空回り(二十一)
シャワーを浴びてサッパリすると、少し早いが寝巻きに着替えて座布団に飛び込んだ。
隣の部屋からは、さっきからピアノの音が聞こえている。
その演奏は、多分両手両足で弾いていて、今の『ジャララン』は、何か道具でも使ったのだろう。
だからそれは、当然の様に友香里の知らない曲である。
それは構わない。それに、いつもそうなのだ。
あっ、終わった。と思ったら、直ぐにまた始まる。
しかしまぁ『ここの住人』は、知らない曲しか演奏しない。
友香里にも判っている。判り切っていることなのだが。
自分と姉の様に、呆れる程『大きな差』があることを。
そして隣から聞こえてくるピアノは、姉以上に差があることを。
それでも友香里には、許せない点が二つある。
一つは、あの馬鹿野郎が『創作活動に入らなかった』ことだ。
また聞こえて来た『ジャララン』。お気に入りなのか。
いや違う。あれは『ピアノの練習』をしているのであって、『作曲』をしているのではないだろう。
友香里は、凄く舐められていると感じる。
もう一つは、姉の有加里だって『ピアノさえ』あれば、あんな音がしたに違いない、と言う点だ。もう、ずるいではないか。
友香里はうつ伏せの姿勢から、溜息をしながら転がって、ぼんやりと天井を眺める。
うむ。二つ目の方は、いささか理不尽であったかもしれない。
『古いオルガン』が家にやって来た時、有加里が父に飛びついて喜んでいたのを友香里は思い出して、それは取り下げることにした。
あんなに喜んでいた姉の姿は、後にも先にも見たことがない。
多分それが、どんなに古くても『ピアノ』だったとしたならば、有加里は嬉しさの余り、そこで死んでしまったことだろう。
友香里は姉の笑顔を思い出して微笑み、そして一人納得して、寂しそうに頷く。
「よし、先手必勝!」
プロである友香里は、既に先手を打っていた筈であるが、心も鉛筆も新たに、気持ちを切り替える。
「先ずは詩からだなっ!」
姉から貰った『鉛筆削り』で、バッチリ削った鉛筆を持ち、友香里はノートに向かう。
そして題名と、最初のフレーズを書き込んだ。幸先が良い。
次の瞬間、目の前に『笑顔の姉』が再び現れて、一緒に花畑で遊んでいる風景が広がった。
はっと気が付くと、目の前の時計が何故か十五分進んでいる。
おかしいなと思いながら、友香里は時計を合わせようとテレビを点けたのであるが、何と意外にも、時計は大体『正確』だった。
それでも『せっかくだから』と、天気予報の後に表示される『時報』に時計を合わせるつもりの友香里である。
気が付いたら時計を持ったまま、三十分経っているではないか。
友香里はテレビを消し、時計を転がした。
もう一度机の前に座り直し、鉛筆を鼻と唇の間に挟んで鏡を見る。その隣には、にこやかに笑う有加里と安田の写真があった。
この写真立ては、そのままにしてある。
「ちょっと参考にしても良い?」
友香里は『鏡に映る有加里』に声を掛けると、本棚に立て掛けてある『姉のノート』に手を伸ばす。
一瞬、有加里の目が怖くなった気がして、友香里は直ぐに手を引っ込める。誰に見られているでなしに、頭を掻いて髪を整えた。
とびきり優しい姉だったが、宿題をやってくれたことはない。
友香里は片目を瞑ると、笑顔でゲンコされたのと同じ所を、自分の拳で叩いた。




