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隣に馴染む光

数日後に控えた交流会の準備で、アカデミーはいつになく浮き足立った賑わいに包まれていた。

中庭には色とりどりの装飾が並び、普段は澄ましている令嬢たちも今日ばかりは頬を上気させて走り回っている。

私は学生会から預かった最終確認の書類を手に、喧騒の渦巻く中央広場を歩いていた。

手の中にある紙束の重みだけが、公爵令嬢としての私の“居場所”を辛うじて証明してくれている。


「レティシア様ー!」

不意に、弾んだ鈴を転がすような声が鼓膜を震わせた。

振り返ると、人混みを縫うようにしてエレノアが大きく手を振りこちらへ駆け寄ってくるところだった。

彼女は細い腕いっぱいに、摘みたての露を孕んだような瑞々しい花束を溢れんばかりに抱えている。


「見てください! 私も、噴水周りの飾り付けを任せてもらえたんです! 精一杯頑張りますね!」

「……それは良かったですわね。精が出ますこと」

「はい! ありがとうございます!」

眩しいほどに、一点の曇りもなく彼女は笑う。

その笑顔は陽光そのものだった。

影を寄せ付けず、ただひたすらに周囲を明るく照らす。

その無垢な熱に当てられ、私はわずかに視線を逸らした。


その、刹那のことだった。

「あっ」

石畳のわずかな段差に、エレノアが足を滑らせた。

抱えていた花束が宙へ舞い、彼女の体が大きく傾く。

周囲の生徒たちが息を呑み広場に緊張が走った、その直後──。


私の横を、一筋の風が通り抜けた。


フレデリックが驚くほど自然な一切の淀みのない動作で彼女の細い腕を支え、もう一方の手で落ちかけた花束を見事に受け止めていた。

まるで最初から彼女が倒れる瞬間を予見していたかのような、鮮やかな手際だった。


「危ない。怪我はないかい?」

「あ、ありがとうございます……! また、やっちゃいました……」

「慌てなくていい。君は時々、夢中になりすぎて自分の足元を忘れてしまうね」

困ったように、けれどどこか慈しむように、フレデリックがふっと目尻を下げる。

エレノアも顔を赤くして照れたように、けれど気負いのない親しみを持って笑い返した。


その場の空気はあまりにも恐ろしいほどに自然だった。

そこには無理に繕った気遣いも、相手の顔色を窺うような探り合いも、完璧な正解を求める緊張感も存在しない。

互いの呼吸さえもが風に揺れる花びらのように柔く、当たり前のように重なり合っている。

まるで、世界が始まったその時から二人の魂の波長が完璧に噛み合っていることを知っていたかのように。




───綺麗。

客観的に、そして絶望的にそう思った瞬間、胸の奥を鋭利な楔で打たれたような痛みが走った。

私は、彼の正妃となるべく“定められた”“破滅する”婚約者のはずなのに。

フレデリックの隣に立つ時、私はいつも無意識のうちに背筋を強張らせ、最善の言葉を脳内で精査し、張り詰めた緊張の糸を指先にまで巡らせている。

何を返せば正解か。

どう振る舞えば彼に相応しい、非の打ち所がない完璧な女性に見えるか。

そればかりを私は自分に課してきた。


けれど、エレノアは違う。

彼女はただそこにいて、等身大の自分で笑い、等身大の言葉で驚いているだけで、吸い込まれるように殿下の隣へ馴染んでしまう。

複雑な計算も痛々しい自制もなく、まるでパズルの最後の一片が、あるべき場所にカチリと収まるように。


「レティシア様?」

不意に、エレノアが気まずそうにこちらを振り返った。

その瞳には自分の幸福を誇示するような色など微塵もなく、ただ純粋な善意だけが宿っている。


「あの、もしよろしければ、レティシア様も一緒に飾り付けをしませんか? お花、とっても綺麗ですよ! 私に、レティシア様のセンスを少しだけ分けてください!」

無邪気な誘い。

悪意なんて、この広いアカデミーのどこを探しても一欠片も見当たらないような、純粋で残酷な好意。

だからこそ、それは私にとって何よりも鋭い刃となって突き刺さった。


「……私は結構ですわ。まだ学生会の仕事が山積みになっておりますので。お二人で進めてくださいませ」

震えそうになる声を、貴族の矜持だけで押し殺す。

「あ……そ、そうですよね! お仕事、お疲れ様です!」


少し残念そうに、そして私の体面を傷つけたのではないかと申し訳なさそうに笑うエレノア。

その隣で、フレデリックがわずかに眉を寄せた。

彼が私を責めているのではないことは、痛いほど分かっている。

ただ、彼ら二人の間に流れる陽だまりと私の立つ凍てついた日陰の間の、決して越えられない距離を彼もまた静かに見つめているような……そんな顔だった。


私はそれ以上その温かな光景の中に留まることができず、静かに踵を返した。

公爵令嬢として、背筋を伸ばし、一歩ずつ、優雅に、確実にその場を去る。


背後からは再び楽しげな二人の笑い声が、風に乗って追いかけてくる。

陽射しの中で響くその音はあまりにも温かく、生命の喜びに満ちていて。

だからこそ、孤独に冷え切った私の心には、眩しすぎて目を焼かれるようだった。


中庭を出る直前、私は一度だけ空を見上げた。

青く、どこまでも高い空。

そこから降り注ぐ光はやはり私にだけ、少しも温もりを分けてはくれなかった。

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