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再会

王都からの使者が到着したのは、雪がしんしんと降り積もる冷え切った朝のことだった。


修道院を包む空気は、逃げ場のないほどに重い。

扉の向こう側から漂ってくる凍りついた気配に、誰もがその訪問が良い知らせなどではないことを肌で理解していた。


「王宮魔術院、並びに貴族院連名による通達です」

使者は私たちが展開している結界の外側で立ち止まり、感情を排した声で淡々と告げる。


「レティシア・トムソン・イーデン嬢を、特級危険指定対象として保護隔離する」



 

保護。

その言葉があまりに白々しく響き、私の隣でフレデリックの眉がぴくりと動いた。

「隔離場所は王宮地下深層。厳重な封印術式管理下に置き、外部との接触を一切禁じ───」


「黙れ」

低く、地を這うような声だった。


空気が物理的に震え、使者が言葉を詰まらせて息を呑む。

フレデリックは氷の楔を打ち込むような冷え切った瞳で、使者を見据えていた。

「彼女は罪人ではない。保護という名の投獄を認めるわけにはいかない」

「しかし殿下、既にこの周辺地域での魔力被害は無視できない段階に───」


「被害、だと?」

彼が一歩前へ出る。

その背中から溢れる黄金の威圧感に、使者は思わず後ずさった。


「彼女が自らの意志で、誰かを傷つけたというのか。彼女が望んでこの力を振るったとでも言うのか」

使者は答えられない。

その沈黙こそが、彼らが私を“意志を持つ人間”ではなく“制御不能な現象”として見ている証拠だった。




───……


部屋の奥の少し離れた影の中から、私は静かに先程の使者の話を思い返していた。

窓辺の椅子に腰を下ろす私の白銀の髪へ、雲間から漏れた薄い朝日が落ちる。


我ながら、今の自分は綺麗だと思った。

血の気のない肌に、不気味なほど鮮やかな紅い瞳。

恐ろしいほどに透き通り、まるで人ではない何かの器になってしまったかのように。


「……隔離」

小さく呟いた。

驚きも怒りも湧いてこなかった。

むしろ、当然の結果だという納得があった。


触れるだけで人を傷つけ、感情がわずかに揺れるだけで周囲の空間を凍らせてしまう。

そんな爆弾のような存在を、王宮が野放しにできるはずがないのだ。


「……レティシア」

傍らに立つルーカス先生が私を見た。

彼の顔色は依然として悪く、左腕の侵食痕は、毒のようにじわじわと広がっている。

私のために身を削り続けている、その痛々しい姿に胸が軋む。


「どうされますか」

私は静かに目を伏せた。

「……受け入れるべきですわね。これ以上、皆様を危険に晒すわけにはいきませんもの」




その瞬間、室内の空気が一気に張り詰めた。


「レティ」

フレデリックの声が鋭くなる。


「本気で言っているのか。あんな、日の当たらない地下に閉じ込められることを」

「では、どうしろとおっしゃるの?」

私は笑った。

乾いた、ひび割れた氷のような笑みだった。


「私は歩くだけで周囲を凍らせ、夜眠れば発作を起こして魔力を撒き散らす。呼吸をするだけで、隣にいる方の熱を奪い去ってしまう」

私はゆっくりと顔を上げた。

揺れる紅い瞳で、フレデリックを真っ直ぐに見つめる。


「……こんなもの、どこか遠くへ閉じ込める以外に、どうしろと言うのですか」

沈黙が落ちる。

フレデリックは拳を白くなるほど強く握り締めた。


否定したいはずだ。

守ると誓った彼女が、自分から檻に入ろうとしていることに。

けれど現実として、私の魔力は既に一人の人間の手に負える範疇を越え、国を脅かしかねない規模に達していた。




その時だった。


「ならば、条件を変えればいい」

静かな、理知的な声。

ルーカスだった。

全員の視線が彼へ向く。


「王宮地下への完全封印ではなく、監視付きの限定帰還を提案します」

「何だと?」

「……学園内限定で、彼女を生活させるのです。術式による厳重な結界管理、魔術院による二十四時間の監視、そして行動制限。それらを付帯させた上での学園帰還です」


騎士がが顔をしかめ、声を荒らげる。

「正気ですか。あの危険な魔力を多くの生徒が集まる学園へ戻すなど──」

「逆です」

ルーカスが冷徹に言葉を遮った。


「完全に閉じ込めれば、彼女の精神は今度こそ壊れる。魔力と精神は密接に繋がっているのです。彼女が自分を失えば、それこそ封印を突き破る最悪の暴走を招くことになる」

その言葉に、私の瞳が僅かに揺れた。


「人は、完全な孤立には耐えられない」

ルーカスは私を見つめたまま静かに続ける。


「特に彼女は今“自分が人である”という感覚を、他者との繋がりで辛うじて保っている状態だ。そこを断てば、待っているのは本物の怪物への変貌だけだ」


だから。

完全隔離は救済ではなく、人格の処刑に近い。

彼の言葉には、私の“人としての尊厳”を死守しようとする、執念のような響きがあった。




───……


数日後、条件付きの学園帰還が決定した。


異例中の異例。

フレデリックの退位をも辞さない強硬な介入と、ルーカスによる全責任を負った術式管理。

それらが合わさって、辛うじて成立した危うい妥協案だった。


だが当然、王都の空気は冷たい。

馬車の窓の隙間から、見えない悪意が忍び込んでくる。


白銀の災厄。

呪われた令嬢。

人の形をした怪物。


そんな不穏な噂が既に街の隅々まで広がり始めていることを、私は感じ取っていた。




学園へと向かう馬車の中。

私は流れていく雪景色を、ただ黙って見つめていた。

震える指先を隠すように、膝の上で手を組み替える。


「……怖いですか」

隣に座るルーカスが静かに問うた。

私は少しの間を置いた後、自嘲気味に小さく笑った。


「ええ。とても」

声が掠れる。

「皆様が、私を見るのが。どんな目を向けられるのかを考えると胸が冷えて、震えが止まりませんの」


化け物を見る目。

恐怖する目。

汚らわしいものを見る目。


かつての私に向けられていた賞賛や憧れが、すべて拒絶に反転する瞬間。

それを想像するだけで、肺の奥まで凍りつきそうになる。


すると、向かい側に座っていたフレデリックが静かに私の手へ触れた。

今度は私の冷気が伝わらないよう、幾重もの魔導術式が施された厚い布越しだった。


「大丈夫だ」

低く、確かな温度を持った声。

「何があっても、私は君の側を離れない。君を独りにはしない」


その言葉へ、私は答えられなかった。

ただ、ほんの少しだけ。

心臓の奥の震えが、弱まったような気がした。




───……


アカデミーに馬車が正門へ到着した瞬間、あたりには波打つようなざわめきが広がった。

門をくぐり姿を現した私を見て、生徒たちが一斉に息を呑む。

 

月光を纏ったような白銀の髪。

燃えるように鮮やかな紅い瞳。

以前の“レティシア・トムソン・イーデン”とは別人のような、近寄りがたいほど圧倒的な存在感。


私はゆっくりと、一歩ずつ馬車を降りる。

その瞬間、私の足元から周囲の空気が僅かに冷えるのを感じた。


誰かが怯えたように後ずさる。

誰かが慌てて目を逸らす。

そして誰かが、震える声でその言葉を囁いた。


「……災厄」


胸を、冷たい針で刺されたような痛みが走る。

睫毛を伏せ、地面を見つめる。

やはり、そうなってしまう。

私がいるだけで、皆を不幸にしてしまうのだ。

そう思った、その時だった。


「──お姉様!!」


聞き慣れた、明るい声。

振り返ると、そこには涙で瞳を潤ませながら全力でこちらへ駆け寄ってくるソフィ様の姿があった。


周囲の教師や生徒が「危ない!」と制止するのも聞かず、彼女は真っ直ぐに私へと飛び込もうとしてくる。


「ソフィ様!来ないで!」

思わず声が上擦る。

今の私に触れれば、ソフィ様が凍えてしまう。

止めなければ。


けれど、彼女は迷わなかった。

私のすぐ目の前で立ち止まり、弾けるような笑顔と、今にも溢れそうな涙を顔いっぱいに浮かべる。


「お帰りなさいませ……!ずっと、ずっとお待ちしておりました……!」

震える声。

泣きそうな、けれど心からの歓迎。

その真っ直ぐで温かな感情が、凍てついていた私の胸を強く揺らした。


内側から溢れ出そうとしていた冷気が、ほんの少しだけ熱を取り戻す。

そこで私は初めて気づかされた。


私はまだ、完全には人間を辞めきれてはいないのだと。

私を待ってくれる人が、まだこの世界に残っているのだということを。

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