師と教え子
二度目の手習いの日は、一度目の次週となった。
マウラがまた買い物に出ようと言い、ミリアムは場所を提供してくれた宿屋宛に、日付と来る旨だけを書いた文を送った。あらかじめこのようにして知らせる、と、主、マルクに言っておいたのだ。
そして、この日のために、羊皮紙に文字を全てていねいに書き出した。字引はまだ早いとは思ったものの持参することにした。
「ごきげんよう、マルク」
「ああ、お嬢さん、今日もよろしく頼む」
マルクは既にいたが、以前のぶっきらぼうさが戻ったような表情だ。
「お時間は大丈夫でしたか?」
「都合はつけたので、心配ない」
「それはよかったですわ。では、早速ですが、今日はお稽古の前に一緒に行っていただきたい場所があるのです」
「え?」
ミリアムはそう言って、自分がいつも使う本屋にマルクを連れて行った。
「こんにちは、ご主人」
「やあ、これはレディ・ミリアム。近頃は頻繁においでですな」
「ええ」
本屋の主は、ミリアムが伴って来たマルクを見て、
「お珍しいですな、お連れがいらっしゃるとは」
マルクは帽子を取って、会釈した。本屋に入るのは生まれて初めてだった。一生縁のない場所だと思っていたのだが。ミリアムは小さな子供が読める本を二冊選んで、購った。
「わたくし用の本は、またいずれ近いうちに参りますわね」
「いつもご贔屓に。ありがとうございます、ミリアム様」
主人は愛想よく、そう言って代金を受け取った後、本をミリアムに渡した。
宿屋へと戻る途中、マルクは疑問に思ったことを聞いた。
「お嬢さん」
「はい、何でしょう?」
「あんた、もしかして、貴族の娘さんなのか?」
本屋の主が『レディ・ミリアム』と、言ったのだ。「レディ」は称号で、いくら金持ちでも平民にはつけて呼ばない。
「はい。小さな領土ですが、父は領主で、爵位を賜っておりますわ」
「参ったな・・・。じゃあ、金持ちのお嬢さんじゃなく、本物の姫さんなんだな。そんなあんたに手習いをしてもらうなんて、本当にいいのか?」
「先に申し出たのはわたくしですもの。どうぞ、遠慮なさらないで。」
宿屋に戻り、卓に着くと、ミリアムは持ってきた羊皮紙を広げて見せた。
「こちらは教本のようなものです。お一人でも練習できるよう、書いて参りました」
前回練習した大文字、小文字の他、その文字で始まる言葉がいくつか書いてある。
「あんたが書いてくれたのか」
「はい」
まだ習い始めたばかりではあるが、これがとてもていねいに且つ判りやすく書かれているというのはマルクにも解った。
「そして、こちらが字引です。まだ使いこなせないとは思いますが、お貸ししますので、ご自由に」
厚みのある本だ。
「最初の文字、これはどう発音しましたか?」
「エー」
「はい。そして、この言葉、『アップル』と、読みます」
「林檎か。こういう風に書くんだな」
「書いてみますか?紙を用意してきました。反古紙ですけれど」
ミリアムは紙、インク、ペンをマルクに渡した。
「いや、これでも充分高級な紙だ。ありがとう」
マルクが何度か「林檎」と、書くと、
「次の言葉、何と読むと思いますか?」
「これも、エーから始まるな。ア・・・」
首をかしげて見せたので、ミリアムはこう導いた。
「次の文字は何でしょうか?」
「ビーだ」
「そうです。その音のまま、読んでみて下さい」
「ア、ブ・・・」
「残り三文字は?」
「オー、ユー、ティー」
「これはこの三文字で『アウト』と、読みます。音を繋げてみて」
「ア、ブ・・・、アバ、ウト。アバウト!」
「はい、よくできました」
マルクは嬉しそうに、ミリアムに向けて笑った。
その瞬間、ミリアムの胸が、どきん、と、大きく跳ねた。
「そうか、これがアバウト、なのか」
マルクは意気揚々、紙にその言葉をいくつか書いた。
(このようにお笑いになる方なのね・・・)
ミリアムはマルクに悟られぬよう、胸の鼓動を鎮めるため大きく息を吸い込み、笑顔を返した。
「次々と参りましょう。たくさんの言葉を覚えましたら、今日購いました読本を読み解いて参ります」
師ミリアムと、教え子マルクの読み書き稽古はこのように進捗していった。




