sideルーカス
───…
いつだっただろうか。
宰相閣下のあの台詞は。
──『放っておくと、自分で勝手に壊れそうになるんだよ』。
最初に聞いた時はそれを過保護な父親の取り越し苦労だと思っていた。
しかし、関わり始めて分かった。
彼女は壊れようとしているのではない。
“壊れること”をその魂の設計図に組み込んで、この世界に存在しようとしているのだと。
レティシアお嬢様。
私の教え子であり私を狂わせた、美しくも歪な少女。
彼女と関わり始めて早数年。
14歳の彼女は出会ったあの日の面影を残しながら、更に深みのある美しさを纏うようになった。
彼女が私に向ける瞳には、いつも二層の色彩がある。
表層にあるのは、私への敬意と信頼。
そしてその深淵に揺らめいているのは、ここではない“何処か”だ。
お嬢様、あなたは気づいているのだろうか。
あなたが私を呼ぶ時、その指先が私の袖に触れる時。
──あなたは私を見てはいない。
私の背後に透けて見える“誰か”を必死に追いかけている。
その仕草。
その吐息の漏らし方。
ふとした瞬間に見せる安堵の表情。
それら全てが、私という器を借りて“誰か”と対話しているかのように見える。
「先生、今日もありがとうございます」
そう言って微笑むあなたの瞳が潤む度、私の胸の奥はどす黒い独占欲で満たされていく。
───お嬢様。
あなたが私に誰かの面影を重ね、そこに縋ることでようやくこの世界に踏み止まっていられるのなら…。
私は喜んでその身代わりになろう。
あなたが求める言葉を紡ぎ、あなたが欲する温度で微笑もう。
それが、あなたの壊れそうな心を繋ぎ止める唯一の楔になるのであれば。
しかし、それと同時に私はたまらなく恐ろしい。
レティシア様がソフィア様に注ぐ、あの過剰なまでの聖母のような愛が。
アレン王子への教育、騎士への牽制。
それら全てが、まるで自分のいなくなった後を完璧に整えるための身辺整理のように見える。
彼女は多くの愛をソフィア様に分け与え、鮮やかに未来を築いている。
なのに何故?
何故レティシア様自身の人生には、生きるための愛を許そうとしないのだろう。
明日を望む欲を許そうとしないのだろう。
───彼女は自身を“死ぬべき理由”だけで塗り潰そうとしている。
私に向けられるその黄金色の瞳の奥に秘めているもの。
それは明確には分からない。
けれど、彼女の過去の私への質問から察するに彼女の
望みは…。
愛する者達を光の中へ送り出してから独り静かに、あるいは華々しく人生の幕を引くこと。
自分だけは幸せになってはいけない。
自分だけは還らなければならない。
そんな、呪いのような義務感で自分を縛り付けているように見える。
1人の人間としては、彼女の予定された終焉を認めるわけにはいかない。
だが私は……。
私は瞳を閉じた。
私の内側で彼女に絡みつく怪物が育っていっているのが分かる。
───レティシア様。
あなたはきっと、救いなどいらないのだろう?
ならば、私はあなたと共に堕ちていきたい。
それがきっと、あなたを“誰か”から奪い私のものにする、唯一の方法なのだろうから。




