その62
ノルン達が部隊に戻って来る頃には、凝視しないと辺りが確認できないほど日が暮れていた。もし戦闘が長引いていたらと、想像するだけで恐ろしい。部隊には待機していた隊員とエルデイル達が出迎え、その中から抜け出したミーミルが泣きながらノルンに抱きついた。
「ノルン、心配したんだから」
自分に関わったために、ミーミルには怖い思いをさせてしまった。つらい出来事ばかりだったが、彼女の無事が何よりも嬉しい。
「ごめん」
「わたしのせいでこんな目に」
「ミーミルのせいじゃないよ」
そう、連中の狙いはノルンのみで、ミーミルとフォルセティは巻き込まれたにすぎない。謝るべきはノルンの方なのだ。これからどう償っていけばいいのか模索の日々になるだろう。
幾重の修羅場を経験している隊員達も心身ともに疲弊していた。フォルセティは人員報告だけ徹底させて治療に受けさせた。ノルンがミーミルに帰るよう促すと、名残惜しそうに母親と一緒に部隊を去っていく。ノルンが母子の後ろ姿を見送っていると、ハールが肩を抱いてきた。
「あの子が無事でよかったな」
「ハールも無事でよかった」
「お前に心配されるようじゃあ、俺もまだまだだな」
ハールは埃にまみれた顔で笑った。一日も経っていないのに、ハールと会うのは随分久しぶりに思えた。ケルムトもノルンの肩に手を置いてかすかに笑った。ノルンが仲間の有り難みを噛み締めていると、ハールが急に手を振り始めた。
「エルデイルさーん!!」
看護師に指示していたエルデイルが振り向いてこちらへやってきた。せっかくの感謝が台無しだが、ハールらしいとノルンは笑みをこぼす。
「俺、今にも死にそうです」
「まだ生きているから安心して」
エルデイルは辛辣な言葉で返しながら、ハールやケルムトの傷の具合を診察した。急を要しないと判断した彼女は、看護師に託してフォルセティの所へ行ってしまった。ハールは不満をこぼしたが、担当の看護師が可愛かったのですぐ機嫌を直してケルムトを呆れさせた。
状況が収束したのを確認したフォルセティは、その場に崩れるように座り込む。心身ともに苦しかったのか今日が初めてだ。これまで長期戦や激しい戦いを幾つも乗り越えた彼でさえこの有り様なら、ノルンは尚更だろう。ノルンを労おうとごった返した場を見渡していたら、歩いてくるエルデイルと目が合った。
「お疲れさま」
「仕事を増やして悪いな」
「これが仕事だもの」
エルデイルは救急箱を広げて、早速フォルセティの顔の傷を消毒した。思いの外沁みて、フォルセティは手当てする手を振り払う。
「俺よりノルンを頼む」
「ノルンならほかの子がやっているわ」
「お前がやってくれ。痕が残ったら大変だ」
エルデイルは安易な見立てでノルンを看護師に任せたのではない。直接本人に会って、多少の傷があるものの特に深刻ではないと診断したからである。そのくらいフォルセティも承知しているのだから、他意があるように聞こえた。真意を聞き出そうとしたが、フォルセティは部下に呼ばれて行ってしまった。今日の一件で何かあったのでないか、女の勘が彼女にそう囁いている。
この事件は、ヴァン賊のシグムント煽動のもと縄張り抗争ということで終息した。随分都合がいい報告だが、連中には迷惑を被っているのだからこのくらい役に立ってもらわねば。森林保護隊にも報告が入っているはずだが、事情を察してかアルクルから異議の申し立てはなかった。
隊員達の傷が癒える暇なく、国境騎馬隊としての任務が始まる。彼らも大変だが、武具屋のガルーラはもっと多忙を極めた。各々が持ち込んだ損傷した得物を修復するため、助手と仕事場に籠りっぱなしだ。ガルーラにとって得物は可愛い子どもで愛情込めて仕立てるだが、ハールなどは「頼むわ、じいさん」と軽い調子で剣を置いていくので我慢ならない。
「粗末に扱いおって!! お前達にはこいつらの叫びが聞こえんのか!?」
「じいさんこそ俺たちの頼みが聞こえてんのかね?」
憎まれ口の応酬の最中に、得物同様に可愛がるノルンが弓を持ってきたのでたちまちガルーラの眉が下がった。
「おう、ノルンか」
「忙しそうですね。ぼくのは急がないので落ち着いたらお願いします」
「何を言う。お前の頼みが最優先じゃ」
「俺が先だろ?」
「弟子にでも渡しておけ。わしは忙しい」
不満を垂れるハールを押し退けて、ガルーラがノルンの弓を受け取った。各地を旅していたガルーラもナムの木は知っている。弓の数ヵ所が抉れて激しい戦いを物語っている。この硬い材質でなければ、剣の攻撃に耐えきれず持ち主を護れなかっただろう。
「つらい戦いじゃったな」
労う言葉に、ノルンは不意に涙が込み上げる。父親の凄惨な死、悲哀の母親、セイムダムの献身、ダーインの最期。こうして穏やかに時が流れて、考える余裕があるとつい思い出してしまう。
「ノルン......」
「弓をお願いします。その間、剣の腕を磨いておきますから」
涙が溢れないうちに弓をガルーラに託して、ノルンは足早に去った。平静を取り戻したところで厩舎へ向かう。いろいろあって相棒の馬の世話ができなかった。馬はノルンを気付いて少し興奮しているようだった。
「やあ、元気かい?」
ノルンがブラッシングしながら話し掛けると、気持ちいいのかブルブルと鼻を鳴らした。
「やっとお父様の仇をとったよ」
ノルンがぽつりぽつり語り出す。
「ぼくが王女だって隊長にも知られてしまった。この先どうすればいいんだろう」
相棒が慰めているかのように鼻を擦り寄せたので、ノルンも頬をくっつけた。あれからフォルセティとは会っていない。彼が事後処理に走り回っていたのを良いことに、ノルンから会いにいこうとしなかった。国境騎馬隊は男性のみと規則にある以上、ノルンはここから出ていかなければならない。この街でノルンが女だと知っているのはエルデイルとフォルセティだけで、彼さえ黙認してくれたら万事うまくいく。
ー それはあまりにも身勝手だよ。
ノルンは自分を戒める。フォルセティは今までも窮地を救ってくれたではないか。なのに、自分の境遇に巻き込んで彼に嘘をつかせようとしている。解決する方法はここから立ち去ること、頭ではわかっているのに決心がつかない。
フォルセティは厩舎の外からノルンの様子を窺っていた。苦悩するノルンを慰めた方がいいのだろうか、それとも突き放した方がいいのだろうか。女と分かってて国境騎馬隊に置くわけにいかない。だが、自分が黙っていればノルンはこれまで通り暮らしていける。
ー またあんな危険な目に遭わせるのか?
顔や体に傷を作り、男と対等に訓練する。出動すれば生き残る補償はない。親の仇を討った今、ノルンを縛るものはないのだから、家族のもとへ帰した方がいいのではないか。病弱な母親も娘の帰りを待ちわびているはずだ。辞めさせる理由は何とでもなる。除隊を告げられたノルンがどんな表情をするのか、考えただけでも胸が痛い。だが、例外を認められない。ひとつの嘘を許せば大きな罪となり秩序が乱れて士気に関わる。隊長は個人の感情に左右されるべきではない。
ー 隊長なんてやるもんじゃないな。
フォルセティは深い溜め息をついた。




