城での親子の風景
ミリアムが真剣な顔つきでチェロを弾いている。
曲はバッハ卿の組曲。チェロのみの無伴奏。
傍らの椅子に腰かけているマウラはフルートを手にし、姉の演奏に聴き惚れている。
ピアノの元にいるのは二人の師であるウィリアムズ氏。近隣の村からこの城へと定期的に通ってくる指南役だ。
ここは城内の音楽室。
「ミリアムお嬢様、アルマンド部分はもう少し穏やかに弾きましょう。前奏曲の分散和音との違いをこの部分で表すのです」
ミリアムは黙ったまま頷き、演奏を続ける。
幼少の頃、バイオリンから手習いを始めたが、今ではこのチェロを気に入り、力を入れている。
特にバッハ卿の楽曲はミリアムが好み、得意とするものだ。
マウラはフルート、チェンバロを得意とし、弦楽器はたしなむ程度。重厚なバッハ卿よりは軽快なヴィヴァルディ卿などの楽曲を好む。
二人の性格がよく出ている、と、ウィリアムズ氏は思う。
時はバロック音楽最盛期。ヨーロッパ本土の様々な音楽がこの小さな島国にも伝わってきていた。
一通り演奏が終わると、ミリアムは弦を降ろして、大きな息をついた。
「大変よろしいです。よく練習なさっておいでですね」
「ありがとうございます。先生。この組曲は特にわたくし、好んでおりますの」
ウィリアムズ氏は満足そうににっこりと笑った。
「姉さま、素晴らしかったわ」
「ありがとう。マウラ」
「ヘンデル卿の音楽会まであと少しでしたね。旅のご準備は順調に整っていますか?」
「はい。まあ、マウラはなにかと買い物ばかりしておりますけれど」
と、ミリアムは少々非難めいた視線をマウラに送る。マウラはつん、とすましたまま、
「必要なものだからよろしいんですの。一月留守にするんですから」
氏は苦笑いし、
「ご婦人方はそれなりの準備が必要でしょうからね。しかし、わたしは大変羨ましく思いますよ。ヘンデル卿の新曲披露に行けるとは、とても幸運なことです。バッハ卿と並び、かのような偉大な作曲家はこの時代の誉となりますでしょう」
音楽をこよなく愛す氏はそう言って、顔を綻ばせた。
様々な種類の楽器が発明され、それを職人が一つ一つ手作業で作り、才能ある作曲家によって作られた楽曲を、今度は演奏家が音を紡ぎだして行くという一連の作業が行われて、音楽というものが成立する。その一つが欠ければ、美しい楽曲は成り立たないのだ。
氏はよくこう言う。
「音楽は人間が作り出した産物ですが、そこには叡智が存在します。そして、その叡智は神よりもたらされたものなのです。演奏できる我々はそれを忘れず、尊敬と慈愛を持って、この産物に接し、楽しんで参りましょう」
こうした氏の教育は、演奏技術と共に姉妹へしっかりと伝授されている。
「次は三人で何かご一緒致しましょうか?」
と、氏が言った後、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
ミリアムが答えると、扉が開き、カトリンが顔を出した。
「失礼します。そろそろご指南が終わるのではないかと参りました。ウィリアムズ様、旦那様がお呼びです。ご昼食を準備致しておりますので、召し上がった後にとのことです」
「伯爵様が?いえ、すぐに参ります」
氏はそう言って、チェンバロの椅子から立ち上がり、楽譜を整理した。
「では、お嬢様方、本日はこれまでと致しましょう」
姉妹は「はい」と、返事し、それぞれ礼を述べた。
その夜、晩餐の席において、姉妹の父が葡萄酒を飲みながら、姉妹に問うた。
「して、どうなのだ?都への旅準備は整いつつあるのかね?」
「わたしは、ほぼ終わるところ」
「わたしは、うーん、まだ、かしら・・・」
思った通りの答えが娘たちより返ってきたので、伯爵は笑い声を立て、
「マウラは持って行く長衣を決めかねているといったところか」
「まあ、そんなところ」
「他に入用なものはありますの?」
マウラと同じ色の髪をした伯爵夫人が聞く。マウラは顔も母親に似ている。ミリアムは濃い褐色の髪色も顔も父親似だ。
「母さま、違うのよ。もうとっくに入用な買い物は済んでいるの。マウラはどの服が一番見栄えが良いかまだ決めていないだけなのよ」
「そうなのね」
「伯父様が開いて下さる夜会用のだけね。でもこれは、多分、都で誂えた方がいいと思っているわ」
「それはよいわね。きっと、貴女が気に入るものがあちらの方にはたくさんあるでしょうから」
伯爵夫人はそう言って、品よく笑う。
「お義姉様にわたくしからもお願いしておきましょうか。ミリアムはどうなの?夜会服は新調したのですの?」
「いえ、母さま、一度しか袖を通していないものがあるので、それを着ます」
「まあ、貴女ったら本当にそれでいいの?」
「母さまからもおっしゃって。折角の夜会に、着古したものを着るなんて、この家の恥ではなくて?」
「マウラったら、大袈裟な。貴女はクリストルに会えるのを楽しみにし過ぎて、そこまで熱くなっているのよ」
夫妻が声を立てて笑う。
「どんなお客人を伯父様が呼んでいらっしゃるのかわからないけれど、もしその場に、素敵な殿方がいたらどうするの、姉さま?」
「別に。恥ずかしくない服で、恥ずかしくない振舞いをするわ」
「はははは。そのクリストルはもうロンドンから戻ってきているのだったかね?」
「ええ。つい先日届いた文にそう書かれていたわ。わたしたちが来るまでご学友たちと親交を深めるそうよ。わたしたちに会えるのをとても楽しみにしているのですって」
クリストルからの書状にはミリアムが大抵返事をする。もちろん、マウラが書いて欲しいことも網羅して。マウラが彼に文を書こうとすると、緊張して筆が進まないのだそうだ。
「そうか。彼はそなたの二つ上だったか?このまま彼の国で進学するか、ダブリン大学に戻るのか、どうするのだろうな」
「都に着いたら、大学を案内していただくつもりなの。私は女だから入学はできないけれど、学舎を見学するくらいはよいでしょうって」
「そうか。トリニティには有名な図書館があるしの。そなたの目的はそれであろう?」
「はい、そうなのです。今からもう待てないくらい楽しみです。とにかく色々なお話を伺って、様々なものを見てきます。わたしたちが戻るのを父さまたちも楽しみにしてらして。とても素晴らしい経験となると思うから」
ミリアムは微笑んで、父に応えた。
「さもありなん。良い旅となることは儂が請け合いだ。こちらへ帰ってきたら、そなたらはますます我々の自慢の娘たちとなるだろうな」
伯爵はそう言って、菖蒲の紋章が彫られている銀製の盃に入った葡萄酒を満足そうに口へと運んだ。
「あなた、ミリアムのことはもうお考えなのでしょう?」
夫妻の寝間。使用人が部屋を出てから、夫人が聞いた。
灯りはほぼ落とし、小さいもの一つだけなのでほの暗い。
「そうだな」
「今年でもう一八になりますし」
「ああ。縁談の話はいくつか既に来ているのだ。婿を取ってその者を領主とするか、ミリアムに継がせるかは、相手次第ということになるかの」
「どういった方達からのお話がございますの?」
夫人は寝台に入っている夫を見ながら、聞いた。
「どこも身分・家柄、申し分のないところばかりだ」
「そうですか」
「ただな、儂にちと思うところがあっての」
「と、おっしゃいますと?」
夜着に着替えた夫人が同じ寝台に入った。
「しばらく前に知己となった東国騎士団の副団長を務めておる者がいてな、その者がミリアムに合うのではないかと、いつからか考えておった」
「そうだったのですか」
「うん、まあ、急ぐ話でもない。娘たちが都から帰ってきたら、彼の者に妻帯する気があるか聞いてみよう。奥方を娶ったとは聞き及んでおらんが、あちらにはあちらの事情があるかも知れんしな」




