春の兆しとクエスチョンマーク
三月に入り寒の戻りがあったものの、春を告げるサインはここかしこに見えてきた。
ヒバリやフィンチ、コマドリが鳴き声を聞かせ、白やピンクのプラムの花が咲き始めている。
マキは重いコートにサヨナラして、新しく買ったオフホワイト色のジャケットだけで通勤することにした。
昼休み、現金を引き出そうと銀行へ向かうと、ATM機にいる人物が目に入った。
(わ、もしかして!)
マキは二つ隣同士に設置してあるATM機の空いている方に立った。そして左にいる男を見た。
その人物は石畳の君で、マキに気付き驚いた表情を見せた。
「キミか。元気?」
「ええ、あなたは?」
「うん、元気。」
「これからお昼?」
「そうだよ」
(言え~!!!!)
心臓バクバク。言葉が出てこない。何も言わずに、現金を引き出す操作を続けた。
「じゃ、また。ボクはこの週末パームスプリングスへ旅行なんだ」
「そうなの。楽しんで来て」
「ありがとう。会えてよかったよ」
と、手を振って、彼は外へ出て行った。マキはヘナヘナと崩れ落ちそうになりながら、
(またダメだった~!!!この~、意気地なし~!!!)
これまで何度も彼をあちこちで見かけていたが、遠くにいたり、誰かと一緒にいたりして、会話をするチャンスがなかったのだ。
今日はようやく話ができたというのにこのザマだったので、ほとほと自分が嫌になったマキであった。
その日の夕方、コンベンション・センターを抜けて坂道を歩きながら、マキは、
(今日の晩ごはん、何にしようかな。冷蔵庫に何があったっけ?)
と、夕食のメニューを考えながら歩いていると、
「どこにでもいるねぇ、キミは」
と、聞き覚えのあるハスキーな男の声が後ろから聞こえた。振り返ると、石畳の君であった。
マキの頭の中は「!」が千個くらい、いや、1万個は浮かんだろうか。
「帰りにこの道で会うのは初めてだね」
「そうね。家はこっち方面なの?」
「いや、家は湖を越えた北東部の街だよ。車をこの先に停めてる」
「そうなのね。旅行に行くって、お昼に言ってたけど、パームスプリングスへは何しに行くの?」
「親戚の寄りあいなんだ。だから、両親や兄と一緒に行く」
マキは前から気になっていた彼の左手をさりげなく見てみたが、何もはめられていなかった。
心の中でガッツポーズ。
「もうかなり暖かいんだって。楽しみだよ」
「あなた、生まれはここなの?」
「うん。両親は南の町にいる。キミは、どこで生まれたの?」
「日本よ」
「やっぱりそうなのか。でも、キミ、英語に全く訛りがないよね」
「ありがとう。もう住んで長いから」
それから横断歩道に達するまで、天気の話、この街の雨が多い天候は年を重ねるごとに耐え難くなってきたことなどを彼が話していた。
信号が赤なので、立ち止まった。すると、彼が、
「腹減ったな」
と、突如言った。
マキは、どうリアクションしていいのか迷い、黙ったままでいた。
「そういや、冷凍庫にピザがあったんだったな。それにするか」
と、彼は独り言のように言ったので、マキはスルーすることにした。
駐車場に着き、それじゃ、と、挨拶して別れた。彼の乗る車は日本車だ。黒のピックアップ・トラック。
彼が車に乗り込む姿を見ながら、マキの頭の中は、今度は「?」で埋め尽くされた。
◇◆◇
「麻紀~!」
「え?あ?麻姫?」
東京にいる麻姫の親友、同じ名の麻紀が起きたばかりなのか、寝ぼけた声のまま電話に出た。
「よかった~、おった~!聞いてよ~!」
二人は十数年前、当地の大学に語学留学生としてやってきた。麻姫は日本の大学卒業後、そして麻紀のほうは短大在学中に留学しにきていた。
出会った当初、麻紀は麻姫のことを、
(なんだ、コイツは?)
と、絶対に友達にはならないと思っていたのだが、楽しさばかりでない留学生活を共にし、数ヶ月だけとはいえ同じアパートにルームメイトとして住み、苦労しながら支え合った仲で、麻紀は麻姫の前夫のこともよく知っていた。
話は数年前に遡る。
離婚した麻姫の元に遊びに来た麻紀は、同じベッドの中で、こう言った。
「麻姫に言わんないかんことがある」
何が飛び出してくるかと思いきや、麻姫は当時まだ付き合っている状態であった前夫との関係を清算して帰国し、麻紀は半年間残って大学に通った。
この間、紆余曲折を得て、麻姫は前夫と結婚することにし、日米で遠距離恋愛をしながら翌年に地元の福岡で結婚式を挙げた。その遠距離恋愛中、前夫が浮気していたのを麻紀は知っていたのだが、言わないことにしたという。
というのは、まだ麻姫がこの街に一緒にいた頃、麻紀にこう言ったことがあったからなのだ。
「いくら付き合っている仲の二人でも、知らんでいいことというのがある」
麻紀は二人が結婚するよう決まって、言うべきか悩みに悩んだという。そして、麻姫は結婚し、この街に戻って来たが、数年の結婚生活の中で、前夫は不倫し、離婚に至った。
「ごめん、麻姫。あたしがあの時麻姫に言っとれば、なんか違ったかも知れん。結婚式の時、アイツには言ったん。浮気についてあたしは黙っとくけど、もう絶対にしたらいかんよって、釘差したんじゃけえど、ホント、ごめん」
麻紀は泣きじゃくりながら謝った。麻姫は心打たれ、妹のようにかわいい麻紀を抱きしめ、
「いいよ、あんたのせいやないよ。どっちみちこうなるようになっとったと思う」
「苦しかった。ずっと麻姫に言いたいで、苦かったー」
「あたしの方こそごめんね。あんたにそんな苦い思いさせて」
と、抱き合い、二人で涙してから、いや、以前から麻姫は麻紀をとても大事な友達とは思っていたが、この時から、
(あたしはこの子の無二の友でいよう。何があったとしても、あたしはこの子の味方でいよう)
と、固く誓ったのであった。
連絡を取り合わなくても、頭の片隅にいつもあり、消えない存在だとお互いが思っている。二人の絆はそれほど深い。
「何があったんよ?」
麻姫は石畳の君と出会ったことを話した。そして、さっき起こったことも。
「あれはもしかして、間接的に誘われたんかねぇ?」
「麻姫になんか言って来て欲しかったんじゃろう」
「いや、でも、もうちょっと解りやすくさぁ~」
「臆病な人なんじゃないん?麻姫だって、自分から誘えんでおるし」
「ハイ、ごもっとも・・・」
「頑張りんさい。麻姫には別に失くすものなんかないよ。ちょっとの恥ずかしさとプライドだけじゃけえ」
麻紀の出身地である広島弁でそう言われると、焦燥感が増すと共に、尻に火が点くような感覚になるのが不思議だ。
「それはそうと、明後日、ホリーのコンサートよ」
「わー、ええなぁ!終わったら、感想聞かせて」
「もちろん」




