45.『ラピスラズリの杯』の理
翌朝。
地下牢に移したロベル卿を除き、皆を応接間に集めた。
そこで、私とアベル様の計画を手短に伝えた。
「本当にそんなことが上手くいくのかしら……」
マリーズが小首を傾げながら、私に不安げな瞳を向けている
「つまり、アベルと夫人の作戦は……ここにいる全員で陛下を相手に一芝居打つってことだろ? ロベルやドット公爵の協力なしに上手くいくとは思えないが……」
「ああ、ルディ。望むところではないが、彼らの協力は不可欠だよ」
「ふむ、ひとつ気がかりなのは、ロベル卿はともかく、あの魔物……ドット公爵をどう説き伏せるつもりだ? まさか、ユージェニーが彼らの説得をするのではあるまいな。それは認められんぞ」
今度はお父様が少し責めるように、私たちへと言葉を向けた。
誰もが口を真一文字に結び、カーテン越しの柔らかな日差しとは真逆の張りつめたような空気が漂っている。
トポポポッ……。
膠着した雰囲気を軽く受け流すかのように、ダンがそれぞれのティーカップに紅茶のおかわりを手際よく注いで回っている。
「あなた……よくこの雰囲気の中で、落ち着いて仕事できるわね」
苦笑いを浮かべ、呆れたようにナタリーが言った。
ダンは黙ったまま目尻を下げ、にこりと微笑んだ。
「お父様、お分かりでしょう? ドット公爵様を説得するのは私しかおりませんわ」
「ねぇ、ユージェニー、皇后陛下の誕生祭でそんな混乱を招いて、陛下を追い詰めることなど本当にできるの? 帝国中の貴族が集まるのよ」
「マリーズ、だからこそよ。貴族たちの目の前で、陛下の悪事を白日の下にさらさなければ、逆に私たちが無謀を起こしたと、追われる立場になってしまうもの」
「それはそうなのだけれど……アベル様はそれでいいのですか? そ、その、ユージェニーが――」
「夫以外の男と夜会に参加するのを許せるのか? ハハッ。マリーズ嬢、意地の悪い質問ですね。そりゃ、はらわたが煮えくりかえる思いですよ。でも、何よりもユージェニーを守ることが最優先なのです……だから」
「マリーズは私たちのことを心配してくれているのでしょう? でも、大丈夫よ。私たちも覚悟の上なの」
「ハァー、分かったわ、ユージェニー。それで、私たちは何をすればいいのかしら? ノエルも、ナタリー嬢も……そうね、きっと、あなたの取り巻き第一号セレナ・ラージュ嬢も協力者に入っているのでしょう?」
「さすがね、マリーズ。ふふっ、あなたのお父様、ケビン・クレマン伯爵様も入っているわよ」
マリーズは驚いた子猫のように目を見開き、やれやれといった表情のノエルと顔を見合わせた。
「ケビンの奴まで巻き込むのか……すべてが終わったら、旨い酒でも奢るとしよう」
お父様はそう言ってマリーズの肩にそっと手を置き、親しみを込めて軽く叩いた。
◇
今宵は――皇后陛下誕生祭の宴。
私たちが計画のために準備を始め、8日後の夜だった。
「ユージェニー、本当に大丈夫なのだろうな……」
「もうっ、お父様ったら。大丈夫ですわ。すでにアベル様は皇宮に潜入しています。それに、時間のない中、皆で協力して入念な準備をしたではありませんか」
「それはそうだが……」
お父様の視線が私の耳元で止まった。
「このルビーのイヤリング、案外、私に似合っているでしょう?」
今、私の耳元にはドット公爵がアベル様との結婚前に贈りつけてきた、あのイヤリングが輝いている。
(あの時は、このイヤリングを贈ったジョセフが忌々しかったけれど、焦ったお父様がアベル様という夫を探して下さったのだもの。今は感謝するわ)
「ユージェニー、ドット公爵は……なぜ魔物になったと思うか?」
直感的にその問いは、私の記憶を探っているように感じた。
「お父様、もう隠し事はやめにしましょう。これから私たちが向かう相手は、生半可な気持ちでは太刀打ちできませんわ。……公爵様は、本来なら私が『ラピスラズリの杯』に払うはずだった“代償”を、結果的に背負ってしまったのです」
「それは、どういう……」
賢帝の妃・皇后陛下の誕生祭を祝う民たちが通りにまで押し寄せ、馬車の御者が注意する声さえも歓声にかき消されるほどだ。
私は馬車の外をちらりと見やった。
酒の入った杯や花を手に持った大人や子供たちが踊ったり、楽しそうに露店を品定めする姿が目に入る。
(できるならば、平穏に終わらせたいわ。私は、帝国を混乱に陥れたいわけではないのだもの)
「私、記憶があるの……時間が巻き戻る前の記憶が」
お父様の表情を確かめようにも、ちょうど窓から煌々とした明りが差し込み、お父様の姿が黒く影になった。
「記憶が、あるのか……。これも、杯の力を拝したこの血の運命かもしれぬな」
お父様の声はこれまでに聞いたことのないほど弱々しく、か細い。
「時間が巻き戻る前、『ラピスラズリの杯』の力を使ったのはお父様なのでしょう? だって、あの杯を満たしていたのはお父様の血だったのだから……。でも、お父様の愛する者であり、代償を払うべき者は命が尽きようとしていた」
「ああ……。私がもっと早くに願いを口にしていれば……愛する娘の心臓を……ドット公爵の剣が貫く前に……そうすべきだったのだ。痛かっただろう? 怖かっただろう?」
民たちの歓喜のざわめきの中、頭を抱え、お父様の自責のような嗚咽だけが馬車の中を満たしている。
その声に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
(ずっと、苦しんでおられたのね)
居ても立っても居られず、お父様の足元に跪いた私は、お父様の両手をしっかりと握りしめた。
「そんなにご自分を責めないでください。ジョセフの性格ですもの。自分の信念に忠実な男ですわ。あの時、私だけが助かったとしても、ジョセフはいずれ私の命を奪ったでしょう」
「……過去のドット公爵は、『蒼杯秘録』を手にしていなかった。だから、『ラピスラズリの杯』の力の制約や代償のことは知らなかったのだ。私はそこに全てを賭けたのだよ」
『蒼杯秘録』――サレットの血筋にだけ許された大きな力。
(本当にこの力で人は幸せになれるのかしら?)
私の心の中に、ずっとくすぶっていた思い。
自分の命と引き換えにしてまで求める力は、愛する者を想う切実な願い。
でも、同時に――力の発動者の愛する者も代償を払わねばならない。
(神は、どこか人々が自然の摂理に抗うのを咎めようとしているようね。きっと、陛下は不老不死という願いを叶えたくとも、代償を払うのがお嫌なのだわ。でも――まさかジョセフの魔物化が代償だとは思いもよらないでしょうけど)
「お父様が杯に願う――ほんの少し前、私は命が尽きてしまった。だから、お父様はこう考えたのでしょう? 『発動者の願いと代償を受け取るべき器=愛する者』が存在しない願いはどうなるのか……」
「『ラピスラズリの杯』の理は揺らがない……願いと代償は、必ず“愛する者”を通して発動する。だが、その愛する者がすでに消えていた場合、杯はどう動くのか――存在が消えてしまった愛する者の願いを叶えることで、その理を果たすだろうと、私は考えたのだ」
「杯の力の本質が……愛だから。たとえ元の願いの形が捻じ曲げられたとしても、“愛する者”を成就へと導こうとするのでしょうか?」
「そうだろう。愛する者の願いを叶えることは、元の杯の力の発動者の願いを叶えるのと同じなのだよ。『ラピスラズリの杯』にとってはな」
「認めたくはないけれど、死の間際でさえジョセフへの想いが私の中に残っていたのですわ。杯はその想いを掬い上げた。そして、私が命尽きる時に願ったことは、『今度こそ、幸せになりたい』だった――」
「それで、『ラピスラズリの杯』はユージェニーの時間を巻き戻したのだな……。私は……愛する娘を大切にしてくれる人と生きてほしいと願ったのだ」
もう目の前には、金と銀の細工が幾重にも施された皇宮の門扉が迫っていた。
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