50.試される愛
「……ハッ……ハハ、ハハハハッ! 『ラピスラズリの杯』を割ってしまっただと? なんという狂った女だ」
レオン陛下は瞳に狂気を滲ませたまま、私の喉元の刃に力を込めていく。
「うっ」
私の首筋に熱く焼けるような鋭い痛みが走った。
「それで『ラピスラズリの杯』の力が無くなったというわけか……」
「そ、そうです。ですから、これ以上、悪あがきをしても無駄ですわ」
「余が何のために永遠の命に魅せられたと思う? 死んだ男を想い続けている皇后、余よりも帝国の英雄と呼ばれる罪深き子ジョセフ・ドット……」
「何を……皇后陛下も、ドット公爵様も陛下の欲望に翻弄された人たちではありませんか!」
「ハッ、知っているのだぞ。ドット公爵が余を討つ機会を狙っていると。それは、前ドット公爵からの遺言でもあっただろう。父子揃って愚かなもんだ。たかが女ひとりに全てを捧げ、怨念を晴らそうとはな」
「愚かなのは陛下の方です! 人々の幸せを奪っておいて……」
「余は皇帝なのだぞ。民を守る代わりに、余の望む対価を払うのは当然だろう。余は欲しいものを手に入れ、謳歌するために永遠の命を望んでいるのだ。それの何が罪だというのだ?」
レオン陛下の感情の高まりとともに、さらに刃を持つ手に力が込められていくのを感じた。
「陛下……永遠の命を手にしても……陛下の渇望が満たされることはないでしょう……」
(過去の私も同じだった……。欲望のままに振る舞い、望めばすべて手に入ると信じていた。 けれど――結局は本当に欲しいものは手に入らなかった)
「陛下! 憎むのでしたら、私に向けるべきでしょう」
ジョセフは陛下を刺激するまいと両手を顔の横に掲げ、少しずつ私たちに近づいて来る。
「憎む? フ、ハハッ。この期に及んでも、自らの謀反の正当性を主張したいようだな」
レオン陛下の挑発に、ジョセフは眉間に深い皺を寄せ、怒りに満ちた表情に変わっていった。
「ジョセフィーヌ皇后陛下を私の父から奪ったのは――陛下、あなたではありませんか! 皇后は……すでに私を身籠っていたというのに……。ずっと重い枷から逃れられないでいた……私の気持ちが分かりますか?」
(……ッ! ジョセフにそんな秘密があっただなんて。私は、過去も今も……本当に何も知らなかったのね。だけど、お父様もケビンおじ様も知っていたのだわ)
「戯言を……。それで皇帝の座を欲するとは、愚か者め。ドット公爵よ、貴様のその欲のせいで、ユージェニー嬢はアベルと婚姻を結ぶことになったのだ。貴様と婚姻を結び、杯の力を使われるわけにはいかないからな」
(今世ではレオン陛下が、アベル様との婚姻をお父様に持ちかけたのね……。過去ではそれを阻むためにジョセフは私と結婚を? お父様は陛下の思惑からも、ジョセフからも私を守りたかったはず……今世で、お父様はアベル様の人柄に賭けたのだわ)
頭の中を忙しく巡らせていると、レオン陛下は私の顎をぐいっと持ち上げ、さらに顔を近づけた。
そして、呻くような声で囁いた言葉に、私の全身から血の気が引き、拳で強く打たれたような衝撃が走った。
「陛下、な……なにを仰るのですか? 私は重傷の夫ではなく、ドット公爵と参加したのです。その意味はお分かりでしょう?」
私はぎこちない笑顔を浮かべた。
「ユージェニー嬢、余の目は誤魔化せんぞ。余の策通りに、そなたはアベルを愛したというのに、アベルも令嬢に本気になるとは……余の誤算よ」
「私は意中の相手を間違えられて、政略結婚したのですよ。それに……やはり、私はドッ……ジョセフ様しか愛せないようですの」
「令嬢、下手な芝居はここまでだ。……知っているか? 一番辛いのは己を傷付けられるより、愛する者が苦しむ姿を見ることだと」
「お……おやめください、陛下!」
「もう、手遅れだ。 長年、影として仕えてきたお前の姿すら見抜けぬ愚か者だと、余を侮ったか……アベルよ」
レオン陛下の言葉が途切れた。
私は、レオン陛下の視線の先を恐る恐る確かめる。
その視線の先には――貴族たちに紛れて、私を助けようと機会を窺っている、変装したアベル様の姿が目に入った。
「アベル様! お逃げください! 逃げて!」
叫びながら身を捩り、レオン陛下の動きを止めようと私は必死に手を振り回した。
「ユージェニー! 危ない!」
驚いたアベル様がすぐさま駆け寄った、その瞬間――。
レオン陛下は私を強い力で払い除けると、剣をアベル様に向けて放った。
ヒュンッ、という耳を裂くような音がしたかと思うと、弾かれた矢のような勢いで一直線にアベル様へ向かった。
あっという間の出来事だった。
剣で心臓を貫かれたアベル様は、崩れ落ちるようにその場に倒れた。
アベル様を貫いた剣先が血で光り、刃を伝って滴っている。
みるみるうちに、アベル様から流れた血で床は赤く染まっていった。
「アベル様!」
私は足をもつれさせながら、必死でアベル様の元へと駆けた。
「レ……レオン皇帝を捕らえろ!」
ジョセフ・ドット公爵の怒号と騎士たちの駆け寄る足音が場内に響き渡った。
すでに大広間には皇室騎士団が控えていたのだった。
「どうして……こんなことに……」
ルディ様もアベル様の元へ駆け付け、素早くアベル様の身を起こし背中を支えていたが、その表情には明らかに動揺の色が見えた。
私はアベル様の心臓から流れる血を止めようと胸のあたりに手を当てた。
「……ッ」
力なく薄っすらと開いたサマーグリーンの瞳に、私の影がおぼろげに映っている。
「アベル様、しっかりして下さい!」
「アベル、まもなく皇宮医が来る……。お前ならこんな傷、慣れっこだろう……」
私とルディ様で必死に声を掛け続けるが、アベル様の意識が混濁しつつあるのが分かった。
マリーズもルディ様の後ろで両手を胸の前で組み合わせ、懸命に祈りを捧げてくれている。
(こんな時に、神に祈るしかないなんて……。神……)
私はハッと思いついて、ドレスの裾をまくった。
「夫人、一体何を……」
ルディ様が困惑したように私に問いかけた。
「あっ……、ここに『ラピスラズリの杯』のかけらを隠していて……」
そして、ドレスの裾に縫い付けた『ラピスラズリの杯』のかけらを手に取ると、ギュウッと力いっぱいに握った。
「ユージェニー、そんなに強く握ったら……血が出ているわ」
マリーズが私を止めようとするのを、ルディ様がそっと遮り静かに首を振った。
私の血が指の間から滲み、手首を伝い一滴、また一滴と血が滴り落ちる。
(どうか、神よ……どうか――私の願いを聞き届けてください)
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