憂いのキャンドルディナー
それからの数ヶ月は怒涛の如く過ぎて行った。
マークと別れてからのマキは、失恋の痛手が仕事に支障をきたすようになり、新たな契約更新時に更新はしません、と、雇用主に言われた。事実上のクビである。失恋に失職。泣き面に蜂。
しかし、八年間勤めて、だんだん自分には合わないと感じてきていた仕事であり、日曜になると次の日のことを考えて不眠症となってきてもいたので、そう言われた時、一番初めにきた感情は安堵であったのだ。
それから、もう同じビルで働くマークとバッタリ会うこともなくなるということにも安心感を覚えた。
レストランで会ったあの日から連絡は一切なく、何度か職場付近で後ろ姿を見かけただけで、話す機会は皆無であった。どんなに追って行って声をかけたかったか。身を切られるような思いでその後ろ姿を見過ごした。
(あたしへの想いはその程度だったということよね・・・)
たくさん、たくさん泣いて、もう涙は枯れ尽くした。メソメソしていたら、クビになったので、いつまでも感傷に浸っている暇などなくなったのだ。
人生には「まさか!」と、思うことが何度か起きる。離婚もそうであったが、今、また正にその「まさか!」が起きた後だ。しかも、ダブルパンチ。
「元気だしなよ」
心配そうな顔のクリスティンが自宅に呼んでくれ、ディナーをごちそうしてくれた。高層コンドミニアムの十七階。ベランダに出て、キャンドルの灯りとダウンタウンの喧騒を背景に二人はゆっくりと喋っていた。
「うん。とりあえず、今週末は東部にいるアメリカ人のお父さんのとこへ行ってくる。この不景気じゃあ次の仕事もそうそう決まらないだろうし、なんにせよ、やる気ないし」
「それでいいと思うよ。ゆっくりしてきな。」
「あーあ、それにしても、ツイテないなぁー。なんでこう次々と不運なことが起こるのかしらね・・・」
「ほらまたそうやってネガティブになる!今は前向きになれないかも知んないけど、宇宙はマキの最良の結果のために動いてくれてるんだから」
「そうだといいな~」
「絶対そうだって」
ぐすん、と鼻を鳴らしたマキが白ワインを一口飲む。デザートは旬の黄桃に七分立ての生クリーム。
「運命の人だと思ったんだけどな~」
クリスティンは遠くばかりに目をやるマキを見て、彼女のグラスに白ワインをつぎ足した。
「まだオンライン・デートをやってた時、実際に会ったのは五、六人だったんだけど、その中に三回会った人がいたのね。カナダの人で、性格もよくて、とびきりのイケメンさんではなかったけど、キュートな人」
「うん」
「なかなか良い雰囲気になったから、会う回数が増えて、三度目のデートの時、チャイナタウンのベトナム料理屋で待ち合わせして、あたし、店のドアを開けたの。すぐ近くのテーブルに彼が座っていて、ドアを開けた瞬間、パッと目があったんだけど、『あ、この人じゃない』って解ってしまってね。
ディナーが終わって、さよならする時、彼が、あたしの頬にキスしようとして、あたし、それを拒んじゃったの。彼、とっても悲しそうにしたけど、彼の方も解ったみたいで、すごく申し訳なかった」
「よかった。直感を信じたってことじゃん。条件がいいからってズルズル会い続けても、それはお互いのためによくないよ」
「うん。で、マークのことは、その直感で『この人!』と、思ったんだけどね。なんでうまくいかなかったんだろう・・・。
てかさ、初めは小さな綻びだったんだよね。実は気付いてた。
最初の三ケ月を過ぎると、よくあることじゃない?お互いに慣れて、甘えとかも出て来ちゃう頃。毎日会ったり、連絡したりしてたのが段々少なくなってきて、会話も以前のようには進まなくなっても来てて・・・、意見の食い違いもあったりしてさ」
「そんなの、どの恋人同士にも起きることだよ。まあ、それを乗り越えられたら次の段階に進めるってことだけど」
「うん・・・。あたし達は乗り越えられなかったということよね・・・。それと、仕事のこともなんだけど、しばらく前に人事の人から『契約の更新はされますか?』と、聞かれた時に『はい』と、を答えた時もそう。
『あ、これ、違う』って、その場で思った。自分の意思と違うことをやってしまったっていう自覚があった」
「ほら、だからさ、後になったらまた解るって。これは必要苦だったってさ。ドアを一つ閉めたら、次はもっと大きなドアが開くっていうじゃん。あたしはマキが次にどんなドアを開けるのか楽しみだけどね」
暮れなずむダウンタウンの空に、憂いを含んだ彼女の表情がキャンドルの灯りに照らされて映える。
落ち込むマキを可哀想と思う同情ではなく、どうにかして元気づけたい、彼女には笑顔がとても似合うのだから、と、クリスティンがマキに抱く感情は、家族に対するような愛しさだ。
「なんか他にやりたいことないの?」
「東部への旅行以外にってこと?」
「そう」
「ん~、どっかもっと遠いとこ行きたいかも。日本は父母が心配してるから、なんとなく行けないけど、そうね、ヨーロッパ辺りかな~。でも、先立つものがないとね。貯金は少ない。まさかこんな事態になるとは思ってなかったからさ~」
クリスティンは、ふむ、と、何かを思いついたかのように手を顎に充てた。
「ヨーロッパのどこに?」
「そうねぇ、一ヶ国じゃなくて、友達を訪ねて廻るのもいいかもね。イギリス、イタリア、スペインに友達がいるから。離婚する時に、世界一周なんてこと、そういえば考えて、予防接種まで受けに行ったことあったのよ、話したことあったっけ?」
「そうなんだ。仕事を辞めて?」
「そう。お金も貯めてたし、アパートを引き払って、荷物は倉庫に預けてって算段もしてた」
「じゃ、それ、やれば?いい機会じゃん。その時が来たんだよ」
「ええっ?!でも、この先の生活費を取っておかないとヤバいことにならないかな?」
「その時になって心配すればいいんじゃない?今は何もかも忘れて、好きなことしていいと思うよ」
マキがうーんと、口をへの字にしたり、首を傾げたりしているのを見ながら、クリスティンはこう言った。
「マキ、あんたが迷うと、あたし、いつもなんて言ってる?」
マキは上目遣いに彼女を見て、
「『心の声に従う』」
と、即答した。
「そう、それ。で、自分の心は、今、なんて言ってる?」
「『GO!!!』」
「じゃ、決まりだ。解ってるとは思うけど、いつ如何なる時でも心を軸に。脳は嘘をつくからね」
「はい・・・」




