ピンクの逢瀬
楽しみにしていた金曜日、麻姫は東京で買ったピンクのワンピースを着て出勤した。その愛らしさは、
「今日はまたえらく可愛い格好してはりますな」
と、大阪府警より出向で来ている上司の一人が言ったほど。
「それ、嫌味じゃないですよね?」
「褒めとるんや」
「ありがとうございまーす」
いつもはゆっくりとりかかる仕事も捗り、昼休みになるまでが早かった。
「わー、麻姫ちゃん、今日もかわいい~」
一緒にランチへ行く蕗子が迎えに来て、朝は会っていなかったので、感嘆の声を上げた。
「ありがと、蕗ちゃん。いつものカフェでいい?」
「うん、もちろん」
「それじゃ、トレヴァー、お昼に行ってくるね」
「いってらっしゃーい」
日本語を話す同僚のトレヴァーが二人に手を振った。
「今日はどこのお店にしたの?」
コーヒーの良い香りが漂う、麻姫達が行きつけにしているイタリアン・カフェ。たくさんのオフィスが入っている高層ビルの一階にあるというのに、そう混むことはなく、テーブルは空いていることが多い。陳列されている軽食類は公営マーケット内の老舗イタリアン・デリから届けられる。そこの一角に腰掛け、麻姫と蕗子は温められたパニーニとコーヒーを注文しておしゃべりに興じていた。
「うちからそう遠くない小さなビストロにしたよ。料理も美味しくてね、雰囲気がいいとこ」
「今度は彼が誘ってきたんでしょう?」
「そう。月曜、うちまで送ってくれて、さよなら言う時にね」
「彼の方も結構ご執心なわけね。麻姫ちゃんもかなり手応えは感じる?」
「うん、脈はあり、だと思う」
「そっか。で、あの女性のことは聞いた?」
サクリとパニーニを一口食べながら、麻姫は首を振った。
「まだ聞いてないんだ。早く聞かないと、タイミングを逃しちゃうよ」
「はい、ちゃんと聞きます」
「まあ、二股かけられるような器用な人には見えなかったけどもね。でも、どんな小さな疑問も、その度々に消化させておかないと。時間が経つと面倒臭いことになりがちだから」
「ごもっともでござりまする」
「けど、よかった。うまくいきそうな感じだね」
蕗子はニッコリと笑って、カフェラテに黒砂糖を入れて飲んだ。ラテアートはシダのような葉模様だったが、スプーンでかき混ぜるので、ただの茶色い泡と化す。
「そうだといいけどね。まだ緊張しまくりで、自分をどれだけ開いて見せられるかなんてのはわからないけど、一緒にいて楽しい人だし、もっと彼のことを知りたいと思う」
最初は一つ一つ、でいいんじゃない?それを積み重ねていったら自ずと答えは出るもんだよ。それにさ、恋愛の初めの過程って、そのもどかしさゆえに楽しかったりするじゃない。怖い感情も、緊張も、スパイスになるのよ」
「そっかー、そういうもんなのか。久しく恋愛してなかったから、そういうのすっかり忘れてたよ」
「あたしも忘れてるといえば忘れてるけどね」
蕗子には本人の言う「くされ縁」の相手が東京にいるのだ。
「蕗ちゃん、なんか甘いもの食べたくない?半分ずつしようか?」
「うん、いいよ。麻姫ちゃんが好きなの選んできて」
麻姫は財布を持ち、カールした髪とワンピースを翻しながら、テーブルを離れた。近くに座っていた男性達の視線が動く。
(麻姫ちゃん、今日もふわっふわね)
席に戻ると満面笑顔の蕗子に、麻姫は聞いた。
「どうしたの?」
「なんにもないよ。ただ、麻姫ちゃん、そのワンピース、すごく似合ってるな、と思ってただけ」
「気合入れてきたからね。ウッス!」
と、井出達にそぐわない振舞いを見せた麻姫であった。
五時過ぎにマークと待ち合わせして、彼の車はそのまま駐車場に置いて、徒歩で店まで行くことにした。
「ハッピー・フライデー」
と、開口一番言ったマキへのマークのリアクションは、
「・・・・・・」
と、無言。だが、目を幾度も瞬いていた。眩しい何かを見入るように。
(ああー、今日も相変わらず、キラッキラのお目々ですこと!)
「行きましょうか?」
「あ、ああ、うん」
「今週は忙しかった?」
歩きながら、マキは聞いた。今日のマークはモスグリーン色のスーツ。夏を思い起こすような陽気なので、ジャケットは手に持っている。
「そんなに忙しくなかったよ。だから、司法試験の勉強をさせてもらった」
「試験を受けるの?」
「うん。来年だけどね。でも準備はしてし過ぎることはないんだ。何度も落ちているし」
「あたしの友達も他の州でだけど、何度か挑戦して、まだ弁護士になれていないわ。それほど難しいのよね?」
「ああ。毎年、二月と七月の二回実施されてて、受験するのは多分、二月にすると思う」
「頑張ってね、応援してるわ」
「ありがとう」
ビストロに着き、開店したばかりなので、客はマキ達だけであった。外はまだ明るいが、奥まった場にあるテーブルが二人に用意されており、手元が少し暗いのでウェイトレスがキャンドルを灯してくれた。
「かわいい店だね」
「でしょう?」
前菜とメイン料理を注文し、飲み物にマキはシャンパン、マークはスパークリング・ウォーターを頼んだ。
「あたしばかり一人で飲んで、なんだか申し訳ないんだけど」
「気にしないでくれ。付き合わないオレの方が申し訳ないよ」
「ホントに、ホントに、どのお酒も美味しいと思わないの?」
「まあ、全ての種類の酒を飲んだというわけでもないけど。ビール、ワイン、ウィスキー、どれもダメだね」
「じゃあ、日本酒なんてとんでもないわよね?」
「サケ?口にしたことないよ」
マークは、「サケ」を「サキ」と、発音した。殆どのアメリカ人が「シイタケ」のことも「シイタキ」と言う。
「訂正してもいい?『サケ』というのが正しいの」
「知らなかった。サケ、だね。覚えておくよ」
「まあ、あたしも決まった種類のしか飲めないけどもね」
「キミは家でもよく飲むの?」
「ミニバーを設けているくらいにはね。数種類のリキュールの瓶があって、週末だけだけど、合うつまみを作って、一人飲みするの」
「家系だって、以前に言ってたよな、そういえば」
「そう。酒豪の家系」
マキは思い出し笑いでもするかのように声を出して笑った。親戚が集まると実に騒がしく、面白おかしい酒盛りとなるのだ。
「ねえ、ということは、あなたってお酒に酔ったことないのよね?」
「ないよ」
「うわー、それも珍しいわよね」
「そう?」
マキは考え込むような表情を見せた。
「もう今は酔うまでは飲まないけど、若い頃は何度お酒のせいで失敗したか・・・」
マキのその言葉を聞いて、マークは眉間に皺を寄せた。
「若い頃って、キミ、いくつ?あ、年齢を聞いても構わなかったらでいいけど」
「三十四よ」
今度はあんぐりと口を開けて、
「ええー!?」
と、大声を出した。
「二十代だと思ってたよ」
「あなたは?」
「オレは三十六。同年代だったんだ。驚いた」
うれし恥ずかし楽しきひと時はあっという間に過ぎ、マークはまた歩いてマキのアパートまで送る、とのこと。
「またごちそうしてもらっちゃって、ありがとう」
ウェイトレスが持ってきたチャージ済みのレシートにサインしながら、
「どういたしまして。素敵な店を選んでくれてよかった。料理も美味しかったしね」
と、マークは言った。
「あら、あなた、左利きなの?」
これまで食事した際、マークは現金で支払っていたので、ペンを持つ手が左だと気付いたのは今日が初めてであった。
「うん。書く時だけ。ハサミとか、スシを食べに行って、箸握るのも右手なんだけどね」
「へえー、面白い」
「今度はスシでも食べに行く?」
サラリとマークが聞いてきたので、ドキンと鳴った胸を抑えつつ、マキはバッグから用意していたあるものを取り出した。
「わぁ!」
と、驚くマーク。
「お寿司にも是非行きたいけど、日曜日、なにか予定ある?」
「ない!あっても、空ける!」
「前に、開幕戦に行きたいって言ったことがあったでしょう?だから、チケットを取ったの。対戦相手は人気チームじゃないけど、野球が好きなら構わないかなと思って」
マークは飛び上がらんばかりに喜び、
「嬉しいな。結局今シーズンが始まって、まだ一試合も行けてなかったんだよ。キミも野球、好きなの?」
「うん、それなりに。一年に一、二回、観戦しに行く程度には」
「そっか。いや、楽しみだ」
そうして、マキのアパートへ向かった二人。道すがら、マキはマークの野球談議に耳を傾けながらも、実は気が気でなかった。
(うちに上がって、と、言うべき?まだ、早い?どーしよーう???)
と、忙しく脳内会議が繰り広げられているうちに、着いてしまった我が家。
(もういいや。自然の流れに任せよう・・・)
「送ってくれてありがとう。食事もごちそうさま」
建物の玄関へと続く階段を上る前にマキはマークに向かい合った。
「どういたしまして。とても楽しかった。こちらこそありがとう」
「じゃ、日曜のことはまた明日にでも話しましょう」
「うん、わかった」
一瞬だったが、間が空き、マークの顔が近付いてきたかと思うと、左の頬にキスが落とされた。今夜はシャンパン一杯しか飲んでいないので、顔の火照りはもう引いていたが、一気に熱が戻ったのを感じた。
「今日もキミに会えてよかった。おやすみ。日曜、楽しみにしてる」
笑顔を返すので精いっぱいのマキは、階段を上って、メイン玄関のドアを開ける前に、階下を見た。マークはまだそこにいて、にこやかに手を振った。
(うぅっ・・・、キャパ・オーバー。上がってなんてとんでもなかった・・・)
マキはカウチになだれ込むようにして寝転んだ。
これにてピンク色に染まったデート、終了。




