逢瀬の約束
ミリアムが都から帰ってきて幾日か経った頃、手習い処にしている宿屋へ到来を知らせる文を送った。そして、一月以上振りの稽古当日、ミリアムは逸る胸をもどかしく感じながら、宿屋に到着した。
「お待たせ致しました」
「ああ、久し振りだな」
マルクはもういて、素っ気なさとぎこちなさが両方残る笑顔でミリアムを迎えた。一度ミリアムを凝視したが、その後は目を逸らした。
「お元気でしたか?マルク」
「まあまあだ。あんたは?都はどうだったんだ?」
「素晴らしい旅でした。伯父伯母、従兄が本当に良くしてくれて、あちこち参りましたし、音楽会も、夜会も、それは貴重な経験となりました」
「そうか、よかったな」
「あの・・・」
「なんだ?」
「いえ・・・、後にします。では、早速ですが、始めましょう」
マルクはこの数週間、一人でも書き取りに励み、読本も数十頁読めるよう練習したといい、その成果を師に見せた。ミリアムはとても喜び、教え子の進捗を称賛した。そして、一緒に本の続きを読み解いていった。
言っていた通りに、理解が難しかったところは納得がいくまで質問をし、彼の読み書きの能力はぐんぐん伸びている。
今日も買い物中のマウラを待たせているので、切りの良いところで止め、一月以上振りの稽古は終了した。
「本当にお一人で随分練習なさったのですね。素晴らしいですわ」
「家に戻っても、することはないしな」
「この分ですと、もっと難解な本をお持ちしてもよいですわね」
「そうか?だといいがな」
「あの、マルク。貴方からの文ですけれど、ありがとうございました」
改めて、ミリアムは言った。そして、こう付け加えた。鼓動が早くなる。
「大変嬉しゅうございました」
マルクは息を呑み、目を瞬いた。そうするとミリアムの目には彼の瞳がより一層きらめいて見える。
「いや、先にくれたのは姫さんの方だろう。もっといろいろ書きたかったんだが、俺はまだ全然だめで、すまなかった。あれでも、本屋の旦那に手伝ってもらって書いたんだ、あんたが連れて行ってくれたあの本屋の旦那だ」
「そうでしたの。本屋のご主人が・・・」
「ああ、便箋選びに、宛所は旦那が書いてくれた」
マルクは照れているのか、矢継ぎ早に話している。そして、
「俺が生まれて初めてもらう手紙が姫さんからで、返事を出すのもあんたでよかった」
と、ミリアムを真っ直ぐに見据え、言った。
すると、ミリアムの白磁の肌が紅色に染まった。きゅうっとなった胸を押さえ、呼吸を深くした。それでも、息をするのが苦しく感じる。
(今、なにかものすごいお言葉をいただいたような・・・)
ミリアムはマルクの顔を直視できなくなり、そうだわ、と、荷物の中から土産にと買った布を取出し、マルクに差し出した。
「これは都で購ったものなのですが、貴方に」
水色の手拭いだ。マルクは驚愕しながらも手に取った。触わり心地がとても良く、色も上品な品だった。
「俺に?」
「ええ。何か普段使うものがよろしいかと思って、散々悩みましたが。下部の刺繍はわたくしが入れました」
都では忙しかったので、帰ってきてから青い糸で『M』と、彼の名の頭文字、それに木の枝と葉を施した。
「あ、ありがとう。大切にする」
マルクがそう言うと、ミリアムは恥ずかしそうに微笑んで見せた。頬はまだ熱を持ったままだ。
「あの、マルク」
「なんだい?」
「もうすぐベルティナ(火の祭り)ですわね」
「そうだな」
「貴方はご家族の元へお帰りになりますか?」
「いや、ここにいる」
マルクが答えると、ミリアムは嬉しそうに、
「わたくしも妹とこちらで祭りに参加するつもりなのです。いつもは領地内で見物するのですが」
「ああ、そうなのか」
「その時、あの、よかったら、お会いできますか?」
へ?という表情を見せたマルクは、それでもすぐに答えた。
「あ、ああ。もちろんだ」
二人は顔を見合わせて笑った。双方顔を赤くして初々しいことこの上ない。
◇◆◇
城へと戻ったミリアムは、カトリンに頼んで晩餐後、湯あみをすることにした。盥の中で湯をカトリンにかけてもらいながら、植物由来の石鹸で髪を洗う。湯あみは大量の湯を沸かすなどの手間がかかるため、カトリンに申し訳なかったが、使うとさっぱりするこの感覚が好きで、どうしても頻繁にしたくなるのだった。
「お嬢様のお肌はこのところ、輝いていらっしゃいますね」
「そう?いつもと変わらないように見えるわ」
「ご自分でおわかりになりませんか?お髪も艶が増えましたよ」
カトリンは背中を流しながら、麻布でミリアムの身体を磨いた。
「わたしの髪はマウラのように真っ直ぐでないから気付かなかったわ」
「陽の下にいらっしゃると、光の輪ができておりますよ」
「まあ、そうなの?明日の朝、鏡で見てみるわ」
カトリンはまた湯をミリアムの肩に流しながら、
「本当にお綺麗。女のわたしが見ても惚れ惚れするようなお肌です」
寝台に入り、ミリアムはカトリンに言われたので、自分の肌に触れてみた。滑らかさは以前と変わらない気がするが、どうなのだろう。
(でも、そう言われてみれば、確かにすべすべ感が増したような・・・)
そんなことより、今日という日を待ち焦がれ、会いたくてたまらなかった彼の君の様々な表情を思い返してみた。
嬉しそうで、照れてもいて、まだ時折ぶっきらぼうで、マウラとのいつもの待ち合わせ場まで送ってくれた際も、名残惜しそうにしていた君。
都へ行き、刻と距離を隔てたこと、並びにクリストルに打ち明けたことで、彼の君に対するこの気持ちは自分の中で確かなものとなった。その姿を想うだけで胸が高鳴り、こうして考えるだけで、手足の爪先がじんとするような幸せを感じる。
(わたしは、恋に落ちたのだわ・・・)
そして、交わした逢瀬の約束。
今宵は眠れそうになかった。
ため息をついて、寝具に顔を埋めたうら若き乙女が一人、ここにいる。




