東への旅
州東部にある小さな町。マキの住む街から車で五時間はかかる地域へ、彼女は愛車スヴェン(黒のボルボ、ステーションワゴン)を運転してやって来た。
「ハロー、スウィートハート。よく来たね」
父のように慕うジェームズ、マキは「ジミーちゃん」と呼ぶが、ジミーがマキを優しく且つしっかりとハグした。メールである程度のことは知らせており、マキはいつでもここでは大歓迎される。前回は昨夏、マキの妹が日本から遊びに来た時に連れてきた。
ジミーはこの地で広大な土地を購入後、友人らと共に、数棟のロッジを一から自分達で建て、「リトリート」と呼ばれる保養所のようなものを営んでいる。
大々的に宣伝はしていないが、「ハート・ソング(心の唄)」という名で、コミュニティの中心でもあった。
ある程度の規模の町まで行くのに四十五分かかる田舎町だが、空気は澄み、森林と湖に囲まれた美しい場所なので、都会の喧騒から離れ、自分を取り戻したい時や、心の療養、命の洗濯にうってつけの場であった。
マキの前夫の知人であったジミーだが、離婚した後でも毎年マキはジミーに会いに来る。前夫との結婚で苦しかった時も、マキは一人でここを訪れ、ジミーは多大なサポートをしてくれた。
何も言わず、ただ、美味しい手料理を毎日作ってくれ、一緒に畑の野菜の世話をしたり、映画を観たりして、静かに寄り添ってくれたことは、マキにとって何にも勝る癒しの行為だった。
「また甘えに来たよ、ジミーちゃん」
ジミーは、
「好きなだけいなさい」
と、だけ言った。
朝早く起きて、朝食を食べ、本を読んだり、書き物をしたりする。そして、周辺を散歩。その散歩がちょっとした登山となることもある。
昼は前日の残り物を食べ、マキの作る和食を喜ぶジミーや彼の妻、近隣の住人が立ち寄って、食事を食べて行ったりもするので、マキの住む街の日系スーパーから買い込んできた材料を使って手の込んだ料理を作ったり、と、毎日何かと忙しい。
この辺りはまだ残暑が厳しく、日中は気温が三十度くらいまで上がるが、夜はかなり涼しくなる。
空には満天の星。ちりばめられた、ではなく、ドワーッと放り出されたとでもいおうか、それくらいものすごい数の星だ。
マキは寝袋にくるまって、毎夜、外でその星空を眺めた。都会では決して見えない空が、ここでは見られる。
今日はさつまいもとリンゴのバターケーキを焼いて、ジミーの作った鹿肉のシチューを夕食にした後、バニラアイスを添え食後のデザートに充てた。
ジミーが使った鹿肉は、車に轢かれて間もない鹿を拾って来て、ジミー自身が血抜き、内臓除去、皮剥ぎなどの下処理をして冷凍していたものだ。
州より狩猟のライセンスは取得しているが、一年に一頭と規制がある。だが、付近は電灯のない道路なので、事故がよく起きる。このため、こうした場合は許可されているのだ。
「今日は私も天体観測に参加しよう」
ジミーが寝袋を持って来て、マキの側に横たわった。いくつもいくつも流れ星が落ちていく。
「どう、マキ?気分は落ち着いてきた頃合いだろうか?」
「うん、かなり。ここには癒しの魔法があるからね」
星明りでジミーの表情が見える。彼は満足そうに笑った。目尻に深い皺が現れる。
「実はね、ある男の人と出会って、お付き合いしたの。でも、別れることになってしまって」
「マキはその人に未練があるのかい?」
「う~ん、あるといえば、あるし、ないといえばないのかも。別れたかったのは向こうで、あたしは彼の意思をコントロールはできないから、受け入れるしかないかな、と、思って」
「そうか。私はね、君が『この人』と、決めた男性をここへ連れてくるのを楽しみにしているよ。」
「うん」
「妥協してはダメだ」
「うん」
「それから、『できること』ではなく、『したいこと』を、やりなさい」
「はい」
会話はそれで終わった。
この広い宇宙では、マキの抱える悩みはとてもちっぽけなことに思える。一年後の今頃は、きっと、もう悩んでいないだろうという気がした。
そう思えるほど、夜空で瞬く星には些末なことを忘れさせてくれる威力があった。




