卒業
卒業式当日、アカデミーの講堂には、春の柔らかな日差しが差し込んでいる。
それなのに、私の肌をなでる空気はどこまでも白々しく、寒々しい。
静かすぎる。
本来なら、未来へ旅立つ若者たちの高揚や、惜別の涙が溢れているはずの式典。
けれど今日この場にいる誰もが、ある一人の存在、私を強く意識していた。
公爵家令嬢。
そして“白銀の令嬢”。
壇上へと続く中央通路。
私は、一歩、また一歩と静かに歩みを進める。
背に流れる白銀の髪。
紅く揺らめく双眸。
そして、漆黒の式典用ドレス。
私の意思とは無関係に、足を踏み出すたび床石には薄く霜が広がっていった。
ざわり、と空気が揺れる音が聞こえる。
けれど、誰も声を上げない。
悲鳴も、ささやき声さえも。
恐れているのだ。
私を少しでも刺激すれば、この場に何が起こるか分からないと。
───静か。
私はゆっくりと瞳を伏せた。
吹雪は起きていない。
窓硝子も凍っていない。
私の魔力は、私という肉体の檻に辛うじて制御されている。
けれど、誰も私に近寄ろうとはしない。
最前列に座る下級生たちが、私の進路から逃げるように椅子を僅かに引く。
教師たちの浮かべる笑顔は、剥製のように硬い。
まばらな拍手すら、どこか恐る恐る、様子を伺うように響いていた。
その光景が、何よりも雄弁に私に突きつけてくる。
───ああ。
“普通”が私にはこんなにも遠い。
暴走より恐ろしいもの。
それは、周囲が私という異質さを“受け入れてしまった”ことだった。
人ではなく、怪物として。
令嬢ではなく、危険物として。
あるいは、国そのものを揺るがしかねない災厄という現象として。
皆が、私の存在に慣れ始めている。
その事実が、私の胸をどんな冷気よりもひどく冷やした。
壇上中央。
国王陛下が、静かに卒業証書を手に取る。
その隣には宰相──私のお父様。
お父様は何も言わなかった。
私を一度もその瞳に映さない。
そこにあるのは娘を祝う父親の顔ではなく、国家を守る宰相としてここに立っている、非情な仮面だった。
「レティシア・トムソン・イーデン」
低く重い声が私の名を呼ぶ。
私はその場に跪いた。証書を受け取るために伸ばした指先から、じわりと冷気が滲み出る。
羊皮紙の端が、音もなく白く凍りついた。
講堂の空気が、一気に張り詰める。
けれど、国王陛下は顔色一つ変えなかった。
その瞳にあるのは王としての、重く静かな沈黙。
「……卒業を認める」
その声だけが、静かに響いた。
「光栄に存じます」
私は淑女として完璧な礼を返した。
その姿は、客観的に見ればどこまでも美しかっただろう。
だからこそ、余計に恐ろしかったはずだ。
人ではないものが、人の形を完璧に演じているようで。
席へ戻る途中。
ただ一人、フレデリックだけが真っ直ぐに私を見つめていた。
そこには、周囲が向けるような恐怖も憐憫もない。
ただ一点、狂おしいほどの執着だけを宿していた。
───本当に、救いようのない方。
私は、彼にだけ分かるように微かに笑った。
式典終盤。
進路発表の時間が訪れる。
本来であれば、ここで私が王太子妃教育課程へ正式に移行することが告げられるはずだった。
だが、読み上げ役の官僚は異様な緊張を滲ませながら羊皮紙を開く。
「……レティシア・トムソン・イーデン嬢」
講堂の空気が、さらに密度を増して静まり返った。
「同令嬢は卒業後、王家管理下へ移送。西方離宮において無期限静養処置──」
ざわり、と会場が揺れる。
静養。
この場にいる誰もが、その言葉を額面通りには受け取らない。
それは実質的な隔離。
永久の監禁。
国家による、危険指定。
私は、ただ静かに瞳を閉じた。
国王陛下は深く目を閉じ、すべてを引き受けるように微かに顎を引いた。
宰相であるお父様は、苦々しく視線を床へと伏せた。
窓の外では、残酷なほどに明るい春の陽光が降り注いでいる。
なのに、私が立つこの中心だけはひどく寒かった。
卒業。
それは新しい世界への門出ではない。
白銀の令嬢が、国家という名の巨大な檻へ正式に組み込まれる日だった。




