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52.未来を紡ぐ

 私はゆっくりと目を開けた。


 レオン陛下は、相変わらず私の喉元へ当てた刃に少しずつ力を込めている。


 首筋の痛みに堪えながら、アベル様の姿を瞳だけで探した。


 (ああ……アベル様だわ。時間が戻っているのね)

 


 ――「もう、手遅れだ。 長年、影として仕えてきたお前の姿すら見抜けぬ愚か者だと……」


 レオン陛下の掠れた声が、私の不安と緊張を煽った。


 (しっかりするのよ……落ち着いて……いち……に……さん……今だわ!)


 「余を侮ったか……」


 レオン陛下の言葉が途切れるよりも速く、張り裂けんばかりの大声で叫んだ。


「アベル様、避けて!」


 アベル様は私の声に反応して、素早く身を翻した。


「ハッ、小娘め! 何を今さら無駄な抵抗だ」


 レオン陛下は、強い力で私を床に叩き付けた。


「ユージェニー!」


 私を呼ぶアベル様は、レオン陛下の胸下に滑り込んで、今度は剣先を陛下の喉元に突きつけた。


 そして、剣先はそのままで私に手を差し伸べて立ち上がると、強く私を抱き寄せた。


 「陛下、もう悪足掻きはやめましょう」


 「裏切るつもりか、アベルよ。ただ日々を消費しているだけのお前に、生きる意味を与えたのは誰か忘れたのか?」


 アベル様のサマーグリーンの瞳が、一瞬揺らいだ。


 「僕は……陛下を心から慕っておりました。時には父や兄よりも居場所を与えてくれる存在だと……」


 「ならば、なぜ余を裏切るのだ? 今ならまだ間に合う。また余の手を取ればよいのだ」


 剣を持つアベル様の手が、微かに震えているのが分かった。


 「忠誠を誓った騎士は、どんなことがあっても主君に背くべきではないと……そう、陛下から教わりました。しかし、その考えは間違っていました。僕は……胸を張って愛する人の隣に立ちたいのです!」


 強い口調で言い放つと、アベル様は剣を大きく振り上げた。


 「アベル様、いけませんわ!」


 (レオン陛下を許すことはできない。でも……)


 私は、アベル様の手で陛下を断罪して欲しくなかった。


 自らの剣で、これまで慕っていた主君に決着をつけたとしても、心が晴れることはない。


 むしろ、それがアベル様の枷となるのを恐れた。


 「……ユージェニー、そうだね。陛下を簡単に楽にしてはいけないな。民のためにも、正しく罰せられるべきだ」


 アベル様の胸に頰を寄せて、私は精一杯抱きしめた。


 「レオン皇帝を捕らえろ!」


 お父様が命じる声で、ドット公爵を始め皇室騎士団の騎士たちがあっという間にレオン陛下を取り囲んだ。


 そして、抵抗するレオン陛下の両脇を騎士が固めると、そのまま大広間から連れ出していった。


 「ユージェニー嬢、早く皇宮医に傷の手当をしてもらいなさい。それから……ありがとう。サレット家の功績は、このジョセフィーヌの名にかけて、必ず称えると約束しましょう」


 ジョセフィーヌ皇后が私の手を取り、優しくご自分の手を重ねられた。


 「ありがとうございます、皇后陛下。ですが、サレット家だけの力ではありません。力を貸して下さった方々にも、目を向けて下さることを願っています」


 「もちろんよ。後のことは私に任せて……安心なさい」


 ジョセフィーヌ皇后陛下はレオネル皇太子殿下を伴って玉座に立ち、貴族たちに向かって高らかに宣言された。


 「バムア帝国の新しい時代の幕開けです。レオネル皇太子が成人を迎えた暁には、皆を幸せに導く正しき皇帝となるでしょう」


 それまで恐怖や混乱で萎縮していた貴族たちが、皇后陛下の言葉に応えるように、大広間を揺らすほどの歓声が湧き上がった。


 皇后陛下は満足げな笑みを浮かべていたが、貴族たちの昂りが落ち着くのを待って、ドット公爵を手招きした。


 そして、ドット公爵と視線で会話を交わした後、皇后陛下は微笑み、ゆっくりと頷かれた。


 「皇后陛下のお許しを得て、ここに宣言する。私と皇后陛下の関係は、もう……公となってしまったが、これからも私はこの帝国を守り、皇后陛下と皇太子殿下を支える騎士として生きる……と、皆の前で誓おう」


 (ジョセフ……時間が巻き戻る前のあなたは、あんなにも皇帝の座を望んでいたというのに)


 過去の私が現在(いま)の私を暗い沼に引きずり込もうとしても、心地よく耳に届くアベル様の鼓動や温もりが、私の胸の奥を愛で満たしていく。


 (だけど、今の私にはこの手で消し去った過去でしかないわ)


 私とアベル様は互いに顔を見合わせ、興奮が冷めやらない貴族たちを尻目に、手と手を取り合って駆け出した。


 「アベル様、この結婚は――」


 「間違ってなんかなかっただろう?」


 そう言った途端、アベル様は急に恥ずかしくなったのか片手で顔を隠し、耳の端まで真っ赤にしている。


 (もう、愛おしくてたまらないわ)


 居ても立ってもいられず、私はアベル様の顔をぐいっと引き寄せると、つま先立ちをしてその頰に優しくキスをした。


 ――トクン、トクン、トクン。


 私とアベル様の気持ちが重なるように、胸の鼓動も重なっていく。


 絡めた指先、頬に触れる吐息――そして、私をまっすぐに見つめる瞳。


 アベル様の愛は、甘く、甘く私を蕩けさせる。

 


 「愛している、ユージェニー」


 「私も――心から愛しています」

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