祭りの夜
ベルティナはケルト人が古代より祝う祭りで、四月三十日から翌日まで行われる年中行事の一つだった。
ケルト暦の節季は大きく分けて、二月のインボルク、五月のベルティナ、八月のルーナサ、十一月のサウィン(ハロウィンの原型)。この他、ユール、インボルク、オスターラ、ベルティナ、ミッドサマー、ルーナサ、サウィン、メイボンは、ケルトの一年を区切る八つの節季で、それぞれ祝祭が行われる。
ベルティナの祭りでは大きな篝火を焚き、家畜や農産物を火の神が守ってくれるという夏の始まりを祝う行事であった。また、夏は妖精や精霊たちが活発となる時季で、人間や動物、植物の守護の他、目には見えないそうした存在を宥める意味も込められていた。
今宵はその祭りの夜。
ミリアムは都で購った薄紅色の衣装を着た。麻製でいつもの服装よりかなりくだけた作りで、町娘のように見える。マウラがクリストルと二人で出かけた際、オスカルと一緒に都見物をしたのだが、ある仕立屋に飾ってあるのを見て魅かれたもので、夜会用に買った長衣を思い起こさせる色だったのもあり、仕立ててもらったのだった。
「こんばんは。ご主人、マルクはもういらしてますか?」
「ああ、姫さん、奥にいるよ」
待ち合わせ場所の宿屋に到着したミリアムは、主に言われた通り奥へと入っていった。
「こんばんは、マルク。お待たせ致しましたか?」
いつもと違う雰囲気のミリアムをマルクは凝視し、しばらく沈黙していた。その視線を逸らしたいような気恥しい気分になったミリアムは、笑顔を向けた。
「い、いや。俺も今、来たところだ」
「そうですか。よかった」
やはりマルクも自分と同じく少々緊張気味のようだった。
「篝火はちょっと歩いた丘であるそうだ。そこに行く前に出店でも見に行くか?」
マルクはそう聞いた。
「はい、そうですわね」
二人は宿屋を後にした。
「妹はどうしたんだ?一緒に来たんだろう?」
「はい。今日は稽古の時のようにはいかないと思いましたので、正直に話しました」
「なんて言ったんだ?」
「お祭りを一緒に見たい方がいるので、今日は何も言わずに行かせて欲しい、と申しました」
「妹は誰かと一緒にいるよな?」
「はい。わたくしの侍女が供として来ておりますので、それは心配ございません」
「俺のことは、その、誰にも言ってなかったんだよな?」
「そうです。これまでは、わたくしが町を一人で散策していたと思っていたはずです」
「そうか・・・」
「妹は口が硬いですし、帰ったら説明は致します。何と言ってくるかはわかりませんが・・・」
「十中八九、そんなことはやめろと言われるだろうな」
ミリアムは胸に手を押さえて、哀しそうな表情になった。
「そうなったら、もう貴方にお会いできなくなるのでしょうか・・・」
胸がずきずきと痛んだ。マルクが何も言わずに歩き始めるとミリアムも続いた。
「なあ、姫さん。今日はせっかくの祭りの日だ。後のことは後で考えることにして、今日は一緒に楽しまないか?」
マルクがそう言うと、ミリアムの顔に満面の笑みが広がり、彼女はしっかりと頷いて見せた。
所々に置かれた松明が路地を明るく照らしている。家々の玄関には黄色い花がたくさん飾られていた。市が立ち、夜店ではあらゆるものが売られている。二人は店を冷やかしながら通りをそぞろ歩き、腹を満たして、蜜酒を飲んだ。
「そこの綺麗なお嬢さん、見ていかないかい?」
女物の装飾品を置いている夜店の主がミリアムに声をかけたので、二人は立ち止まった。普段なら素通りしただろうが、祭りにマルクと来ている高揚感のためか、気が惹かれた。寄ってみると、ミリアムが好む簡素な造りのものが多い。ぱっと目が魅かれたものを手に取ってみた。
「これは鈴蘭ですよね?」
「そう。可愛らしいでしょう?これからの季節に咲く花だよ」
白い貝殻を使って摸された首飾りだった。大きさの違う花が三つに小さな銀製の葉がついていて、細やかな職人技を要する品だ。
「それ、気に入ったのか?」
後ろにいたマルクが聞いた。ミリアムは振り返ったが、返事に困り、何も言わないでいると、
「俺が買おう。手習いの礼だ。旦那、幾らだ?」
と、マルクが言った。
「いえ、そんな。わたくし、自分で購います!」
「男気があるねえ、お兄さん」
「言っただろう?いつもの稽古の礼だ」
今日のミリアムは首に何もつけておらず、ちょうど胸元の開いた服を纏っている。
「お嬢さん、このままつけていくかい?」
ぱぁっと顔を赤らめたミリアムがこくりと頷いたので、マルクは銭を支払った後、主から首飾りを受け取り、ミリアムの首につけた。小さな鈴蘭が白磁色の胸元を彩った。
「うん。よく似合っている」
マルクがそう言ったので、ミリアムは顔を上気させ、高鳴る胸に手を置き、礼を述べた。
「ありがとうございます。とても、とても嬉しいです」
大きな篝火が焚かれている丘に到着すると、そこで人々は歌い、踊り、酔いしれて、夏の到来を盛大に祝っていた。火の近くの喧騒を避け、ミリアムとマルクは少し離れた木の根元に腰掛けることにした。焚き火があちこちで焚かれているので、足元はよく見えた。昼間は花弁を開いている金鳳花が、閉じたままたくさん咲いているのが見えた。
「とても楽しいお祭りですわね。わたくしが毎年見る村でのお祭りも楽しいですが、こちらは規模が違います」
「あんたんとこの領地の村はどんなだ?」
「とてもよい村です。民は優しくて、働き者で、心根が真っ直ぐな者たちです。貴方のお里はいかがですか?」
「そうだな。あまり変わらないかもな。いい奴もいれば、そうでない奴もいるけど」
「いずれはそちらへお戻りになりますの?」
「それは、まだわからないな。まずは妹たちを嫁に出して、母さんの面倒は俺がみるつもりでいるけど、まだ働けるから、お前の好きにしていいとは言ってくれてる。やっぱりここの方が仕事はあるし」
「そうでしょうね」
それから、互いの家族について話した。ミリアムは自分の家族について、父が領主であること以外はマルクにあまり話していなかった。いずれは自分が婿をとって父を継ぐことなぞ、どうしたらマルクに言えよう。
「姫さん、楽しい気分に水を差すかも知れんが、あんたはこれまで俺に充分してくれた。もし、家の人に俺のことが知れたら、手習いはやめてもらっても構わない」
マルクのその言葉に衝撃を受け、ミリアムは彼を見つめた。
「では、もう会えなくなっても、それで構わないと・・・?」
マルクは、はーっと大きく息をついた。
「いや、そんなことはない。ないが、俺は一介の貧しい平民で、あんたは伯爵家のお姫さんだ。やましいことはなくても、今みたいに会ってるのが知れたら、反対されるだろう」
「いけないことをしているとは思いません」
「そうか。じゃあ、なんでこれまで妹に正直に話してなかったんだ?」
「それは・・・」
「どこかに後ろ暗い気持ちがあるからだろう?」
ミリアムは返答に窮して黙り込んだ。鉛を飲み込んだような気分になった。
「俺はあんたに感謝してるんだ。もし、俺のことであんたに迷惑がかかったら俺も困る。だから、やめないといけなくなったら、遠慮なくそうしてくれ」
じっとマルクを見ていたミリアムは、前方の篝火に視線を移した。そして、口を開いた。
「都にいる間、わたくし、貴方のことが頭から離れず、従兄にあちこち連れて行かれて、楽しんではおりましたけれど、どこか上の空というか、妹のようには楽しめないでおりました。貴方のお勤めが終わった後、一生懸命、わたくしが用意しました教本と字引を使いながら、本を読んでいらっしゃる貴方の様子が浮かび、お会いしたい気持ちが募って、もどかしさを感じていました」
マルクはミリアムの横顔を食い入るように見つめている。
「それで、文を書きました。貴方からのお返事をいただいた後は、嬉しくて、天にも昇るような気になり、二通目の文を書きました。読み返して、ああ、これは生まれて初めて書く恋文なのだと思いました。まだ、貴方への想いをお伝えてしていないのに、こんなことを書いてよいのかと、一度は破ろうとしましたが、思い直し、そのまま出したのです」
ミリアムは身体ごとマルクに向き合った。
「一つ、お聞きせねばならないことがあります」
ミリアムの顔が強張った。
「前回のお稽古の際、わたくし、忘れ物を致しまして、貴方とお別れしました後すぐに宿屋へ取りに参りました。お勤めがあるとおっしゃったあなたがとある女性といらしたのを見ました」
マルクは眉間に皺を寄せた。
「その方は身体を貴方に近付けてらして、親しいご様子で、わたくし、とても動揺しましたの」
考えているような面持ちのマルクの顔が、なにか閃いたような表情に変わった。
「貴方もわたくしに同じような気持ちを持って下さっているのかも知れないと思っておりましたが、すべてはわたくしの勘違いで、これまで一喜一憂していたのかと、食事も喉に通らず、熱まで出す始末となりました」
「ま、待ってくれ、それは説明させてくれ。あの人とはなんでもない。あの人は、いわゆる遊び女で、俺が相手をしないんで、いつもああしてからかってくるんだ。俺は女を買ったことは一度もないし、あんたに嘘をつくなんて決してしない」
「・・・・・・」
「そんなところを見せてしまって、すまなかった」
ミリアムは黙ったままじっとマルクの顔を見入っていた。真剣な眼差し。空色の瞳は嘘偽りなど一切浮かべていなかった。そうだ。真摯で誠実な彼の人となりはこれまでで充分わかっていたではないか。何を思い悩むことがあっただろう。
(わたしは愚かでした・・・)
ミリアムは髪に差している銀の簪を抜いた。長い髪がふわりと両肩に落ちた。焚き火の炎がマルクの端正な顔を美しく照らしている。ミリアムは簪をマルクの手に握らせた。マルクがごくり、と、唾を呑みこむ音が聞こえた。
「マルク、わたくしは貴方をお慕いしております」
胸につかえていたものが、口で紡いだその言葉と共にすーっとなくなったような気がした。
マルクは落ちた彼女の髪にゆっくりと手を伸ばし、指に絡めた。そして、髪から今度は頬に触れた。初めて肌に触れられ、その部分が熱を有すのを感じた。
「これの意味をあんた、知ってんのか?」
マルクがミリアムの視界に入るよう、手渡された簪を持ち上げた。
「はい。だから、差し上げました」
ミリアムは恥ずかしくなって俯こうとしたが、マルクは手を顎に持って行き、上を向かせ、それを阻止した。その途端、近くで女のくぐもった声が聞こえた。ミリアムは声のした方を向こうとするが、マルクはまたそれを阻止し、自分から目を離さないようにした。
男女の睦み声だ。おおかた、この二人のように、女が身に着けている物を男に渡して、木の影で睦み合っているのだろう。ベルティナの風物詩だ。持ち物を渡すことが女の意思表示となる。
マルクはただ黙ってミリアムの緑色の瞳に見入った。顔を固定させられているミリアムはどうしようもなく、見つめ合うしかなかったが、マルクの顔が近付いてきたので、自然に目を閉じた。そして、口づけがゆっくりと落とされるのを感じた。
唇が離れると、ミリアムはほうっと息をついた。マルクは大切なものを触るかのように、また彼女の頬に触れた。
「やっぱり、駄目だな・・・。あんたに会わなくなるなんて、そんなのは嫌だ」
マルクはそう言って、今度は長く口づけた。
「俺もだ、姫さん。俺もあんたにどうしようもないくらい惹かれてる」
信じ難いような言葉と口づけをもらい、身体が蕩けてしまったかのように力が入らなくなったミリアムは、倒れ込むようにマルクの胸に身を沈ませた。マルクはそんなミリアムをきつく抱き締め、幾度も髪や額に唇を寄せてきた。
大きく鼻で息を吸うと、マルクの匂いがした。
(ああ、この方の匂いも安心できる匂いだわ・・・。殿方の中で一番好きな、わたしを包み込むような、これが、我が君の匂い・・・)
ミリアムは目を閉じ、マルクの腕の中でその心地良さに浸った。




