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静寂への依存

交流会当日、アカデミーは朝から刺すような華やかな熱気に包まれていた。

空は雲一つない青空が広がり、中央広場では軽快な音楽が鳴り響いて。

令嬢たちの色鮮やかなドレスが風に揺れている。

世界が幸福を煮詰めたような輝きを放つ中、その中心にはやはり一際眩い光を放つ二人がいた。


「殿下! そちらの梯子は危ないです、私が押さえますから!」

「はは、君こそ。さっきから足元が危なっかしいよ。また転びかけていただろう」

楽しそうな、弾むような声。

計算も打算もない、驚くほど自然な距離感。

フレデリックとエレノア、二人が並びただ言葉を交わすだけで、周囲の重苦しい空気が一気に柔らかく解けていく。

それは天賦の才とも呼ぶべき、周囲を幸せにする光景だった。


私は少し離れた日陰からその完璧な絵を眺めていた。

手にした扇を握りしめる指先に、力がこもる。


胸の奥が、古びた扉が鳴るように静かに軋む。

これが醜い嫉妬なのか、それとも抗えない未来に対する諦めなのか。

もはや自分でも判別がつかなくなっていた。

ただ一つ確かなのは、その光景を視界に入れるだけで一歩も動けなくなるほどの疲労が心に蓄積していくということだけだ。


「あ、レティシア様!」


不意に私を見つけたエレノアが屈託のない笑顔でこちらへ駆け寄ってくる。

その瞳には濁りのない心配の色が浮かんでいた。

「レティシア様、少し顔色が……。あちらのテントで休まれた方がいいですよ! 私、殿下にお伝えしてきますね」

「……大丈夫です。運営の確認がまだ残っておりますので。お気遣いなく」


反射的に頬の筋肉を動かして笑う。

鏡で何度も練習した凛とした、けれど慈愛に満ちた完璧な淑女の笑み。

エレノアは「そうですか?」と首を傾げながらも、またフレデリックの元へと元気に戻っていった。


彼女の背中を見送った直後、背後から強烈な暴力的なまでの疲労感が押し寄せた。

指の先が冷たくなり、視界がわずかに歪む。


───もう、無理だ。


気づけば私は自分の役割を放り出し、喧騒渦巻く人混みから離れていた。

重いドレスの裾を翻し、向かう先など脳で考えなくても足が知っている。




───……


北棟、旧図書室。

厚い木製の扉を開けた瞬間、冷ややかで重厚な静寂が私の身体を優しく包み込んだ。

外の音楽も笑い声も、何も届かない深い森の底のような場所。

そして窓際、いつもの特等席には変わらぬ姿があった。


「……また、逃げてきましたか」

ルーカス先生が感情の読めない瞳で本から顔を上げる。

私という存在をそのまま受け流す声。


それを聞いた瞬間だった。

朝から、あるいはもっと前から私の心を限界まで引き絞っていた見えない弦が、一気に緩んだ。


「あ……」

声にならない溜息が漏れる。

自分でも驚くほど心臓の鼓動が穏やかになっていくのを感じた。

身体から不自然な力が抜け、重く圧迫されていた肺がようやく必要な酸素を取り込んでいく。

呼吸が、楽になる。


私は縋るようにゆっくりといつもの椅子へ腰を下ろした。

そのまま、しばらくは一言も発することができなかった。

言葉にしようとすれば、情けない弱音が溢れ出してしまいそうだったから。


ルーカス先生も何も尋ねない。

「仕事はどうしたのか」とも「婚約者を置いてきていいのか」とも。

ただ、二人の間に紙の擦れる音だけが静かに流れる。


けれど今、私ははっきりと理解してしまった。

認めたくなかった。

けれど認めざるを得ない、魂の叫び。




───私は、ここへ来ると安心する。


殿下の隣にいるときよりも。

公爵令嬢として完璧に振舞っているときよりも。

ルーカス先生の前にいるときが、今の私にとって唯一の“生”を感じられる時間なのだという事実。


「……レティシア嬢」

「はい」

「今日は随分と疲れていますね。外面を繕う余裕もないほどに」

「ええ…。少しだけ、陽射しに当てられたようですわ」


嘘だった。

本当はもう立ち上がれないほどに、ひどく疲弊している。

フレデリックの隣に立つ義務感も。

周囲から注がれる期待の眼差しも。

エレノアが放つ救いようのない眩しさも。

そのすべてが私を摩耗させ、削り取っていく。


けれど、今はいい。

説明なんてしなくていい。

ここでは、誰からも羨まれる完璧な婚約者でなくてもいい。

国を背負う公爵家の令嬢として、正しくあろうとしなくてもいい。


ただ静かに不格好に息をしていても、この場所だけは、彼だけは、それを許してくれる。


私はゆっくりと瞼を閉じた。

瞼の裏に焼き付いた光を消し去り、この冷たく心地よい静寂へと沈んでいく。

その安堵感に抗えない自分をもう、否定することも拒絶することもできなかった。

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