花見の後、名を明かす二人
天気の良い昼休み、麻姫は蕗子と一緒にカフェでランチを食べていた。
高層オフィスビルの一階にある小さなイタリアン・カフェ。この街はアメリカ内でコーヒーのメッカとして知られているが、今や世界的企業となった巨大コーヒー・チェーン店よりも、こうした小さな独立系カフェを二人は好む。店員は感じ良く、コーヒーももちろん美味。少なくとも週一で通っているおしゃべり好きの雀二羽。
「で、例の彼との進展はあったの、麻姫ちゃん?」
麻姫は頭を下げ、上目遣いで蕗子を見た。
「それが・・・」
「ないのねぇ・・・」
「ハイ、すみません・・・。意気地なしとお呼び下され」
蕗子は、あはは、と、笑い、
「彼の方も、未遂に終わってるわけでしょう?」
『腹減った』事件のことは、もちろん、蕗子にも話してあった。
「うん」
「何か、大きなトラウマを抱えているのかも知れないね」
蕗子はそう言って、キッシュにフォークを入れた。
「過去の恋愛でひどく傷ついたとか?」
「うん、それもあるかも知れないけど、もっと根が深いかも・・・」
麻姫は両肘をついて、頬に手を充てた。
「それをいうと、あたしも同じだけどね」
前夫に不倫された経験も蕗子に話してある。離婚した後、如何にそれを乗り越えるのが大変であったかも。
「ま、自然の流れに沿っていったら?」
「わかった。でも、できることがあるなら、って、今は勇気を出して、ランチかコーヒーに誘うってことだけど、頑張るよ。こんなにあちこちで偶然に会うんだから、何かしら縁がある人だと思う。やっぱり、運命の人かも知れないとも思うし・・・」
「そうだね。宿命は変えられないけど、運命はどうにでも変えられるよ、麻姫ちゃん」
「うん、やるだけやってみる。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」
「その意気、その意気!頑張って!」
そう言って、カフェラテを一口飲んだ麻姫に笑いかける蕗子であった。
食事が済み、二人でオフィスへ戻っていると、サラダ・バーの一角に石畳の君を発見した麻姫が、蕗子に言った。
「蕗ちゃん、いる!あそこ!石畳の君が、サラダ食べてる!」
麻姫が目で示した先を見ると、彼は一人で食事していた。その姿を見た蕗子は、
「あ、やっぱりそうだ。麻姫ちゃん、あの人と前世で浅からぬ縁だったね」
「浅からぬ縁というと?」
蕗子は、ニッコリ笑って、麻姫を見た。
「それはご想像にお任せするよ」
ヒッ、と息を呑む麻姫。そのまま歩き去ろうとすると、彼も麻姫たちに気付いて、ニーッと笑い、手を振って見せた。
「楽しみだねぇ~♪」
と、蕗子は言った。複雑そうな顔をした麻姫は、とりあえず笑顔で彼に挨拶した。
「自分の不甲斐なさにガッカリしてる場合じゃあないよね、マジで」
「頑張って、頑張って」
◇◆◇
その機会は、程なくしてやって来た。
ビル内の中二階となっている中庭に植樹してある桜の木が満開となっているのを見て、マキは、今日はここで花見しながらランチしよう、と、コーヒーとペイストリーを買って、外に出ようとした。すると、バッタリ、石畳の君と鉢合わせた。
「ハイ」
「ハイ。あなた、今からサラダ食べるの?」
またサラダ・バーに入ろうとした彼に聞いた。
「うん、そうだよ」
なぜか、後から考えても自分でわからなかったのだが、この時、何かに背中を押されたように、次の言葉が出た。
「あたし、これから外の桜の木の下でこれを食べるんだけど、よかったら、あなたも来ない?」
君は一瞬驚いて目を見開いて見せたが、
「OK。サラダを買って行くよ。待ってて」
と、言った。
(きゃああああああああああ)
と、内心叫びながら、マキは桜の木の下で彼を待った。
桜はまだ若木で、そんなに大きくはないが見事に咲いていた。ピンク色の花びらが風でゆらゆらと揺れている。
「お待たせ」
君はそう言って、持ち帰り容器に入ったサラダと飲み物を置いて、マキの隣に座った。そして、桜花を見て、
「やあ、綺麗だなぁ」
「ソメイヨシノというの」
「桜の種類?」
「そう」
「もう一度、教えて」
「ソ・メ・イ・ヨ・シ・ノ」
「ソ・メ・イ・ヨ・シ・ノ」
「よくできました。百五十年くらい前に、日本の植木職人が接ぎ木で交配させた種なの。通常、桜の木は葉と花が同時につくんだけど、これは花が先に咲いて、その後葉が出るのね。日本では、ホントにどこにでも植えられてて、八割がこの種類だって言われてる。でもね、原木はないから、全ての木がクローンなのよ」
「へぇ、それはすごい」
マキは微笑んで見せた。そんな彼女を見て君は何度か瞬きをし、視線を逸らしてサラダをつつき始めた。
「さすが花について詳しいんだな」
「桜は特にね。日本人にとって大事な花だから」
「どうしてだい?」
「う~ん、そうね」
マキはどう説明しようか、と、しばし考えた。コーヒーを一口飲み、
「千年以上前、とある貴族の公達が読んだ『和歌』があるのね、詩みたいなものなんだけど、
『世の中に
たえて桜のなかりせば
春の心は
のどけからまし』
この世に桜というものがなかったら、春時の心は穏やかでいられるのに、という心情を歌ったものでね、それくらい、日本人は昔から、桜が咲くのをソワソワしながら待っているの」
「そこまで桜が好きってこと?」
「そうね。春が近付くと、桜の開花情報なるものが新聞に載る程なのよ」
「へぇー、そうなんだ」
「開花して一週間くらいしかもたないの。一年も待つのに、パッと咲いてパッと散る。その様を人生と重ねて、桜のようにかく潔くありたいと思うのが、日本人の根底にあるのね、きっと」
「ふーん」
と、君は言って、なにやらにこやかにサラダを食べていた。
「あ、そういえばあなた、花に興味があるわけじゃなかったわね。ごめんなさい、勝手にうんちくを語ってしまって」
「いや、聞いてて楽しかったよ」
と、言って、彼は笑った。
(ああ、また、そのさわやかな笑顔!キラー・スマイル!)
マキはまた内心、叫びたい衝動に駆られた。
それから、天気の話や、彼が好きであるというプロ野球の話、と、他愛のない話題を交わし、彼がサラダを食べ終わったところで、立ち上がった。
「楽しいランチだったよ。誘ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「じゃ、また、すぐにどこかで会うとは思うけど。今日も会えてよかったよ、えっと・・・」
彼がそう言って、次の言葉を口にする前に、一時黙った。そして、
「「あなた/キミの名前、知らない」」
と、二人は同時に、同じ言葉を発した。
笑いも一緒に起こる。
「マークだ。キミは?」
「マキよ」
「マキ」
「そう。お会いできて、光栄だわ、マーク、やっとって感じだけど」
「ははは、そうだな」
そう言って、彼は手を振って見せ、ビル内へと戻っていった。マキは大きくため息をつき、
「やりましたぞ~、麻紀、蕗ちゃん」
と、晴れがましい気持ちを味わいながら、美しく揺れる桜花を仰ぎ見た。
『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』 古今和歌集 在原業平




