49.崩れゆく野望
レオン皇帝陛下とロベル副団長を告発した女性こそ――ナタリーだった。
私たちの計画のために、彼女を宴会場の侍女として潜り込ませていたのだ。
(ナタリーは命を懸けてこの役目を引き受けてくれた。立派にやり遂げてくれたわ……)
「お前は誰だ? よくも、皇帝である余を侮辱したな。その罪は、死を以ても償えぬぞ! 衛兵よ、その女を捕らえろ!」
衛兵が手を伸ばした瞬間、私は反射的にナタリーの手を掴み、その前に立ちはだかった。
ナタリーの指先は氷のように冷たく、小刻みに震えている。
私はその手を強く握りしめた。
(ジニー……私のような者でも、守ろうとしてくれるのね)
「証拠があります! ここに……燃えてしまった娼館『セクレ』と崩壊した娼館『ミラージュ』の裏帳簿と魔物の取引記録が……」
すると、娼館の裏帳簿と魔物の取引記録を手にしたノエルが、ナタリーの背後から現れた。
「何を言うか! そんなもの……いくらでも捏造できるではないか。余を陥れようとするとは、よほど命が惜しくないようだな」
レオン陛下がナタリーに高圧的な態度を見せるたび、貴族たちの視線は冷ややかさを帯びていった。
(一度芽生えた疑いは、水面に落ちたインクのように広がるもの……。だって、言われのない罪で高位貴族を罰しようとして、自分の疑惑については誤魔化そうとするだなんて。貴族たちは、明日は我が身だと想像するでしょうね。賢帝が聞いて呆れるわ)
「衛兵、下がりなさい。陛下も、どうか落ち着いてください。皆が不安がっておりますわ」
皇后陛下が声を発した瞬間、大広間のざわめきがぴたりと止まった。
そして、皇后陛下はレオネル皇太子殿下の側にケビンおじ様の姿を確かめると、静かにノエルに近づき、証拠の品を差し出すように促した。
サクッ、サクッ、と、ただページをめくる音だけが聞こえてくる。
「ロベル副団長、ここに書かれていることは真実かしら?」
ロベル副団長は、先ほどまでの険しい表情を緩めると、皇后陛下の前に跪いた。
「皇后陛下……私は罪深い人間ですが、妹に一蹴されて目が覚めました。……すべて真実でございます」
――「なんということだ。レオン陛下が悪事に手を染めていたとは……」
「魔物を取引していただなんて、恐ろしいですわ。人を襲う魔物を討つのではなく、売買していたのでしょう?」
「どうして、そんな資金が必要だったのだ? まさか、力のある家門を没落させるためか?」
――「そう言えば、大昔……一度だけ噂になったことがありましたわね」
「ええ。でも、それを口にするのは……」
「いいじゃありませんか。お若い貴族の方は、ご存じないでしょうから。ドット公爵様が、実は前ドット公爵様とジョセフィーヌ皇后陛下との御子だという醜聞が流れたということを」
「でも、皇后陛下と前ドット公爵様がきっぱりと否定されたではありませんか」
「ハハッ、我々が若き頃、皇后陛下と前ドット公爵様は相思相愛であったのを、レオン陛下が横恋慕して婚姻を強行したのは有名ですぞ。火のない所に煙は立たぬと、昔から申しますからな」
貴族たちの動揺と憶測は吹き荒れる風のように渦巻き、大広間の隅々まで駆け抜けていった。
(賢帝だと思っていたレオン陛下が……『蒼杯秘録』を手にしたばっかりに、愚かな欲望を抱いてしまったのかしら? もしかして、時間が巻き戻る前のジョセフも『蒼杯秘録』を手にしていたのかもしれないわね)
「ユージェニー、怪我はない?」
気づくとマリーズが私の顔を覗き込んでいた。
そのマリーズを守るように、ルディ様がマリーズの手を握ったまま周囲に目を光らせている。
「ええ、大丈夫よ」
ジョセフィーヌ皇后陛下は確認した魔物の取引記録をパンッと音を立てて閉じると、真っすぐにレオン陛下を見据えた。
その様子を見たお父様は、力のこもった声で貴族たちに告げた。
「ロベル副団長の妹の告発と本人の自供、そして証拠品によって、レオン皇帝陛下の罪をジョセフィーヌ皇后陛下は認められた。よって――衛兵、レオン陛下を拘束せよ!」
「おのれ……サレット宰相! 余は皇帝だぞ! お前にその権限はない! 皆の者、余を守れ! 今、余を守った者には爵位を……そうだ、宰相にしてやろう!」
「陛下、お忘れですか? 皇族が罪を犯した時、皇族2人以上が同意した場合は帝国の法によって裁きを受けさせることができる――レオン陛下、あなたが定めた帝国法ですよ」
お父様の言葉にジョセフィーヌ皇后陛下はすぐさま反応した。
「私、皇后ジョセフィーヌは夫レオン皇帝陛下に法の裁きを希望します」
「ジョセフィーヌ! お前という女は……余をまた裏切るのか!」
「何を仰るのです陛下。ドット前公爵との婚約を握り潰し、無理やり私を彼から奪ったのはあなたではないですか!」
レオネル皇太子殿下は、目の前で繰り広げられている父と母の応酬に、その小さな肩を震わせ必死に嗚咽に耐えているのが、遠目にも分かった。
ケビンおじ様はやり切れない表情を見せながらも、自分の使命を全うすべくレオネル皇太子殿下の両肩を優しく掴むと、背中を押すように殿下を前に押した。
振り向いたレオネル皇太子殿下に、ケビンおじ様は力強く頷いた。
「僕も……お父様を……。皇太子レオネルは父レオン皇帝陛下に法の裁きを希望します」
「レオネル! お前まで……騙されるでな! レオネル、その選択を後悔することになるぞ!」
ケビンおじ様は、レオネル皇太子殿下の耳をぎゅっと塞いだ。
今度は衛兵がレオン陛下を捕らえたが、帝国の剣と恐れられた男の動きは衰えておらず、瞬く間に衛兵をなぎ倒して私へと迫ってきた。
レオン陛下の目には、もはや理性の光はない。
その“怒り”は、ジョセフや皇后陛下、お父様に向けられることなく――まるで、すべての元凶が私であると見抜いているかのようだった。
「ユージェニー、逃げろ!」
「ユージェニー嬢!」
「やめろ!」
その瞬間、お父様とジョセフ……そして、アベル様の声が聞こえた。
「きゃーっ、ユージェニー!」
「だめだ、君まで巻き込まれる!」
マリーズが咄嗟に私を庇おうと手を伸ばした瞬間、ルディ様がその手を掴み、強く抱き寄せて横へと飛び退いた。
(あっ!)
私はレオン陛下の真正面に取り残されていた。
――気づいた時には遅かった。
レオン陛下に髪を乱暴に掴まれ、喉元に冷たい刃が押し当てられていた。
「ユージェニー・サレット、貴様何をした? ロベルが裏切るとは思えん。あやつの権力や金への渇望は余が一番分かっている。なのに、なぜドット公爵は魔物の姿に変わらないのだ!」
私は、おぞましく汚いものを見るような目をして、レオン陛下の耳元で囁いた。
「陛下……確かに『バムア帝国建国史』は一冊しか存在しません。ですが、『蒼杯秘録』は――私の先祖が経験したことを神話として記し、世の中の古文書に紛れ込ませていたのです」
「なん……だと? それでは、余が手にしていた古文書とは別の『蒼杯秘録』が存在するということか?」
「はい、そうですわ。私の先祖の中には秘密を隠していられない質の者が多かったようで……それも、たっくさん、ございますの」
「ならば、ドット公爵が魔物の姿に変わらなかったのは……何か秘策が書かれていたようだな」
「はい! ご先祖様の妄想のようなものでしたけれど……ふふっ、陛下――」
私はすーっと大きく息を吸うと、とびっきりの笑みを浮かべて続けた。
「私、『ラピスラズリの杯』を割ってしまいましたの!」
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