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sideフレデリック

国境付近の森は、完全に死んでいた。


数週間前までは生命の萌芽を待っていたはずの広大な樹海が、今はただの巨大な氷の彫刻へと成り果てている。

木々は芯まで白く凍結し、地面を覆うのは季節外れの分厚い雪。

だが、それは自然の雪ではない。

空気そのものが、鋭利な刃物のような異常な魔力を孕んでいる。


「……っ、寒すぎる……!身体が、動かない……!」


後方に控えていた精鋭騎士の一人が、耐えきれずに膝をついた。

吐息さえ吐いたそばから凍りつくような、絶望的な冷気。


これはもはや気象現象ではない。

まるで森全体が外部の干渉を激しく拒絶し、侵入者を殺そうとしているかのようだった。


だが、私は一度も足を止めなかった。


「先へ進む」

「殿下!危険です!これ以上の進軍は魔力防護壁が持ちません!」

「分かっている。だが止まる理由にはならない」


突き刺さるような制止の声を背に、私は雪を深く踏みしめて進む。

立ち塞がる凍結した木々へ、薄汚れた手袋のまま触れた。

その瞬間、パキ、と乾いた音を立てて枝が砕け散る。


その断面から冷気に混じって漂う、微かな、けれどあまりにも馴染み深い魔力の残滓。

見間違えるはずがない。

私の魂がその主を記憶している。




───レティ。


間違いない。

彼女は、この先にいる。


その瞬間だった。

森の奥から大地を揺らすような獣の咆哮が響き渡った。

霧の中から姿を現したのは、この森の主だったであろう巨大な熊の魔物。

けれど、その異様な姿に騎士たちが息を呑む。


その身体は、半分以上が青白い氷に覆い尽くされていた。

苦痛に歪んだ眼。

血管の代わりに氷の蔦が全身を這い回り、本来の理を無視して暴走している。


魔力汚染。

彼女から溢れ出した冷気が、周囲の生命を無理やり塗り替えてしまったのだ。


「総員、迎撃──! 殿下をお守りしろ!」

騎士団が即座に陣形を組む。

だが、抗えるはずもなかった。


次の瞬間、地面から牙のような鋭さで吹き上がった冷気が最前線の一人の騎士を飲み込んだ。


「が、ぁっ!!」

悲鳴は一瞬で途絶えた。

鎧ごと、その内側の肉体ごと、一瞬にして氷像へと変わり果てる。

逃げ場のない空気が、きしきしと悲鳴を上げる。


「下がれ!!」

私は即座に自身の魔力を解放した。


黄金の光。

冷徹な冬を拒絶する燃えるような王族の魔力が、押し寄せる冷気を強引に押し返す。

私の周囲だけが、辛うじて生命の温度を保っていた。


けれど、これだけでは足りない。

森そのものが、レティシアの底知れない魔力へ深く深く侵食されている。

人の身が編み出す魔力では、この巨大な絶望には長くは持ちこたえられない。


「……殿下、撤退を!これ以上の深追いは全滅を意味します!」

副団長が必死の形相で叫ぶ。

「この先は、人の踏み込める領域ではありません。危険すぎます!」


私は黄金の光の向こう側、白い霧に閉ざされた森の深淵を見据えた。

視界は最悪だ。

だが、その向こう側に、確かに感じる。


凍え、震え、自分自身を呪いながら泣き叫んでいるような、彼女の魔力。

私を呼び、同時に「来ないで」と拒絶している、愛おしい少女の悲鳴。


「……お前たちは戻れ」


静かな声だった。

混乱と怒号が飛び交う中で、その言葉だけが不思議と透き通って響いた。


騎士たちが驚愕に目を見開く。

「殿下!?」


「ここから先は、私一人で行く。……いや、私にしか行けないんだ」

「正気ですか!この魔力密度の中に独りで入れば、命の保証はありません!」


正気ではない。

そんなこと、本人が一番分かっている。


今の私の瞳には、周囲を威圧する理知など残っていないだろう。

ただ、一点だけを見つめる狂気と消えることのない残火のような執着があるだけだ。

それでも。


「レティが待っている。……いや、待つことさえ諦めて、一人で凍えているんだ」

私は腰の剣を抜き放った。

溢れ出す黄金の魔力が、猛吹雪を真っ二つに裂く。


「……必ず迎えに行くと、決めたんだ。どんな代償を払ってでも」


そうして私は、誰も踏み込むことを許されない凍土の奥へと。

たったひとつの誓いだけを抱いて、たった一人で歩き出した。

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