里帰り
うーむ、と唸りながら、麻姫はパソコンの前で腕を組んでいた。
実家のある福岡に帰ってきて一週間。ゴールデンウィーク中なので、佐賀は有田の陶器市、柳川の川下り、と、日帰り旅行に行ったり、大学のクラス会に出たり、妹、母、叔母たちとランチや買い物に行ったり、と、忙しくしていた。
(さて、どう書くべきか・・・)
パソコンの前に置かれているのは石畳の君ことマークの名刺だ。これから彼にメールを送るのだが、文面を考えて悩んでいるところだった。
『マークへ
元気?日本へ帰ってきて、十日ほどが経ちました。
毎日、遊び呆けています。
食べるものは何でも美味しく、買い物もたくさんし、
楽し過ぎて、そちらに戻りたくないほどです』
(あ、これだと嘘になるな・・・)
一年に一度の里帰りだ。和食や日本の服・雑貨などにいつも飢えている状態なので、毎年それは楽しみにしているのだが、今年の帰省はこれまでと少し違った。
西海岸は今何時だ、朝か、彼は仕事へ行く支度をしているだろうか、昼になった、またサラダをランチに食べているのだろうか、と、気付いたらマークのことを考えている。
『こちらは楽しいですが、あなたに早く会いたいです』
麻姫はそう文面を打ち、
(無理無理無理―!)
と、すぐに削除した。
『日曜にそちらへ戻ります。
戻ったら、またランチかディナーにでも行きましょう。
マキ』
と、最後の一文を打ってから、送信するのに幾分勇気が要ったが、ええい、ままよ!と、送信ボタンをクリックした。
(あとは野となれ、山となれ)
日中は半袖でよいほどの陽気だが、夜になると涼しい風が窓の外から入ってきて心地良かった。母親が買ってきた菖蒲を湯船に浮かべたので、ほのかに自分の肌から菖蒲の香りがする。麻姫は窓の外を見て、夜の静寂に耳を傾けた。彼はいつこのメールを読むだろうか、と、考えながら、食事した際の彼のスーツ姿を思い浮かべた。
次の日、朝起きて、ドキドキしながらメールソフトを立ち上げると、受信メール欄にマークの名前があった。
『マキ
メールありがとう。
日本の滞在を楽しんでいるようで何より。
月曜、またあのバーで待ち合わせしないかい?
都合がよければ五時半に君を待つ。
マーク』
麻姫が寝ている部屋から奇声が聞こえ、普通はアラームが鳴っても起きない妹が何事か、と目を覚ました。
アメリカへと戻る前日、麻姫は入院中の祖母を訪ねた。
くも膜下出血で倒れてから、十年以上入院生活を送っているが、一度は意識が戻らず植物人間状態になった。しかし、数か月後には入浴やリハビリができるまで回復していた。麻姫の母の妹である叔母二人が、この十数年間毎日見舞いに行っているし、麻姫の母はフルタイムで働いているので週末だけ、孫たちもよく足を運んでいた。
一番の回復の起因となったのは麻姫の結婚式で、孫の中で唯一出席できた結婚式が麻姫と前夫が地元で挙げた式だったのだ。その頃は一時帰宅もでき、食べることが大好きな祖母は、病院の外で食べる食事を大いに楽しんだ。
「ばあちゃん、また来たよ」
麻姫が病室に入ると、テレビを観ていた祖母乃梨子がすぐに気付いて、
「麻姫ちゃん、来たとね」
と、イヤホンを耳からとった。
「明日、アメリカに戻るけね」
「もう戻るとね?今回はどれくらいおったと?」
「二週間よ」
乃梨子はベッド横の棚を指差し、
「引き出しに小銭入れが入っとろ。ジュースば買うてき」
「わかった」
麻姫は乃梨子が好きな炭酸飲料と自分にはお茶を自動販売機で買ってから戻った。
「アメリカに戻ってから、また頑張らなね」
「そやね」
乃梨子は親指を立ててみせた。
「これたい、麻姫ちゃん」
麻姫は眉を顰めて、
「なん?」
「男よ、男。ええとばみつけんしゃい(良い人をみつけなさい)」
麻姫は祖母の姿にケラケラと笑った。そして、自分も親指を立てて見せ、
「わかっとーよ。イェーイ」
十年ほど前のこと。前夫との結婚が決まり、報告のため祖母に会いに来た麻姫は、乃梨子に、
「アメリカで付き合いよった人がおったやん?」
と、言ったのだが、乃梨子はすかさず、
「結婚するとね?」
と、聞いてきた。麻姫がうん、と頷くと、乃梨子は哀しそうな、それでいて慈愛に満ちた表情となり、こう言ったのだった。
「あんたも苦労するとやねぇ・・・」
乃梨子自身が結婚で苦労し、夫敏正とは五十代前半で死別、そして、麻姫の結婚自体も辛いことが多かったのだ。その時、麻姫はこう乃梨子に聞いた。
「じゃあさ、結婚はせんほうがいいんかね?」
乃梨子はただ笑って、首を横に振り、
「いんや、そういう訳やないよ」
と、否定した。
「また来年、帰って来るけ、元気にしとってね」
「うん」
「敏正さんがお迎えに来たり、ヤバいと思ったら、ちゃんと知らせてよ」
「麻姫ちゃんはアメリカにおるとに、どげんして知らせるとね?」
乃梨子は呵々と笑った。
(今度はね、ばあちゃん、帰って来る時一人じゃないかも)
乃梨子が言った通り、また苦労するのかも知れない。性懲りもなく、同じ轍を踏むことになるのかも知れない。が、それでも、やっぱり試してみたい。あの人と。
(きれいな目をしたあの人を、ばあちゃんに会わせるね)
こうして麻姫は、里帰りを充分に満喫し、アメリカへと戻った。




