sideフレデリック
───…
かつて私は“あの女”を“能天気な阿呆”だと決め付けていた。
私の顔を見るたびに頬を染め、打算も裏もなく「好きだ」と全身で叫んでいるような女。
鬱陶しくて堪らないレティシア・トムソン・イーデン。
血の滲むような努力を当然として生きてきた私にとって、幸運という名の温室で育ったご令嬢。
視界に入るだけで虫唾が走る存在だった。
───だが、一体いつからだろうか。
私の視線が、義務ではなく彼女を追うようになったのは。
今、目の前で完璧な淑女のように振る舞う彼女は、かつての面影など微塵も感じさせない程に豹変している。
いや、豹変という言葉では足りない。
彼女はアレンを、そしてソフィの専属護衛騎士を変えた。
それはまるで、王宮という名の巨大な盤面を誰にも気づかれぬ内に支配し、未来を構築し直しているようにも見えた。
特に、ソフィに対するあの献身。
あれは単なる教育係や遊び相手の域を超えている。
まるで、一歩間違えば奈落へ落ちるソフィの襟首を掴み、力尽くで光の中へと繋ぎ止めているような。
そこにあるのは、自己犠牲を超えた狂気にも似た何かにも見えた。
「……レティ。君は一体何と戦っているんだ?」
私は執務室の窓から、庭園でカイルを峻烈な言葉で教育するレティを見下ろしていた。
彼女の背筋はいつ見ても美しく、そして痛々しいほどに伸びている。
彼女は私に媚びる様子など一瞬も見せない。
ただソフィのために、己の身を削り続けている。
その孤高の美しさに、私はかつて感じたことのない暗く重い独占欲が腹の底で渦巻くのを感じていた。
私が最も苛立たしく、そして同時にどうしようもなく惹かれるのは、彼女が時折見せる“あの眼差し”だ。
ソフィが笑い周囲が平和に包まれている瞬間に、彼女だけが遠い空を見つめ絶望に暮れることがある。
これから起こる凄惨な悲劇をすべて予見しており、それから逃れられないと確信しているかのような……死を待つ受刑者のような目。
───あんなにも必死に何かを守り、完成させようとしているのに…。
何故、その完成図の中にレティ自身を入れないんだ?
彼女が構築している世界。
その盤面をどれほど注視しても、レティシア、君自身の居場所が見当たらないのは何故だ。
私は拳を強く握りしめた。
彼女は今、私の知る限り二人の男の視線に晒されている。
一人はもちろん私。
そしてもう一人は、あの不気味なほど優秀な家庭教師のルーカスだ。
ルーカスはレティの“秘密”を知っているかのような、慈しむような目をする。
それが私の神経を逆撫でする。
光の魔術師だか何だか知らないが、あいつは彼女の“崩壊”を肯定しているように見えるからだ。
だが、私は違う。
私は彼女を救いたいのではない。
レティを、私の隣という檻に繋ぎ止めたいのだ。
彼女がどんな地獄を見ているにせよ、その地獄ごと私の腕の中で支配してやりたい。
「レティ。君が守ろうとしているその世界に…… 僕の居場所はあるのか?」
その問いを口にすることは、まだできない。
今の彼女は私の愛など、自身の計画を狂わせる不純物として排除するだろう。
だから私は仮面を被り続ける。
彼女を第一王子として、あるいは都合の良い婚約者として、影から支える振りをしながら。
だが、覚悟しておくがいい。
私は君のゴール設定を力尽くで破壊してやる。
もし世界がお前を断罪すると言うのなら、私がその世界そのものを創り替えてやろう。
レティシア。
君のそのペリドットの瞳がいつか絶望ではなく、ただ一人の男──私だけを、本当の意味で映し出すその日まで。
私はこの執着を決して絶やすことはない。




