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白銀の帰還

アカデミー白銀の令嬢が帰ってきた。

その噂は、わずか半日で広大な校舎の隅々まで駆け巡った。


「見たか?あの姿……」

「髪が、あんなに真っ白に」

「瞳も紅かった。まるで血の色みたいに」

「本当に……“災厄”の依代になったんじゃないのか?」


廊下のあちこちで、波のように広がる囁き声。

それはかつて私に向けられていた、羨望や感嘆を含んだ色彩とは根本から異なっていた。


以前のレティシア・トムソン・イーデンは、誰よりも完璧な公爵令嬢だった。

けれど今、壁際で私を見つめる視線の中には隠しようのない恐怖と、異物を排除しようとする本能的な拒絶が混じっていた。




───……


学生会室。

かつてフレデリックが主として君臨していたその部屋は、今や私のための“檻”に近い。

静まり返った室内で、私は一人窓際へと座っていた。

硝子の端には、私の吐息に呼応するように薄い霜が張り付いている。


無意識だった。

呼吸をする。

ただそれだけの行為で、私の内側から冷気が漏れ出して世界の熱を奪い去っていく。


「……お茶を、お持ちしました」

控えめな、けれど震える声。

振り返ると、そこにはソフィ様がいた。

大切そうにティーセットを抱えて立っている。


「ソフィ様」

「ハーブティーです。……以前、レティシアお姉様がお好きだと仰っていたブレンドを見つけてきましたの。もう私は帰らないといけないので、お渡ししたくて……」


彼女の笑顔は、僅かに引きつっている。

怖いのだ。

私という存在が、今のこの禍々しい魔力が。

それでもソフィ様は私の瞳から逸らさず、そこから逃げ出さなかった。


私はゆっくりと視線を伏せた。

「……近づかない方がよろしいですよ。ソフィ様が怪我をしますわ。……それに、怖いでしょう?」

「嫌です」

即答だった。

彼女は小さく、けれど深く息を吸い込む。


「確かに、怖いですわ。でも、それ以上に……今のレティシアお姉様が、あまりにお辛そうで。……私、おそばにいたいんです」


その瞬間。

私の凍りついた胸の奥が、みしりと音を立てて軋んだ。


「……ありがとう、ございます」

掠れた声がこぼれ落ちる。

ソフィは困ったように、けれどどこか嬉しそうに笑った。


学生会室を支配していた重苦しい空気が、ほんの少しだけ和らぐ。

けれど。


パキ、と。

乾いた無機質な音が響いた。

ソフィ様が差し出そうとしたティーカップの表面に、白い霜が急激に広がっていく。


「あ……」

彼女の顔が強張る。

熱を持っていたはずの磁器は瞬時に熱を奪われ、凍りつき、蜘蛛の巣のような細かな亀裂が走った。


私は咄嗟に立ち上がる。


「触らないで!」

叫びと同時に、私の制御を離れた冷気が爆発するように弾けた。

室温が一気に氷点下まで叩き落とされる。

窓硝子は一瞬で白く染まり、床の絨毯の上を白い霜が這い回る。

ソフィ様が息を呑み、肩を震わせた。


しまった。

感情が揺れた。

ただそれだけで、またこの“化け物”が顔を出す。


私は唇を噛み締める。

俯いた私の白銀の髪が、情けなく震えていた。


「やはり私は、ここへ戻るべきでは……人の中にいてはいけないのですわ」

「そんなことありません!」


ソフィ様が、張り詰めた声を上げた。

私は驚きに目を見開く。

ソフィ様自身も自分の声に驚いたように肩を揺らしたが、それでも彼女は私から目を逸らさなかった。


「レティシアお姉様は、ちゃんと戻ってきてくださいました。私たちの元へ」

震える声。

けれど、その響きはどこまでも真っ直ぐだった。


「だから私は、嬉しいんです。生きていてくださって、本当に……」


その言葉に。

私は、何も返せなかった。

胸の奥に灯った微かな熱が、涙となって溢れ出すのを堪えるのが精一杯だった。




───……


その日の午後、学生会室の扉が遠慮のない勢いで押し開かれた。


「レティシア様!」

飛び込んできたのはエレノアだった。

彼女は私の姿を一目見るなり、あからさまに表情を曇らせる。


「……やっぱり、魔力回路がまだ安定していないんですね。部屋中が冬のようです」


私は、仮面を被るように薄く笑った。

「貴女のご期待に添えず申し訳ありませんわ。これでも精一杯抑えているつもりなのですが」

「ふふ、そんな嫌味な皮肉を言える気力があるなら、少し安心しました」


エレノアはそう言い返しながら、一点の躊躇もなく歩み寄る。

そして、古めかしい装飾の施された護符を机へ置いた。

淡い、黄金色の温かな光が室内に広がる。

その瞬間、部屋を蝕んでいた刺すような冷気が僅かに和らいでいくのが分かった。

私の瞳が、戸惑いに揺れる。


「……光属性の、中和術式?」

「はい。今のレティシア様には必要でしょう?暴走緩和用の、私の特製です」


エレノアは真っ直ぐに、私の紅い瞳を見つめる。

その瞳の中に、怯えや蔑みといった色は微塵もなかった。


「私、ずっと考えていたんです」

「何を?」

「どうしたら、貴女を独りにしないで済むか。どうしたら、その重荷を少しでも肩代わりできるか」


その言葉に、私の指先が小さく震えた。

「……エレノアさん」

「私は、レティシア様みたいに完璧な令嬢にはなれません」


エレノアは自嘲気味に苦笑する。

「貴女のように強くないし、賢くもない。いつもレティシア様に助けられてばかりでした」

けれど、と。

彼女はさらに一歩、私との距離を詰めた。


「それでも、支えたいと思ったんです。私の光が、少しでも貴女の冬を溶かせるのなら」


真っ直ぐな光だった。

眩しくて、直視できないほどに痛くて。

私は思わず視線を逸らして目を伏せる。


「……私を支えれば、貴女まで壊れますわよ。今の私の魔力には……」

「壊れる時は一緒です!一人で壊れるよりは、ずっとマシですよ!」


あまりにも当然のように返され、私は言葉を失った。

本当に、どうしてこの人たちは。

どうして皆、こんなにも救いようのない私を離してくれないのだろう。




───……


夕暮れ時になり、

皆が去った学生会室で、私は手鏡を見つめていた。


白銀の髪。

燃えるような紅い瞳。

鏡の中に映る姿は、以前の自分とはまるで別物だ。

もう、普通の人間には戻れない。

きっと一生、この異質な力と、呪いと共に生きていくしかない。


「……はぁ」

小さく、重い吐息がこぼれる。

すると、背後から静かな声が降ってきた。


「疲れたか?」

振り返ると、そこにはフレデリックが立っていた。

私は少しだけ目を細め、力なく頷く。


「……ええ。存分に」

正直な答えだった。

殿下はゆっくりと私へと歩み寄る。

けれど、不用意に触れることはしない。

指一本触れるだけで、また私が自分を呪い私を苦しめることになると知っているから。

その慎重な、けれど確かな温もりを感じる距離感が、少しだけ切なかった。


「それでも」

フレデリックは静かに、けれど慈しむように言った。

「君が帰ってきてくれて、僕は心から嬉しい。……おかえり、レティ」


睫毛が激しく揺れる。

胸が痛い。

喉の奥が熱くなり、視界が滲んでいく。


「……殿下」

「うん」

「私……また壊れるかもしれませんわよ。今度は、もう直せないほどに」

「その時は、何度だって僕が支える。君が君であることを諦めない限り、僕は絶対に離さない」


迷いのない声だった。

私は思わず、小さく笑った。

本当に、どうしようもなく、この人は眩しくて困ってしまう。


窓の外では、夕闇に溶けるような白い雪が静かに降り続いていた。

けれど。

凍りきった世界の中で、レティシア・トムソン・イーデンは、ほんの少しだけ……もう一度“明日”を迎えたいと思い始めていた。

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