46.祝宴の陰
馬車は衛兵の立つ門をくぐると、両側に木立ちの並ぶ道を皇宮まで真っ直ぐに進む。
馬の蹄の音が小気味よく私の耳に届いていた。
――しばらくして、蹄の音がピタリと止まった。
「お父様……」
「いよいよだな。ユージェニー、無理はするな」
私が言葉を発する前に、御者が馬車の扉を開けた。
そよぐ風と共に、甘いムスクの香りが鼻先をかすめる。
(……ジョセフね)
ゆっくり視線を扉の外に向けると、ジョセフ・ドット公爵が柔らかな表情を浮かべ、エスコートの手を差し伸べていた。
「お父様、それではまた後ほど。ドット公爵様、こうして迎えに来てくださるなんて、光栄ですわ」
周囲の貴族たちに聞こえるように、私はわざと大きな声で言った。
「ユージェニー嬢、今日はまた一段と美しい。私が贈ったそのイヤリングもとても似合っているぞ」
ジョセフの言葉にポッと頰を染め、はにかみながら私はエスコートの手を取った。
(アベル様……)
「今は他の男のことを考えるな。今日のパートナーは私なのだからな」
(我慢、我慢よ……)
私は奥歯をぎりりと噛み締め、黙ったまま形だけの笑顔を返した。
――「まぁ、ご覧になって。サレット侯爵令嬢とドット公爵様ですわよ。本当に……アベル様がお気の毒ですわ」
控えめだがハッキリと、セレナ・ラージュ男爵令嬢の声が聞こえた。
「ご自分の旦那様が大怪我を負ったというのに、他の男性と参加なさるなんて……。でも……公爵様はどうしてパートナーを?」
「ハハハッ、やはり悪女は変わりませんね。隙あらばこれだから女は怖い。アベル卿のケガの責任を盾に、公爵様に無理強いしたのでしょう」
馬車から会場までの道のりは、ヒソヒソと貴族たちの悪意に満ちた囁きで溢れた。
(思惑通りだわ。よくやったわ、セレナ。皆が口をむずむずさせながら様子見しているのを、上手く煽ってくれたわね)
ジョセフは僅かに苛立ちを見せたが、すぐに柔和な笑みを浮かべ、腕に絡めた私の手に手を重ねた。
――大広間の扉の前に侍従が立っている。
少し驚いた表情をさっと戻し、神妙な面持ちで扉を開け、私たちの名を告げた。
「ジョセフ・ドット公爵とユージェニー・サレット侯爵令嬢のご入場です」
皇宮の大広間に足を踏み入れた瞬間、天井から降り注ぐシャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に反射して、眩い宝石が敷き詰められたように輝きを放っている。
(さすがは皇后陛下の誕生日祭だわ)
皇后陛下の象徴色である深紅の絹布が柱を飾り、百合の香りが祝宴の空気に静かな華やぎを添えていた。
相変わらず、扇子の陰からは、祝宴に似つかわしくない囁きがこぼれていたのだけれど……。
「ユージェニー!」
振り向くと、小さく頬を膨らませたマリーズが足早にやってきた。
「まったく、失礼な方が多いわね。よくも侯爵令嬢に……サレット宰相の娘なのよ!」
「くすっ、マリーズがいるだけで心強いわ」
「本当ですねぇ、くくくっ。マリーズ嬢が隣に立つだけで、他の令嬢たちが俺に近づいてきませんから」
「ちょっと、ルディ様!」
今日はルディ様にマリーズのパートナーを務めてもらっているのだ。
(計画のためだけれど……案外、マリーズとルディ様の相性は良さそうだわ。マリーズが親しい人以外に自分を出すのは珍しいもの)
社交界でのマリーズは聡明で深窓の令嬢。
憧れを持つ令息たちも多いのだ。
「マリーズ、ケビンおじ様は?」
私は声を落とし尋ねた。
「安心して、ユージェニー。お父様とフィリップおじ様は予定通り、皇后陛下のお目通しを許されたわ」
「そう……。上手く説得できればいいのだけれど」
「ユージェニー嬢、大丈夫だ。私がいる限りな。君たちは、そこに賭けたのだろう?」
そう言って、ドット公爵は自嘲気味に口元を歪めた。
◇
「皇后陛下、サレット宰相とクレマン伯爵様がお目通りを願い出ております。もう祝宴まで時間ございません。お帰りいただきましょうか?」
「サレット宰相とケビン兄様が?」
レオン皇帝の妃であるジョセフィーヌ皇后は、ちらりと時計に目をやった。
「陛下のご準備は済んでいるのかしら?」
「いえ、それが……皇帝陛下に何やら急ぎの報告があると、ロベル副団長様がお越しになり、まだお話し中のようです」
「そう。それなら、お二人をお通ししてちょうだい」
皇后の部屋に通された二人の表情はどこか硬い。
(どうやら、何か差し迫った相談のようね)
「バムア帝国を照らす美しき月、ジョセフィーヌ皇后陛下に、本日の御誕生日を心よりお祝い申し上げます」
フィリップ・サレットとケビン・クレマンは、それぞれ口上を口にすると深々とお辞儀をした。
「今は私たちだけですわ。ふふっ、堅苦しい挨拶はなしにしましょう、ケビンお兄様。宰相も楽になさってちょうだい」
実は、マリーズの父ケビン・クレマンの母が、ジョセフィーヌ皇后の母の従姉にあたり、遠縁ではあるが縁戚関係にある。
アカデミー時代では2つ年下のジョセフィーヌは、ケビンを兄のように慕っていた。
そして、自然とケビンの友人であったサレット宰相とレオン皇帝、もう一人……レオン皇帝の弟君、亡きドット前公爵と友好を深めたのだった。
(ドット前公爵様が亡くなられてから……こうして私的に会う機会も少なくなったわね)
ジョセフィーヌは何かを振り払うように軽く首を振ると、二人に座るように促した。
「ところで……これから私の祝宴だというのに、どういうわけかしら?」
ケビン・クレマンはサレット宰相の顔をちらりと見たが、強い意志をたたえた宰相の横顔に小さく溜息をついた。
「陛下……いや、ジョセフィーヌ、これは臣下としてではなく、あなたを思うはとことして知らせにきたのだよ」
「ですから、一体何を……」
「ジョセフィーヌ、君の息子が危ない」
「なんですって、レオネルが?」
ケビンはジョセフィーヌの手を取り、優しく重ねた。
「いいや、違う……」
ジョセフィーヌはケビンの手を払い除け、キッとサレット宰相を睨んだ。
「どういうことですの? 宰相、あなた、ケビンお兄様を巻き込んで何を企んでいるの? レオネルを利用するつもりなら……」
「皇后陛下、あなたは昔から私を警戒し過ぎだ。よく聞いて下さい。ケビンを連れて来たのは、私だけでは信じてもらえないと思ったからです」
「けれど、レオネルは無事なのでしょう? 宰相は昔から私を揶揄ってばかりでしたわ。だから、今のお話も悪い冗談かと……」
ジョセフィーヌ皇后は軽く受け流そうとした言葉が喉で止まった。
ケビンと宰相のこわばったままの表情が、ジョセフィーヌの胸の奥をざわつかせた。
「いいえ、そんな……嘘だわ。宰相、今さら私を利用するつもりなの?」
「まさか、そこまで信用がないとは。私が今まで皇后陛下の秘密を利用したことはありましたか?」
「……ないわ。でも……わたしはあなたを信用していない。自分の娘を使って、あの子を人質にするつもりでしょう?」
「ジョセフィーヌ、落ち着いて。宰相の娘……ユージェニーは、もうアベル・ブルボン卿と婚姻したじゃないか」
「それなら、どうして令嬢のエスコートをあの子がしているのかしら? 私が知らないとでも?」
「ジョセフィーヌ、だから、それは……」
サレット宰相は静かにケビンの前に手を広げ、言葉を遮った。
「皇后陛下、よくお聞きください。もう、ずいぶんと前に……25年前の私たちの秘密にレオン陛下は気づいていました。そして、今宵、あなたへの復讐と自分の欲のために、我が娘とあなたの息子を利用しようとしているのです」
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