きらめきの丘
ミリアムは愛馬イーヘに跨り、マルクとの逢瀬の待ち合わせの場へと走った。
父が治める領地内には村がいくつかあり、コークと領地につながる道程半ばにある村で落ち合うことにしたのだ。なぜなら、マルクとの会話の中で、彼がぼそり、とミリアムが生まれ育った地を見てみたいと言ったためで、城から離れたところであれば大丈夫であろうとミリアムは思ったのだった。
「お待たせ致しましたか?」
宿屋で借りた荷馬車に乗るマルクの姿を見つけたミリアムは、マルクに近付いて行き馬首をめぐらせた。マルクは馬車から降りて、下馬するミリアムの手を取った。緑色の長衣の裾捌きも慣れたものだ。
「いや、そんなに待っていない」
「それはようございました。ありがとうございます」
マルクはイーヘを見て、
「これがイーヘか。良い馬だ。触れてもいいか?」
「ええ。気性の穏やかな子ですから、大丈夫です」
マルクが美しい毛並に沿って体をさすってやると、イーヘはぶるぶると鼻を鳴らした。
「貴方をお気に召したようですわ」
「それはよかった」
「では、参りましょうか」
「ああ」
ミリアムはイーヘを荷馬車につなげ、マルクの隣に乗り込んだ。マルクは手綱を引き、馬車を発進させた。初夏の風が頬を撫でていく。ミリアムは大きく息を吸い込み、
「良い季節になりましたわね」
「ああ。春になると冬よりはましになるが、俺はここの天候が好きじゃないな。大陸には常夏の土地なんてのがあるんだろう?そういうところに住みたい。寒さで食い物がなくなるような土地は嫌だ」
「そうですね。けれど、どうなのでしょう。暑いところはその土地特有の住み難さというものが存在するやも知れませんわ。確かにここは気候がよろしくありませんし、問題は多々ありますが、わたくしはエール(Éire)というこの国を好いております」
マルクはちらりと隣のミリアムを一瞥し、にやりと笑った。
「いつかはこの国を出て外国を見に行くんじゃなかったのか?」
「はい、それは叶えば、ですが」
「叶うといいな」
二人は目線を合わせてにこりと笑いあった。
「ここかぁ」
ミリアムとマルクは手を繋いで、見晴らしの良い丘へとやって来た。
「きらめきの丘、ですわ」
目前に広がるのはケルト海、遮るものがないので四方を見渡せる。遠くには監視塔が見え、波が断崖を打つ音と風の音が呼応している。空には雲がゆっくりと流れていた。
「いい景色だ」
「正式な名などございませんが、朝陽が昇るのも夕陽が沈むのも見えますし、陽に照らされた海がきらきらと輝いているでしょう?ですから子供の頃より妹と『きらめきの丘』と呼んでいるのです。タラの丘に因みまして。聖域でもなんでもないのですが」
「ここへはよく来るのか?」
「はい、妹や城の者と来ることが多いですわね。一人で来ることもあります。一番好きな場といっても良いくらいです」
「海が近くにあるというのはいいな」
今日の海は凪いでいる。かもめの鳴き声が聞こえ、風が吹く度に野草が揺れる音もする。
「城の裏手には森もありますし、小さな領土ではありますが、わたくしはよい土地だと思っております」
「そうか」
マルクは用意してきた敷物を敷き、ミリアムを座らせてから、自分も腰を下ろした。
「姫さんが来る前にさっきの村を少し歩いてみた。良さそうな村だったな」
「はい。本当は城下を見ていただきたいのですが、そこではわたくしは目立ってしまいますので、申し訳ありません。小さな町なのです」
「気にしないでくれ。それは理解している」
ミリアムは睫毛を伏せ、小さく笑みを作った。マルクは膝を両腕で抱えて、続けた。
「時折考えるんだ。俺が姫さんとこの領地に越して来れば、もっと頻繁に会えるんじゃないかとか、いや、でもそれをするとやっぱり姫さんの家族に知られてしまうだろうから無理だとか、な。夜眠りにつく前、考えても仕方のないことを考えてしまう・・・」
マルクの薄い金髪の睫毛が物憂げに伏せられるのを見て、ミリアムは彼の手を取った。
「わたくしも・・・、貴方に毎日お会いできたら、と、思っています。自由に外出できない我が身を思うと居たたまれない気持ちになりますの。同じですわね・・・」
マルクはミリアムの手を握り返し、勢い余った様子でミリアムの身体をぎゅっと掻き抱いた。
「すまない・・・。あんたに会えない日が続くと、おかしくなっちまいそうなんだ。どうしようもないことはわかっているつもりだ。だが、それでも、あんたに会いたいという気持ちが抑えられない」
ミリアムは身体を離し、マルクの顔をまじまじと見た。両手で頬を包み込み、親指で眉や睫毛、鼻に触れてから、最後に唇をなぞった。そして、そっとその唇に自分の唇を重ねた。
「貴方を恋しく想う気持ちが止められないのも同じです。ああ、愛しの君、今はただ貴方の腕の中にわたくしを留めておいて下さいまし。貴方の匂い、ぬくもり、この胸の音までわたくしを落ち着かせますから」
ミリアムがそう囁くと、マルクは深く、深く口付けた。
何刻だろうか。陽が傾き、空が茜色に染まり始めた。
いつまでもいつまでも一緒に居たかったが、それは許されない。二人は立ち上がって、言葉を交わさず向き合った。
まだ陽が高いうちには陽光を映すかのように輝いていたが、
(今は何を映してこの方の目はこのような光を宿していらっしゃるのかしら)
と、疑問に思わずにはいられないマルクの青い瞳を見つめていたミリアムの両手をマルクが取った。
マルクの表情は優しい。初めに二人が出会った頃のぶっきらぼうさから比べると、随分と柔らかくなった。恋しき女をじっと見つめ、感嘆するように呟いた。
「綺麗だ」
片手を離して、今日は下ろされているミリアムの長い髪を梳かすように何度か触れた。
「次に会える日を楽しみにしている。その時を心待ちにしているから、文を送ってくれ」
「はい、わたくしもです。機会が出来ましたら必ずお知らせ致します」
長く、甘い口付けが交わされた。しっとりと。
(愛しい。このお方のことがこんなにも・・・)
唇が離れると、マルクの匂いを確かめるように彼の胸へ顔を埋めて此の幸福感に酔いしれ、軽く眩暈を覚えたミリアムであった。




