sideフレデリック
「禁書庫の閲覧許可を。今すぐにだ」
深夜の静寂が支配する王宮書庫の奥底。
石造りの冷たい空間に、自分でも驚くほど低く鋭い声が響いた。
受付で居眠り半分に記録をつけていた老司書が、弾かれたように顔を上げる。
「で、殿下……? しかし、あそこはたとえ王族であっても厳しい制限がございます。正当な手続きなしには、私の一存ではとても扉を開けるわけには……」
「責任はすべて私が取る。必要な手続きは事後にいくらでも書こう。今は一刻を争うんだ。開けろ」
即答だった。
いつもの温厚な微笑みなど、今の私の顔には一欠片も残っていないだろう。
戸惑い怯える司書を視線だけで圧し切り、私は重々しい音を立てて開かれた鉄の扉の先へと足を踏み入れた。
肺を突くような古い紙と埃の匂い。
灯した魔導ランタンの光が、禁忌の智慧を封じ込めた背表紙を舐めるように照らし出す。
私は棚の奥から手当たり次第に魔術書を引き抜いた。
重厚な机の上には、瞬く間に禁忌の書が積み上げられていった。
古代における魔力循環理論。
外部からの強制的な暴走抑制術式。
そして、魂の深淵に触れる魂魄干渉の秘術。
どれもが人知を超え、現代の魔導体系からは劇薬として排除された危うい知識だ。
一歩読み解き方を間違えれば、術者である私自身の精神すら無事では済まないだろう。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
───レティを……レティシアを、失うわけにはいかないんだ。
あの日中庭で私の手を拒絶した彼女の、あの絶望に満ちた瞳が脳裏に焼き付いて離れない。
震える指先、凍りついたインク瓶。
そして彼女の周囲に漂っていた、触れる者すべてを拒絶するような冷徹な魔力の残滓。
完璧だった彼女の形が、内側から溢れ出す力によって音を立てて崩壊しようとしている。
それをただ運命だと諦めて指をくわえて見ていることなど、私には到底できなかった。
公務という義務を果たしている間も、思考の半分は彼女を救うための数式と術式で埋め尽くされている。
視察中も会議中も、私の耳には彼女の悲鳴のような魔力の軋みが聞こえている気がした。
夜が来れば、私は死んだように眠る周囲を余所にこの薄暗い書庫に籠もった。
夜明けが窓を白く染め朝露が世界を濡らすまで、掠れた古代文字の海を泳ぎ、僅かでも彼女をこの世界に繋ぎ止める可能性に縋り続ける。
鏡を見る暇も身だしなみを整える余裕もなかった。
顔には影が差し、目の下には抜けない隈が深く刻まれている。
ペンを握り続けた指先は洗っても落ちないインクで真っ黒に汚れ、爪の間まで黒ずんでいた。
それでも、ページを捲る手は止まらない。
いや、止めることができなかった。
止めてしまえばその瞬間に彼女が手の届かない遠くへ消えてしまうような、言いようのない恐怖に胸が潰れそうだったからだ。
「……必ず、助けてみせる。私が君を、この檻から連れ出してみせるから」
独り言のように漏れたその声は、微かに震えていた。
それが愛ゆえの献身なのか、あるいは彼女を繋ぎ止めておきたいという独善的な執着なのか。
今の私にはもう判別がつかない。
ただ、この両手で彼女を掬い上げる。
そのためなら私は王族としての矜持も、これまで築き上げてきた名誉も、そしてこの身の安全さえも喜んで火の中に投げ出すつもりだった。
積み上げられた書物の影で、私の影が不気味に揺れている。
その呟きはもはや誓いというよりは、血を吐くような切実な祈り、あるいは自分自身を縛り付ける呪いにも似ていた。




