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sideフレデリック

王都では、未だにあの夜の混乱が収まっていなかった。


アカデミーの時計塔が一晩にして瓦礫の山へと変わり果ててから五日。

その事実は、王国の安寧を揺るがす巨大な亀裂となって民衆の間に広がっている。

王城内では魔術師団と騎士団の幹部による緊急合同会議が、昼夜を問わず続けられていた。

重苦しい沈黙と焦燥に駆られた怒号が支配する会議室のその中心で私はただ一点、地図の空白を見つめていた。


「……まだ、見つからないのか」


自分でも驚くほど低く、冷たく乾いた声が出た。

喉の奥がひび割れ、声を出すたびに血の味がする。


報告に来た騎士が私の視線を恐れるように、あるいは同情を隠しきれないように深く顔を伏せる。

「……申し訳ございません。北方街道にわずかな冷気の魔力痕跡を確認いたしましたが、その先で……まるで存在そのものがこの世から消え去ったかのように、ぷっつりと途絶えております。強力な隠蔽術式、あるいは転移門が使われた形跡も……。現在、周辺の村々を含め総力を挙げて聞き込みを行っておりますが、馬車の目撃情報すら得られておりません」


机に広げられた古ぼけた地図には、私自身の手で書き込まれた無数の印と想定される捜索ルートが、執溺なまでに刻み込まれている。

その線の重なりは、私の混乱した思考そのもののように入り乱れていた。


この五日間、私はほとんど眠っていない。

鏡を見るまでもなく、目の下には消えない隈が深く刻まれ頬は削げているのが分かった。

端整と言われてきた髪は輝きを失って乱れ、常に隙のなかった制服も、あの夜の煤や埃がついたまま皺だらけで乱れている。

周囲の制止や侍従たちが運んでくる食事など、今の私の耳には届かない。

レティシアを失ったこの世界で、私一人が温かな寝所に入り空腹を満たすなど、そんな不敬が許されるはずもなかった。


「捜索範囲をさらに北へ拡大しろ。隣国との国境付近にまで、騎士団の精鋭を増員して派遣するんだ。魔道探知に長けた者も追加しろ」

「ですが殿下、流石にお身体が限界です。騎士団も疲弊しておりますし、陛下からも一度、殿下を休息させるようにとのお達しが──」

「構わないと言っているだろう。見つかるまで私はここを動かない。続けろ」


即答だった。

騎士が小さく息を呑む。

今の私の瞳には、おそらく狂気にも似た昏い執着が宿っているのだろう。

部下を威圧し恐怖させるような眼差しを向けている自覚はあったが、それを修正する余裕すら今の私には残されていなかった。


私は地図を掴むように机へ手をつき、苦しげに目を伏せた。

指先が微かに震え、地図の紙面を無意味に掻く。




「……あの時、気づくべきだったんだ」

掠れた声が、乾いた指先から零れ落ちる。


───レティはずっと。

私の想像も及ばないような地獄の中で震えながら苦しんでいたのに。

誰よりも助けを求めていたのは、彼女だったはずなのに。


誰よりも近くにいたはずだった。

世界で一番彼女を愛し、守り、理解していると傲慢にも自負していた。

それなのに、私は何も分かっていなかった。

彼女の指先がどれほど冷たくなっていたのか。

彼女が微笑むたびに、どれほど魂を摩耗させていたのか。


助けたいと願い、光を当てようと手を伸ばせば伸ばすほど。

私の“愛”という名の不躾な熱が彼女を追い詰め、彼女の形を壊していった。

彼女が怪物になったのだとしたら、その産着を編み揺り籠を揺らしたのは、他でもない私自身だ。

その残酷な事実が、鋭い氷の破片となって私の心を静かに、けれど確実に内側から切り刻んでいた。




「……レティシア様は、戻ってきますよね……?」

エレノアから不意に投げかけられた、微かな震えを帯びた言葉。

私は意識を、その問いが放たれた現実の応接室へと引き戻した。


ソファに深く腰掛けたエレノアの声は、今にも消え入りそうなほどに弱々しかった。

彼女は自分の両手を骨が浮き出るほど強く握り締め、膝の上で固く閉ざしている。

その瞳は幾度も泣き腫らしたのか赤く腫れ上がり、絶望と後悔が混ざり合った色に染まっていた。


「わたし……あんなに、あんなにレティシア様は苦しそうだったのに。わたしは……怖がって、近寄れなくて、何もできなくて……」

エレノアの言葉が途切れ、堪えきれない嗚咽が漏れる。


私は彼女の純粋な問いに答えることができなかった。

いや、答える資格など今の私にあるとは到底思えなかった。


戻ってきてほしい。

今すぐにでも彼女をこの腕の中に連れ戻し、二度と離さないと誓いたい。

その足跡を辿って、地の果てまで追いかけていきたい。




───けれど。


もし再び私が彼女を見つけ出し、その身体に触れれば。

またあの日のように彼女を絶叫させ、壊してしまうのではないか。

私が彼女を「愛している」と言えば言うほどその言葉が彼女を怪物へと変え、安らぎから遠ざける呪いになるのではないか。


暗い海の底に沈んでいくような恐怖。

自分が彼女にとっての救いではなく破滅そのものであるという自覚が、私の胸の奥底で毒のように静かに広がり始めていた。


「レティ……君は僕がいない場所でなら、安らかに眠れているのか?」


雨音だけが窓を叩く静かな部屋で。

私は届かぬ問いを暗闇の中に繰り返すことしかできなかった。

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