えた。
ジミーの家からそう遠くない場所に『ラビリンス(迷宮)』があると、フランチェスカが教えてくれたので、マキは行ってみることにした。もう何年もここに来ているのに、今回初めて聞いた場所だ。
迷宮はキリスト教の聖堂や教会内で、床に描かれていることが多い。迷路とは違って、通路は交差せず一本道で、振り子状に方向転換する造りとなっている。
起源はローマ帝国時代の紀元前一世紀頃とされ、なぜキリスト教が多用するようになったかは解明されていないものの「エルサレムへの道」として、迷宮を歩きながら啓示を受けるというのが目的ではないかと考えられてもいる。
ゴツゴツとした大きな岩がたくさんある登山口付近にそれはあった。煉瓦とコンクリート製で、ピンクと白色の二色に分けられていた。
老人と犬の先客がいたが、マキは黙って迷宮を二度歩いた。一度目は雑念だらけだった。マークのこと、これからのこと、ヨーロッパへの旅行のこと。
しかし、二度目はその雑念を払うよう努力してみた。歩き終わると、心なしか、スッキリできたような気がした。
老人に小さく笑いかけ、車まで戻ろうとすると、
「実に興味深い」
と、唐突に老人が言った。黒いラブラドール犬が暑いのだろう、舌を出して息をしている。
「なんでしょう?」
マキが聞き返すと、
「私はここへよく来るんですがね、人に会ったのはあなたが初めてですよ」
「え?そうなんですか?」
「迷いは消えましたかの?」
「全部ではないけど、いくらかスッキリはしました」
老人は被っていた麦わら帽子をとって浮かせて見せ、また被り直した。
「良い一日を。お嬢さん」
「ありがとう。おじいさんもね」
マキはそう言って笑顔で挨拶していった。
(このおじいさんに会うため、だったのかも)
ジミーの家を出たマキだったが、フランチェスカから聞いた場所辺りに行ってはみたものの、迷宮を見つけることができなかったのだ。また次に来た時でいいや、と自宅へと向かおうとしていたのだが、道中、ジミー宅に忘れ物をしてきたことに気付いた。
その忘れ物を取りに戻り、どうせまたこちらに来たのだから、と、再度迷宮を探しに行くと、今度は簡単に見つけられた。なんで、さっきは見つけられなかったのだろうと、不思議に思っていたのだが、
(この出会いもきっと、何か意味があるのね)
そして、マキは西へと車を走らせた。
ロンドンへと発つ朝、日本から電子メールが届いた。マークとの別離を知らせていた麻紀からだった。
『麻姫へ、残念やったね。でも、麻姫には絶対にふさわしい人が待っとる。
覚えておいてね。麻姫はあたしの宝物よ』
報告したのは数週間前だったが、十通に一通くらいの割合でしか返事を出さない麻紀にしては上等といえる。麻姫はくすっと笑って、目に溜まった涙を指で拭った。




