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春を壊す手

物理的な雪が止んだ後も、私の周囲だけは終わることを知らなかった。


学生会室の扉が静かに開いた。

入ってきたのはエレノアだった。


「レティシア様。……ソフィ様からの贈り物です。庭園で採れたという、早咲きのクロッカスを預かりました」

エレノアが静かに差し出す。


私は一瞬だけ、息を止めた。

箱の中には、可憐な薄紫のクロッカス。

まだ少し幼い文字で書かれた手紙も添えられていた。


『レティシア様お姉様。お庭のお花を送りますね。また一緒にお茶が飲みたいです。』


胸の奥が、ゆっくりと、けれど確かに軋む。

「……優しい子」

こんな、生きているだけで周囲を凍えさせる化け物を、まだ本気で待っていてくれるなんて。


私は震える指先を伸ばした。

その優しさに、ほんの少しだけでも、この手で応えてみたかったのだ。

そっと、花へ触れる。


瞬間。


パキ、と。

無慈悲な音が響き、柔らかな花弁が白く凍りついた。

次の瞬間には、生命の輝きを失った硝子細工のように音もなく砕ける。


「……っ」

室内が静まり返る。

エレノアが、何かを言いかけて口を止めた。


私は、床に散った砕けた花を見下ろす。

それは凍りついてなお、綺麗だった。

柔らかくて、小さくて、春そのものみたいだった。


なのに、私が触れた途端、壊れた。

私の指先には、愛おしむという機能さえ残されていないのだ。

 



───知っていたはずなのに。

自分がもう、温かな生命を愛でる資格など失った怪物なのだと。

それでも、この胸のどこかで淡い期待を抱いていた自分が、何よりも浅ましく思えた。


「レティシア様……」

エレノアの瞳に、深い悲しみが宿る。


私は、自分の手が。

ソフィ様が送ってくれた真心を一瞬で無慈悲な欠片に変えてしまったこの手が、恐ろしくてたまらなくなった。

 

この手は、いずれフレデリックさえも凍てつかせるのだろうか。

私を信じて側にいてくれるエレノアを、命を削ったルーカスを、これ以上どれだけ傷つければ済むのだろうか。


「……これが現実よエレノアさん。ソフィ様純粋な祈りさえ、私はこうして踏みにじることしかできない」

私の激しい自責の念に呼応するように、室内が急激に冷え込む。

壁には白い霜が走り、豪華な調度品が歪な悲鳴を上げる。

窓ガラスがミシミシと音を立てて歪み、外の景色が白く塗りつぶされていく。


もう、戻れない。

ソフィ様の待つ、あの陽光に満ちた庭園へも。

温かな誰かの隣へも。


私は静かに目を伏せる。

すると背後から、ルーカスの冷徹な声が落ちた。


「だから言ったでしょう。あなたはもう“普通の幸福”へ近づかない方がいい」

私を責める声音ではない。

ただ、変えようのない事実を告げるだけの、静かな声だった。

 

「……わかっていますわ。そんなこと、痛いほどに」

 私は、もはやほとんど形を留めていないクロッカスの欠片を見つめた。


ルーカスの言う通りだ。

私が幸福を望めば望むほど、周囲の温度は反比例して下がっていく。

私の“生”は、誰かの“死”や“犠牲”の上にしか成り立たない、欠陥だらけの天秤なのだ。


足元へ落ちた紫の花弁は、溶けることなく、鋭い白い結晶のまま床へ散らばっていた。

それはまるで、私の未来を暗示する破片のよう。


世界は芽吹き、鳥たちが歌う準備を始めているはずなのに。

私の周囲だけ、冬が終わらない。

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