第20回 善きサマリア人~教師~下
10:35 多賀城市 東田中集会所屋根
状況は、刻一刻と悪化していた。何故かは知らないが、ゾンビたちが集会所を囲むように集まってきていた。その数を数えることはとうに諦めている。児童達も疲れたような表情をしている。
ここに避難してから既に1時間以上が経つ。その間に上空をヘリコプターが6機、航空機が1機通過した。すべてに手を降るなどして救助を求めた。が最初のヘリは遠すぎて気づかない。航空機は遥か上空、別なヘリ1機もこちらに気づいた様子は無かった。別な3機は遠くのイオンの方でぐるぐると飛んでいた。
しかし、もう1機だけは違かった。最後に飛来したそのヘリは、赤いラインに白を基調とした民間ヘリだった。手を降ると、進路をかえて接近してきた。てっきり助けてもらえるのだと思ったら、上空をぐるぐる旋回し始めた。よく見ると扉が空いていたその機体から、カメラを構えている男がはっきりと見えた。しばらく飛行した後に、去っていってしまった。正直腹が立った、撮るものを取ったら助けもせずに新たなる特ダネを狙う記者に。
加藤さんがTwitterにも投稿したが、リツイート数は上がり、コメントも貰っているらしいが、特に助けが来る様子もない。そういえば、某テレビ局を名乗るコメントが来て「ぜひ現状を取材させていただきたいので、お電話させて貰ってもよろしいですか?」と言われた。あんたらに長時間電話する充電分をもっと別なことに回したいので無視する。いや、もしかしたら取材を受けた方が、良いのかとも思う。携帯は香川と小野君に加藤さん、そして俺が持っている。ただ、俺はこんなときに限って充電し忘れていて....。そして、香川は携帯を置いてきたらしい。小野くんはTwitterもやっていないし、友達は全て市内。電話することも考えたが、基地局が制限をかけたのか、繋がらなくなった。
結果、今に至る。あの記者は、然るべき機関にも通報をしなかったのか。
この間に学んだことは「常に呻き声が聞こえる」、それは「精神的恐怖を生む」ということであった。ただでさえ、この訳がわからない状況下で常にあり続ける恐怖。それは、まだ幼い児童にとっては大きな魔物であった。おまけに時々爆発音が響いているのだ。それにピストルの発砲音や、ゾンビに襲われる悲鳴も。
まず、5年女子が失神した。「具合が悪い」と伝えたと思ったら、突然倒れたのだ。
その看病に当たっていた加藤さんも気分が悪いらしい。そして、別な6年女子も。
結果、今まともに立って歩けるのは、俺と香川、小野くん、奥田さんだけであった。
今、やるべきことは逃げることよりも、いかにこの状況に慣れるかだろう。
「先生」と香川が声をかけてきた。
「香川さん、どうした?」
「その...」
と言ったきり黙ってしまった。
「具合が悪くなったのか?」と問うても答えない。「どうしたんだよ?」
「...トイレ、なんですけど....」
「あ...」
問題がひとつ増えた。
~10分後~
さんざん考え抜いた挙げ句「男子一同背を向ける」で、問題は片付いた。男子が小野くんだけで本当に良かった。
俺と小野くんが背を向けている間に、香川と加藤さんがトイレをした。2人とも「小さい方」だから良かった。これが大きい方ならもう打つ手はない。
これが、映画やドラマならそろそろ「巨大なゾンビ」とか「空飛ぶゾンビ」が現れるだろう。もしくは、悪の秘密結社による攻撃かタイミング良く屋根が崩れ落ちるか。しかし、現実はなにも起こらない。囲むゾンビの数が増えてはいるが。いや、そもそも増えてさえいるのかわからない程度の数がいる。
いっそ、正義の味方でも来てほしい。ライダーでも光の戦士でも何でも良い。なんならゴム人間だって構わない。彼らならきっと逃げ道を作ってくれるだろう。そもそも、光の戦士なら「光線」を放つか、巨大な足で踏み潰してくれるはずだから、直ぐ様片付くだろう。
ついでに言うと、こういうとき安っぽい映画なら「男が、か弱い女を暴行する」なんてこともあるのだろうが、俺は絶対に行わないし小野くんもそうだろう。しかし、さっきからゾンビの呻き声がうるさい。
トイレをしたせいか、加藤さんは復活していた。とりあえず、5年女子と6年女子の看病を加藤さんと奥田さんに任せる。香川は、この状況にいろんな意味で諦めたのか、看病の様子を見つつのんびりしている。小野くんは、さっきから俺とひたすら脱出について考えている。
「先生、やはり非武装でこの数は相手にできませんよ。それこそ戦車か戦闘機でもない限り」
「だよな...なんか昔の合戦みたいに、狼煙でもあげるか」
「まず、燃やせるものあるんですか?」
「...そうか」
打つ手は本当に無かった。
「そういえばさ、小野くん」
「なんですか?」
「香川さんのこと好き?」
「...そりゃ、先輩として好きですけど」
「そうじゃなくて、その、恋愛として好き?」
「!!.......」
顔が赤くなっている。やっぱり。
「小野くんは顔に出るんだな、うんうん」
「せ、先生!、こんなときに!?」
「いいじゃん、こんなときだからこそ。それに先生の初恋は小野くんみたいに年上の人だったよ」
「そうなんですか?!」
「うん、小学校5年生の時でね。親戚の大学生のお姉さんだったんだ」
「へぇ~」
「んま、今考えると、そこまで美人でも無いんだけどね。輝いていたな...我が青春の輝かしい思い出だよ」
「で、どうなったんですか?」
「残念ながら結婚しちゃったんだけどね。でもね、先生自慢があってね」
「なんですか?」
「聞きたい???」
「はい!?」
ゾンビの声がうるさい、まったく。
「たしか、友達の家から帰るときに自転車で転んでね。親は共働きだったから、夜遅くまで帰ってな来なくて、しかたなくその親戚の家まで行ったの。近所だったからね。そして、家に着いたらお姉さん1人でね。お姉さんの両親は旅行に行っていたらしくて。そこで消毒してもらったんだけど、ついでにお風呂入らさせてくれたの」
「へぇ~」
「そしてお風呂入っていたら、「一緒に入ろう」って入ってきたの」
「うわっ!」
「あのときはビックリしたな...」
「で、どうでした!?」
「どう、と言われてもね....、初めて母親以外の女の人の身体見たけど、美しかったな。別に胸が大きかったとかじゃなくて、なんつうかな。「大人の女性」だったな。もっとも胸は大きかったぞ」
「僕辺りならもう絶対に鼻血出して倒れそうですね」
「でも、本当に美しかった。本当に...」
そのあと、私は香川に声をかけた。
「香川さん、気分は大丈夫か?」
「私は大丈夫ですが、先生こそ疲れたような顔していますよ」
「俺はまだ元気有り余っている気がするのだけどな」
「あんま無理しないでくださいね」
「女子チームは大丈夫か?」
「さっき、気絶してた子達も少しずつですが回復してきました。さっきなんか「彼氏いますか!?」って言われましたもん」
「で、いんの?」
「何がですか?」
「彼氏」
「は?」
思わず笑いそうになる。
「彼氏だよ彼氏!」
「...いませんけどなにか?」
「加藤はいるらしいぞ」
「小学生の分際で!?」
「まぁ、最近の子は大人染みているからね」
「...はぁ」
「ため息はつくなよ」
その通った鼻筋の上に皺が出来た。目尻にも皺が出来た。
「今度は笑うのか」
「だってもう、羨ましすぎて。あんとき、やっぱ受け止めれば良かったのかな」
「あんとき?」
「先生もご存じのはずですよ、私がバスケしてたときの話ですから」
あぁ、あれか....、やはり。
「....すまんな」
「先生が謝ることではないですよ!、てか先生悪いところ一切ないじゃありません!!」
彼女は、小学生まで学校のバスケクラブに入部していた。そして当時、彼女は恋をしていた。同じクラブの男子に。しかし...
「無理矢理キスしてくるなんて。「俺も好きだ」って、確かに私も好きでしたけど、だからって突然キスって....それに...」
このことは学校でも問題になった。それを偶然見ていた生徒がいたからだ。キスされて、危うくレイプされそうになった香川を。
「友達が助けてくれなかったらどうなっていたか。「俺のことが好きなんだろっ!」て順番があるでしょ!」
しかし、学校としては「児童が児童に乱暴しようとした」ということは表に出したくなかった。おまけに両方の親も表沙汰になることを拒んだ。一方は娘を思って。一方は...
「私立に進学するために問題を明るみに出したくなかったそうです。おまけに文武両道の鏡みたいな男でしたから。それに私の親も表沙汰になったことを考えたら....」
結果、香川の友達が事件を垂れ流すこともなく、平和裏に終わった。
「でも、謝りませんでした彼は。「お互いが愛していたんだから問題ない」と。それに相手の親も「あんたが誘ったんじゃないの?」と言ってきました。学校も「貴女のことを考えて」なんて言っていましたけど、実際は世間体を気にしていたはずですし」
そして、事件は永久に闇へと消えた。ただ1つのの事実を残して。
「私は嫌々されたとはいえ、「キス」はしてしまいました。なんか、それだけでも大切なものを奪われた気がして...」
それから香川はバスケを辞め、水泳に走った。まるでバスケを忘れ去るかのように。
「もともと、泳ぐことは好きでしたからね。楽しいですよ水泳も」
「本当にすまん」
「だから先生が謝ることじゃないです!!それに...」
香川は、俺に顔を寄せた。それこそ、おでこかつきそうになるほど。
「私知ってます、先生が誰よりも私を護ってくれたこと。あのとき職員会議の席で、先生が一番「おかしい」と反対してくれていたそうですね」
そうだった。俺は、あの職員会議、というよりも事態収給を目的とした話し合いに、真っ向から対立意見を出した。俺と同じ意思を持った当時の6年生担当の先生達と共に。その男子児童の担任さえも俺の意見に同調した。
「でも勝てなかったよ、俺は。バスケクラブ顧問の5年の学年主任と、今年度一杯で定年を迎える校長、来年度にはどこぞの学校で校長昇格が確定している教頭には」
当時の6年担当の先生の多くが他校に離任したのも、結局は揉み消しのためだろう。まぁ、配属を指示するのは教育委員会に権利があるから、単なる偶然だろうが、ついそんな気がしてしまう。
「先生、私は嬉しかったんですよ。あの事件のあと突然声をかけてきて「もっとボランティアに行こうな!!」と誘ってくれたとき。きっと何も知らないフリして、誘ってくれたつもりなんでしょうけど、バレバレでしたよ」
「んマジか!」
「だって、私の顔見て、目泳いで、口パクパクして、やっと声かけてくれたと思ったら開口一番「天気いいな!」って。もう...」
そういうと、香川は大爆笑し始めた。
「な、笑うなよ」
「だって、思い出しても、面白いもん」
「いやいやいやいやいや」
「それに、天気いい、って、台風直撃で午前授業で終わった日ですよ」
あー、情けない。そんな俺が情けなく思える。
ふと、腕時計を見るとデジタル表示盤は11:16を表示していた。
「と、とりあえず、早く救助来ないかな!」
俺は話題を変えることにした。ゾンビの呻き声がまた一段とうるさく感じた。
不味くなると突然話を変える性格は今でもなんですね。
でも、本当ですよ。あのとき、いろんな先生が好奇の目を向けるなか、先生だけがあぁやって声をかけてくれたんですから。
あのときからかな、先生を本気で信頼し始めたのは。バスケクラブを行かなくなるようになって実質退部した私は、月3回のボランティアに必ず参加しましたよね。そのたんびにこうやって先生とお話ししてたっけ。卒業しても中学になっても、高校に行っても。そういえば、進路相談にも乗ってくれたな...。
でも、先生。本気で先生を好きになり始めたのは中2からなんですよ。もちろん恋愛感情とかじゃなくて、人として先生をですけどね。だって15年も離れているんですから。
でも、最近は芸能ニュースとか見ていると、年齢なんか無視しても良いのかな、なんて思うようになってきたし...。先生、今こそ伝えようかな。でも....。
そのとき、目の前がボヤけてきた。あれ?何でだろう...。と、突然力が抜けそうになった。あれ?、私疲れていたのかな?それともこの嫌な呻き声が限界になったのかな....?。
とうとう、目の前が暗くなってきた。力が抜けて思わず倒れこむ。背中に太い何かが当たった。首辺りを囲むようにも太い何かが...。「香川!、どうした?!」と暖かい息と共に耳に先生の声がかかる。あぁ、先生の腕か...。
と、突然恐怖が込み上げた。怖い、まだ死にたくない、先生に伝えていないのに....。
深い闇のなかに意識は落ちていった。




