47.交錯
大広間の中央にそびえるバルコニーの深紅の幕は閉じたまま。
その両側からゆるやかな弧を描いて大階段がのび、黄金の手摺には赤い薔薇がふんだんに装飾されている。
貴族たちは皇家一家の登場を待ち構えながら、何か面白い噂の種はないかと互いに探り合っていた。
――「レオン皇帝陛下、ジョセフィーヌ皇后陛下、レオネル皇太子殿下のご入場です!」
侍従の合図とともに、深紅の幕が静かに開いた。
祝宴のざわめきが止み、一斉に貴族たちの視線がバルコニーに集まった。
「今日は愛する皇后ジョセフィーヌの生誕を祝う佳き日だ。皆がこうして集い、祝意を寄せてくれたこと、余は深く感謝する。今宵は大いに宴を楽しむがよいい」
貴族たちから大きな拍手が沸き上がる。
レオン皇帝とジョセフィーヌ皇后は軽く手を挙げ歓声に応えると、ゆっくりと大階段を降りてきた。
その後ろには、十二歳になったばかりのレオネル皇太子が、どこか照れくさそうに続いていた。
「ジョセフィーヌ皇后陛下、本日のご生誕の日、心よりお祝い申し上げます」
「あら、顔を上げてちょうだい、サレット侯爵令嬢。あなたこそ、大変な時にこうして私を祝ってくれるだなんて、お礼を言うわね」
(どこか言葉に棘を感じるわ……。お父様、ちゃんと皇后陛下を説得できたのよね?)
すると、同じように頭を下げていたジョセフが私の肩をグイっと引き上げ、皇后陛下に向き直った。
「皇后陛下、私など、両親を亡くした時でさえ皇家の夜会に参加しておりましたよ。家門を守るためには、どれほど辛い状況でも立ち続けねばなりませんので」
(ちょっと、ジョセフったら、私を庇っているつもりなの!? つまらない意地で計画の邪魔をしないで!)
「コホンッ……サレット侯爵令嬢。皇后は、ただそなたを案じているだけだ。もちろん余も同じだぞ。アベル卿が任務中に大けがを負ったと聞き、胸が痛んでおる……命じたのは余であったとしても、な」
レオン皇帝は眉を八の字に下げ、大げさに心配そうな声で私に語りかけているが、その目は嘲笑と余裕に満ちていた。
「はい、陛下、もったいないお言葉でございます。ドット公爵様と夫の共同任務の最中に、夫はドット公爵様を庇って怪我を負ったそうで……それで、公爵様が責任を感じられて今宵のパートナーを申し出てくださったのです」
「ほう、てっきり、そなたが公爵に頼み込んだものと思っていたぞ」
「陛下!」
ジョセフが鋭く声を上げた。
「陛下こそ……若い方たちをからかい過ぎですわ。そろそろダンスが始まるわね。あなた達はもうお行きなさい」
私とジョセフは、もう一度深くお辞儀をするとその場を後にした。
――「ドット公爵様、どういうおつもりですか? 皇后陛下の心証を損ねれば、この後の計画に支障が出てしまいますわ……」
「皇后陛下の心証はこんなことで悪くならないさ」
「公爵様には、ではありませんか! 私やサレット家へは違いますでしょう? お分かりのはずなのに……」
「それなら、このまま私が令嬢の夫となるのはどうだ?」
私は怒りというより呆れて腕を解こうとしたが、ジョセフが力を入れたせいで失敗してしまった。
「挨拶も終わったことだ。計画まではダンスでもして楽しもうじゃないか」
何食わぬ顔でジョセフは左手を背に添え一礼すると、うやうやしく私に右手を差し出した。
「どうかファーストダンスを踊ってくれませんか?」
貴族たちの目を思うとジョセフの手を取るべきなのは分かっているけれど、体が反応しない。
(ここで躊躇っては、周囲に怪しまれてしまう。私がジョセフを求めているように振る舞わなければ……)
その時――トンッと私の肩に軽い衝撃を感じた。
「ああっ、し、失礼しました!」
私にぶつかった男性の手には赤ワインのグラス。
そのワインがぶつかった衝撃で、私の白いロンググローブにかかってしまったのだった。
「大丈夫ですわ、気になさらないで」
(それにしても……この、もっさりした男性はどこの家門かしら? 格好からして、田舎の下級貴族なのかも)
ありふれた栗色の髪に、薄い青みがかった分厚い瓶底メガネ、衣装も既製品に手を加えたようだった。
「いえ、いけません! 私の姉が予備を持っていますので、そちらをお使い下さい。控室までご案内しますから……」
「おい、お前はどこの家門だ? これから、私たちはダンスをするところだ。令嬢、ロンググローブはその辺の侍従に預けて……」
すると、その男はグイッとジョセフの耳元に顔を寄せたかと思うと、声を落として囁いた。
――「黙れ、他人の妻を誘惑するな」
私は自分の耳がおかしくなったのかと、その男の横顔をまじまじと見つめていたが、やがて、分厚い瓶底メガネの端から見慣れた瞳と目が合った。
「あっ……」
「さぁ、急ぎましょう。こちらへどうぞ」
瓶底メガネの男は私の手をそっと掴むと、有無を言わせず私を大広間から連れ出してしまった。
後ろを振り返ると、ジョセフが手を伸ばすのが見えたが、周りで窺っていた令嬢たちにあっという間に取り囲まれていた。
――瓶底メガネの男は貴族たちの休憩する個室を前に、キョロキョロと周囲を見回し、誰もいないのを確認して部屋の扉を開けた。
「こちらです」
部屋に入ると、素早く扉の閉まる音がした。
「……どういうことですか? アベル様」
「よく気づいたね、ユージェニー」
男が瓶底メガネを少しずらすと、どこか嬉しそうに微笑むサマーグリーンの瞳が現れた。
「本当にあなたって人は……ふふっ。その眼鏡、どこに行けば買えるの?」
「これは、まぁ……僕のお手製さ。人前に出ても気づかれない変装をするには、コレしかなかったんだよ」
「それで、私にワインをかけてまで連れ出したのは? あまり時間をかけ過ぎると、疑われてしまうわ」
(君と公爵があまりにも近すぎて嫉妬した――なんて言えないな)
「実は、この祝宴に来ている兄上から、これを受け取ったんだ」
アベル様は、一冊の古びた革表紙の本を差し出した。
「カイゼン様が? これは……」
私は受け取ると、ぱらぱらとページをめくり素早く目を通した。
「『蒼杯秘録』? 少し内容が違うようですが、どうして何冊もあるのかしら?」
「これは、兄上が由緒ある貴族家の蔵書に目を付けて、探してくれていたそうです。兄上は、これまでの話を聞いて、ある仮説を立てた……」
アベル様の言葉を待たず、私はふと閃いたことを口にしていた。
「少しずつ内容が違う……でも、どれも『ラピスラズリの杯』にまつわる逸話。ということは――書かれた時代が違うのね!」
「僕が言う前に言い当てられてしまったね。そうなんだ。兄上は他にも何冊か手に入れているらしい」
「それって、サレット侯爵家の先祖が書いたということよね。まったく、わが家はなんて詰めが甘い一族なのかしら。秘密を日記のように記して残してしまうなんて」
「ははっ、でも、誰もただの神話だと思っていたさ。たぶん、これは僕の推測だけど、杯の力の危うさをこうして残すことが最善だと思ったからじゃないかな? 市井に出回る方が、誰かの悪意を阻害できるかもしれないってね」
「なるほどね……今の私たちのように。ご先祖様、悪口を言ってしまって、ごめんなさい」
そう言って、私は胸の前で両手の指を組み、目を閉じた。
(本当に僕の妻は、素直で可愛い人だ。悪女だとほざいた貴族を見つけ出して、一人ずつ殴ってやりたいよ)
「ユージェニー、ここの部分を読んでみて」
アベル様の指差した部分に目を通す。
「『ラピスラズリの杯』を……、やっぱり私たちの思った通りなのね!」
「どうやら、そうみたいだ。君を公爵の元に帰すのは、すごく嫌だ。それに……君を危険な目に遭わせたくない」
「アベル様……きっと、何もかも上手くいきますわ。それにもう私たち、やってしまった後ですわ」
「確かに、それもそうだ!」
あははっ――。
私たちはいたずらをした子どもたちのように、無邪気に笑い合った。
アベル様の眩しい笑顔が、ほんの一瞬だけ不安な心を忘れさせてくれた。
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