第19回 善きサマリア人~教師~中
08:52 東田中集会所付近
「みんな!外に出ろ!!」
呆然と立ち尽くす小さな背中達に向かって、俺は叫んだ。
その背中のひとつがこちらを振り向いた。
「香川!!早くしろっ!!」
中で何があったのか分からない。ただ、みんなが立ち尽くしているのであるならば、最悪の状況が起きたのだろう。
香川が児童達を引き連れて、こちらに向かってくる。が、途中で立ち止まってしまった。なぜだ?。
後ろを振り替えると、ぞっとする光景...口や首から血を流した人々が、こちらに向かって迫ってきていた。その中の1人...あぁ、さっきの運転手だ...まるで笑ってでもいるかのようなその目は、いったい何を見ているのだろうか。
俺はひたすら走る。ただ、このまま児童達と合流したところで、何がどうなるというのか?。
しかし、少なくても後ろには行けない。後ろからは迫っているのだ。まるで津波のように...。
俺は瞬間、「あの」光景を思い出していた。迫り来る巨大な波。今の学校に赴任する前の学校...女川で見たあの光景。街も希望もすべて飲み込み、無機質に迫りすべてを破壊するあの灰色の壁。高台に間一髪で逃げ延びたが、その囲むように周りに広がり流れ続ける。それは「絶望」でも「恐怖」でもなく、単に「画」でしか無かった。非現実的、映画のように思える光景。ただ「止まってくれ」という願いを無視する自然の摂理。
後ろからやってくる奴等に「願い」は通じるのか?。あんな人食い共にも。津波の如く、迫り来る者達に。そう、津波だ。......そうか!
「みんなっ!!」ようやく追い付いた。
「先生っ!!」6年生の女子が叫ぶ。
「付いてこい!!!」
集会所に向かってひた走る。全力疾走だ。
距離はそんなに無かった。が、集会所の中には絶対に入らない。用があるのは、その隣だ。
集会所入口の目の前にある電柱を通り越して、その側で止まる。そこには、造園業者のものらしき一台の軽トラックが止まっていた。その荷台には、紐で脚立が縛り付けられていた。
ジャンプして荷台に乗り込み、紐をほどいて中折れタイプの脚立を組み立てる。そして、運転席の真上に乗り、脚立の先を平屋の集会所の屋根に乗せる。幅は業務用の大きめな脚立においてさえ、ぎりぎり端と端が届くぐらいであった。
「香川!、紐もって、登って!!」
叫ぶと、香川は素直に荷台に乗って、ほどいた紐を持って運転席の上に上る。
「渡って!!」
香川の良さは、「ぼさっ」としていそうで、神経が実は図太いことだろう。不安定で尚且つ、若干傾いている脚立の上を軽々と立って渡るその姿は、持ち前の運動神経の良さと物怖じしない精神力を見せつける。そして何より、言われる前に先を読む所だ。
集会所の屋根に乗り、集会所側の脚立の「一段目」を紐で結び、しっかりと手で持った事を確認して、児童達に渡るように指示した。奴等はそこまで迫っている。
まずは、5年生の女子を先に行かせた。さすがに香川のように「立って」渡るのではなく、四つん這いになって渡っていった。次に6年女子。
問題なのは、1人が「怖い」と言って渡ろうとしないことだ。彼女は高所恐怖症だった。なんでもない別な6年女子を先に行かせ、次に小野を行かせる。「俺も下に残ります」と男気を見せる姿は、彼が少しずつ大人に近づいている姿なのかと安堵する。それを無理矢理行かせる。
そして、俺は運転席から直接地面に降りた。「奥田さん!!」と、その渡れない女子児童の名前を叫びながら、後ろ手で無理矢理両手を掴み、肩に回した。そのまま胸の辺りで交差させ、両手を結ばさせて「おんぶ」の姿勢をとらせる。後ろからは、奴等の声だろうか、呻きというか唸り声が聞こえる。
後ろを振り返り「目を閉じろ!そして絶対に離すな!」と涙を頬にまで流すその幼さが残る顔に叫ぶ。眼鏡の奥の瞳は涙を流しながらも、はっきりと「分かった」という意思を伝えてきた。そして、彼女はすぐさま目を閉じた。
彼女に叫んだ時に見てしまった。奴等は電柱越えようとしていた。もう時間がない。
「えいっ!!」と喉の奥から声をあげる。鉄特有の金属音を放ちながら荷台に乗り込み、両手を使って運転席に上がる。
と、「バンバン」と鉄...というよりも荷台を叩く音が。見なかった。
四つん這いになって渡る。すぐ目の前なのに、何段もあるように感じる。
そのとき、軽トラックが大きく揺れた。「カン」と軽い音を放った。その瞬間、軽トラック側の脚立の端が外れて一気に下がった。
もちろん、俺にはそのすべてが見えていない。だから、感覚としては「カン」と聞こえた刹那、「ガクン」と目の前の景色が一変した。「死」を覚悟した。
しかし、下がっても落ちることは無かった。もちろん食われることも。1つは、俺がしっかりと握っていたことだろう。それに奥田さんが細身で軽かったこと。あと、脚立を垂直に立てれば、そこそこの段数を上っていたこともある。尚且つ、脚立が大きすぎたお陰で地面についたこともある。
ただ、一番は小野君と香川さんが、ものすごい力一杯な表情で脚立の端をそれぞれ掴み握っていたことにあるだろう。
「先生っ!!早く上ってください!!」
「先生っ、急いで!」
と2人の叫びを耳に染み込ませつつ、残りを一気に上った。
屋根にたどり着いて気づいたことは、先に行っていた2人の女子児童は紐をしっかりと握っていたことだ。ここにいる全員が俺と奥田さんを助けるために全力を尽くしてくれた。そう考えると、胸に込み上げるものがあった。
「先生、ありがとうございました」と震える声で泣きながら呟く奥田さんに、「良かった、本当に助かって良かった」と涙しながら後ろから肩を握る6年女子の姿を見つめる。視線を変えると、やっと恐怖から解放されたことに安心したのか、それとも逆に恐怖が込み上げたのか、それとも親や友達が心配なのか泣きじゃくる5年女子と、なにも言わずに抱き締める香川さんの姿。そして、引き上げた脚立の横に立つ小野君の姿。そうか、と思い俺は小野君に近付いた。
「小野君、さっきはありがとう」と背中に声をかける。
首をこちらに回した顔には、「ちょっと驚いた」の表情がある小野君が「先生...」と呟く。
「先生、かっこ良かったすよ」
「そうか~、なんかイメージ崩れた気がするがな」
「何でですか?」
「理知を売りにしてたのに...」
「はぁ?」と小野君は目を丸くした。
「な、なんだよ」
「先生、理知って...どちらかというと「面白い」イメージしかないですよ」と笑う小野君。って、待て。
「面白いだと!?」
「先生は、良い意味で面白い先生です」
「それは喜んで良いのか?」
「お任せしますよ」
「なんつぅーか、心外だな。ハハハ」と笑うしかなかった。「面白い」か.....。
「でも、先生はテンパると呼び捨てになるんですね」
「え?」
「だって、さっき普通に香川さんのこと「香川!」って呼び捨てにしてましたよ」
「そ、そうだっけか?」
「あとで聞いてみると良いですよ」
「お、おう」
そういえば、脳内においても「香川」はともかく、「小野」と叫んでたような....。
「でも、奥田の時は「さん」付いてましたね」
「たぶん、慣れたんだろうね、この状況に」
「慣れ、ですか...」
「....小野君家族は?」
「父は仕事で仙台、母は七ヶ浜国際村の側のカフェでパートしています。多賀城だけおかしいなら、たぶん、無事です」
「そうか...」
「って、スマホあるんじゃないすか」
「それだ」
と、Google検索をかける。
「まだ、特に騒いではいませんね」
「ったく、政府は何やってんだか」
「先生っ!!、ゾンビです!!多賀城や名古屋、東京、さいたまで似たようなことになっているみたいです!」
と、突然叫んだのは、先ほど奥田さんと一緒にいた加藤さんだ。って、なんだと!?
「どいうこと?!」
「Twitter開いたんですけど、さいたまとか名古屋で同じように暴れている事件が起きているそうです!。東京もあったそうですが、なんとか収まった見たいです」
「それ、やばいな」
「たぶん、やばいとかのレベルじゃないと思います」
加藤さんに突っ込まれて、納得する。これは不味いことになった....。
小野は、二人の話を聞きつつ、屋根の端から外を見ていた。別に、女子達の仲に入れなかった訳ではない。彼はそこそこ女子達と仲は良い。特に、今回参加の女子達とは。それに香川は、絶対に皆と仲良くしてくるから間違いなく人付き合いはできた。そして、彼は香川に特段の好意を抱いていた。
しかし、今そんなことはどうでも良かった。気になるのは、下のゾンビが増えていたことだ。今日遊ぶ予定だった園児に保護者に老人、そして見知らぬ人多数....。それらは一貫して、口を開け手を上に伸ばしている。まるで、何かの宗教団体だ。そうすると、俺が教祖様で、ゾンビの唸り声はお経か。軽トラの荷台には上がれないらしい。それとも、そこは教祖様専用のお立ち台とでも思っているのだろうか。
きっと、屋根に上ってくることも無いだろう。ひとまず、ここは電線をゾンビが渡ってくるか、ゲームみたいに翼の生えた奴や猿みたいに動く奴、バカみたいにデカイ奴でも来ない限り半永久的に大丈夫なはずだ。いや、この中の誰かが発症でもしない限り...。
しかし、そんなことより、目に見える危機は救助隊が来るまで逃げられないことだろう。雨が降っても槍が降っても逃げられない。腹が減ろうが誰かがゾンビになろうが。携帯はパンクして繋がらないから電話もできない。Twitterに投稿してみるか、と考えるがきっと誰かがツイートするだろうし、知らぬ人にとっては良いネタの材料にされるだけだろう。リツイートされたところで、誰かが警察に通報でもしない限り意味がない。そもそも、俺はTwitterをしていない。LINEもあるが、小学生、そんな市外や県外に友達なんぞいない。
結局、この呻き声で埋め尽くされる世界に耐えなければならないのだと思った。餓死するか、恐怖で発狂するか、それとも救助されるか。
ただ、死を先伸ばしにしただけに過ぎないのかもしれない、そう彼は考えていた。




