想い人
「紳士淑女の皆様。今宵はお越し頂き、我が伯爵家一同並びに我が従姉妹の姫共々感謝しております。身内とごく親しい友人だけを招待しての格式張らない場でございます。とくとお楽しみあれ」
クリストルの挨拶と共に、音楽家達が演奏を始めた。伯爵家の大広間には百人程の招待客が思い思いの華やかな井出達でおり、談笑している。ミリアム・マウラの側には既に殿方達が陣を作っていた。
「おお、ミリアム姫、今宵はまた一段と麗しきお姿。貴女のお美しさは我が国髄一、いえ、欧州髄一といっても過言ではありませぬ」
「そ、それはどうも・・・」
過度な賛辞に礼儀上対応しながらも迷惑に思っているミリアムは、仕立屋で購った薄紅色の長衣、髪は高く結い上げて、花がほころんだような意匠の真珠の髪留め、首飾りに耳飾りも真珠で統一されている。絹製の長手袋は生成色。侯爵家子息デュナルの唾がかかってきそうなのを扇で覆い、なんとか避けようとしている。
「姉さま、早速ですわね」
と、同じく扇で顔を隠し、小声でミリアムに話しかけたマウラは、唐模様が全体に施され異国風である黄金色の長衣、ミリアムと同じく髪は高く結ってあり、装飾品はすべて金製。絢爛豪華だ。因みに姉妹は貴族間で流行している鬘を被ることは滅多になく、洗髪をこまめにし、虱対策している。
「わたし、早々と部屋に戻るかも知れないわ・・・」
ミリアムはため息をついた。
「ミリアム嬢、わたくしと一曲踊っていただけますか?」
捲くし立てているデュナルの横から、すっと手を出したクリストルの学友の一人エイモンが、素早くミリアムの手を取った。
「おい!姫の最初のお相手はこの俺が・・・」
「君がうだうだ話しているからだよ。あしからず」
エイモンに誘われ、二人は広間の中央に出て、音楽に合わせて踊り始めた。
「あの場から連れ出して下さってありがとう、エイモン」
エイモンはにこやかに微笑み、
「いえ。先日からの彼奴のふるまいには眉を顰めておりましたからね」
「本当に助かりましたわ」
「それに、貴女の最初のお相手ができて、わたくしも大変光栄です」
このエイモン氏は、父親がトリニティ・カレッジ(ダブリン大学)にて教授をしている学者の子息とのことだ。
「して、都での滞在はいかがですか?」
「クリストルがよくしてくれるので、姉妹共々大いに楽しんでおりますわ」
「それはようございました。クリストルに聞きましたが、貴女は本を読まれるのがお好きだとか。我が校の図書館にはまだ行かれておりませんか?」
「いえ。従兄が大学を案内してくれるとは言っておりましたが、まだ行ってはいないのです」
「それでは、わたくしがご案内致しましょうか?本を借りることはできないと思いますが、館内の見学はできますでしょう。もし、ご興味がおありならば、父にもご紹介したい」
「お父上は何をご教導されておいでなのでしょう?」
「哲学です」
「では、貴方様も哲学を勉強なさっておられるのですか?」
「はい」
「いずれはお父上と同じ道に?」
「選択肢の一つとしてはそうですが、わたくしは学者には向いていない気が致しましてね。他国との貿易に興味がありますので、商人になるやも知れません」
「そうなのですね」
エイモンがミリアムを一回転させた。優雅な手捌きだった。
「我が校の図書館は建築物としても素晴らしいし、『ケルズの書』が所蔵されていることはご存じですか?ともあれ、貴女のお気に召すと思います。いつでもご案内致しますよ」
ミリアムは彼の肩に手を置いて、微笑んで見せた。
会で給仕をしながら注視していたオスカルに手引きしてもらい、ミリアムは外の空気を吸いに出た。
「お嬢様、お飲み物をお持ちしました」
硝子の盃に入った葡萄酒と水をオスカルが持ってきた。
「水だけでいいわ。ありがとう、オスカル」
「次から次にと、大変でございましたね」
ひっきりなしに舞踏の相手を申し込まれ、絶えず踊らされる羽目となり、オスカルに助け出してもらったのだった。マウラも同じ状態だが、楽しんでいるようである。
「わたくしは中で、どなたもいらっしゃらないように見ております」
「ありがとう。お願いね」
ミリアムは水を口にし、夜空を見上げた。十六夜の月が中庭を美しく照らしている。
何人もの殿方と踊り、それぞれの持つ体臭に不快感を覚えていた。噎せ返るような、思わず口と鼻に布をあてがいたくなるような若い男の臭い。
(あの方はそんな臭いはしないのに・・・)
いつも卓の向こう側にいて、本を読み解こうとしている姿が心に浮かび、その人物を想って大きくため息をついたところ、
「なにを考えているんだい?」
と、声がした。きらびやかな衣装のクリストルだった。
「会の主賓がこんなところに引っ込んでいちゃ駄目じゃないか」
と、ミリアムの側に来て、彼女の頬に口付けした。
「ずっと貴方のご学友のお相手をしていたのよ」
「みたいだね。いや、今宵の君は本当に素敵だよ、ミリアム。その長衣、とても似合っている。男子たるもの、こんなに美しい女人を前にして、何もしないなんてありえないからね」
ミリアムはまた息をついた。
「心ここにあらず、といった感じだね」
「あら、そう見える?楽しんでおりますわよ」
クリストルはじっと従妹の目を見入った。
「当ててみせようか?君の心を支配している方がいる。そうじゃないかい?」
目を見開いたミリアムにクリストルは聞いた。
「お相手は誰?」
「・・・・・・」
いらえなき問いに、今度はミリアムの顔を覗き込むようにしてクリストルは続ける。
「僕は口が堅いよ。話してごらん」
ミリアムは視線を中庭に移してから、ぽつりぽつりと語り始めた。
「コークでお会いした殿方なのです。町へ出る度に偶然会って、初めは無礼な方だと思っていたのだけれど・・・。仔細あって、今、その方に読み書きの指南をやっているの」
クリストルは一度自分を見たミリアムに目で続けるよう促した。
「読み書きの手習いはこれまでしたことなくて、この先ずっと文盲のままだと思っていたのですって。だから、とても懸命に学ぼうと努めていらっしゃるの。わたし、お教えするのに大きな喜びを感じていて、それから、お会いする度に、その方への気持ちが高まっていって、こうしていても、その方のことを想わない日はないくらい。都へ来ることをとても楽しみにはしていたけれど、本当は今すぐにでも帰って、あの方にお会いしたい」
その人物を思い描いて、ミリアムの顔は火照っているかのように熱くなった。
「君の好意をその方には伝えたの?」
「いいえ、まだ。そうすべきかどうかもわからない・・・」
「君が誰かに恋していることは、僕はすぐに解ったけれど、これまた君は、難しい恋をしようとしているんだね」
「難しい恋・・・」
「うん、そうだよ。難儀になるのは想像に難くない」
ミリアムは返答に窮した。
「さりとて、前に進むかどうか、決めるのはいつでも君だ。君以外の誰でもない。その方とどうなりたいのか、なりたくないのか。そして、これだけは覚えておいて、僕の大切な従妹よ。君の心は答えを既に知っているよ。だから、心の声に耳を傾けて」
クリストルはミリアムを抱き締め、頬に口付けを落とした。
「君の行く道が迷いなきものであることを心から祈るよ。相談したいことがあったら、いつでも僕に文を送って」
「ありがとう、クリストル。やっぱり、貴方に会いに来てよかったわ」
「もう一度繰り返す。心の声に従うんだよ、いいね?頭は嘘をつくものだから。己が選ぶ道を誇れるように」
クリストルはそう言って、もう一度従妹をぎゅっと抱き締めた。
「それと、最後の一曲は僕と踊ってよね」
「あら、それはきっとマウラが貴方としたいのではないかしら?」
「あ、そうか、そうだね」
「では、わたしはその前の曲を貴方とご一緒するわ、麗しの若君」
「わかったよ、僕の美しい姫君」
二人はくすくすと笑いあった。春の匂いが濃く漂うよい月夜であった。
貴公子クリストァー(Kristor)の日本語表記を「クリストル」に代えました。
Mark→ マルク
Oscar→ オスカル
と、しているので、クリス君も合わせないとおかしいことに気付いたのです。失礼しました。




