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運命の時計は誰に止められることもなく、冷酷にその針を刻み続けた。
そしてついに。
避けることのできない“その日”が訪れる。
王立魔法アカデミーへの入学。
それは、乙女ゲームの物語が本格的に動き出し悪役令嬢レティシアの破滅が確定するカウントダウンの始まりを意味していた。
鏡の前に立つのは15歳になった私、レティシア・トムソン・イーデン。
磨き上げられたバターブロンドの髪は朝日を浴びて鋭い光を放ち、冬の湖を思わせる冷徹なまでに澄んだペリドットの瞳が、鏡の中から私を射抜いている。
そこには、かつて前世の私がゲーム画面越しに見てきた悪役令嬢そのものの姿があった。
しかし鏡の中の私は、ゲームの中の彼女とは決定的に違っている。
他人をただ蔑み虚栄に満ちた絶望を隠していた、あの空っぽな悪役令嬢の瞳ではない。
今の私の瞳には、ソフィ様を何があっても守り抜こうとする鋼のような強固な意志が宿っていた。
この数年間、私は準備を重ねてきた。
アレン王子の歪んだ依存を解き、近衛騎士カイルに正しい忠誠を説き、ソフィ様を孤独な王女から周囲に愛され自らも愛を振りまく輝く太陽になるよう導いた。
盤面は、もう私の手の中にある。
あとは、私というラスボスが自らその刃を背負って散るだけだ。
それが、この世界に転生した私が自分に課した最後の、そして唯一の義務なのだから。
───……
「レティお姉様、準備はよろしいですか?」
部屋の扉が開き、そこには前夜からお忍びで我が屋敷に泊まりに来ていた9歳のソフィ様が立っていた。
私の溢れんばかりの愛情、いや、前世からの渇望をすべて注ぎ込んで育てたソフィ様。
彼女は孤独を知らない天真爛漫さと王族としての凛とした気品を併せ持つ、この世の宝玉のような少女へと成長していた。
「ええ、ソフィ様。今行こうと思っていたところですわ」
私が努めて穏やかに微笑むとソフィ様は愛らしい子犬のように駆け寄り、私の腰にぎゅっと抱きついた。
「レティお姉様、私寂しいです。お姉様がいらっしゃらない王宮なんて火の消えた暖炉のようですもの。寂しくて凍えてしまいますわ。私も早く入学したいです」
彼女の小さな体温がドレス越しに私の心へ沁み渡っていく。
この感触。
この重み。
愛娘の遥菜を抱きしめた時の、あの柔らかい感触と重なる。
私は無意識のうちにソフィ様を壊れ物を扱うような手つきで、けれど力強く抱きしめ返していた。
───あなたがアカデミーに来る頃には、私はもうあなたの隣で笑っていられるような存在ではないんだろう。
肉体的にも。
精神的にも。
私が“悪”として糾弾される日が刻一刻と近づいてきている。
それでも、今この瞬間。
この子の表情が一点の曇りもなく輝いていること。
それだけが、私にとっての唯一の救いだった。
「ソフィ様。あなたが数年後、このアカデミーの門をくぐる時…そこが一番美しくそして何より安全な場所であるように、私が整えておきますからね」
ソフィ様の柔らかな髪に顔を埋め、心の中で幾度も誓う。
今度こそ、私はあなたを守り抜く。
たとえ、その代償として私が誰からも忌み嫌われる存在として歴史の闇に葬られることになったとしても。
「お姉様……?」
私の抱擁が少し強すぎたのかソフィ様が不思議そうに顔を上げた。
私は慌てて力を緩め、彼女の頬を優しく撫でる。
「何でもありませんわ。ただソフィ様が誇りに思えるような自分でありたいと、そう思っただけです」
嘘ではない。
けれど、真実でもない。
私は誇りなどいらない。
ただ、あなたが明日も笑っていられる世界を残したいだけ。
馬車の迎えを告げる鐘の音が響く。
私はソフィ様の手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
背筋を伸ばし、顎を引く。
「行って参りますわ、ソフィ様」
お忍びで泊まっていたソフィ様とはここでお別れだ。
ドレスの裾を翻し、私は部屋を出た。
その背中に向けられたソフィ様の純粋な応援の声が、今の私には何よりも鋭い決意の楔となった。




