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ひより日和  作者: mamio
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8/18

第8話 「白い噓」

1


取調室は、息が詰まるほど狭かった。

壁も机も、同じ薄い色。音だけが目立つ。


瀬尾優斗は椅子に座ったまま、足先で床を小さく叩いていた。

落ち着かないのをごまかす癖だ。


向かいの刑事が、書類を一枚、机に置く。


「瀬尾。まず確認する。今日の件――通勤路で女性の手首を掴んで路地に引き込んで金を要求した。脅し文句も言った。ここまでは間違いないな」


優斗は鼻で笑った。


「盛ってますよ。あいつ、俺のこと悪者にしたいだけなんで」


刑事は表情を変えない。


「“悪者にしたい”って言うなら、その根拠を言え」


「……」


優斗が黙った瞬間、刑事は淡々と続けた。


「手首には痕が残ってる。現場にいた第三者の証言もある。ここで強がっても得しない」


優斗の喉が動く。


「……触っただけです。引っ張ったのは……ちょっと」


「ちょっと、で痕はつかない」


刑事はペンを置き、別の紙を出した。


「で、次だ。DUモバイルの件。販促品のワイヤレスイヤホン、条件を偽って渡さずに横流し。フリマアプリで売却。履歴も発送もある。会社の被害申告は現時点で七十万超。ここはどうだ」


優斗は一瞬、目線を逸らした。

その瞬間が、答えみたいだった。


「……俺だけじゃないっすよ」


「“みんなやってる”?」


刑事の声が少しだけ冷たくなる。


「客だって、もらった特典を売る。普通にある話だろ」


「それは“自分の物”を売ってる。お前がやったのは“渡すべき物を渡さず”に、会社の物を抜いて売ってる。別物だ」


優斗は唇を噛む。


「……棚の奥に余ってたやつです。誰も見てない。管理もしてない」


「管理が甘いなら抜いていい、にはならない」


刑事は言い切って、少し間を置いた。


「で、ここからが本題だ。お前は今日“弁済が必要だ”と分かった上で、彼女に金を出させようとした。……なんでそこまで金がないんだ?」


優斗は肩をすくめる。


「生活費とか…、いろいろあんだろ」


「彼女の部屋に住みついて、生活費はほぼ出してないって話も出てる。矛盾してる」


優斗の目が、鋭くなる。


「……あいつが勝手に出してただけだろ」


刑事はページをめくる。


「“勝手に”ね。じゃあ、これは何だ」


スマホの画面が机の上に置かれる。

同じ番号からの不在着信が、いくつも並んでいる。


機械的な音声案内の履歴。

折り返しを促すメッセージ。


優斗の呼吸が一瞬止まる。


「……知らねぇ」


刑事は即答する。


「知ってるから出ない。切らない。

カード会社と督促窓口だ。文言も一致してる」


優斗は舌打ちしかけて、飲み込んだ。


「……出たくなかっただけだ」


「“出たくなかった”のは何でだ」


優斗は答えない。


刑事は続ける。


「カードの支払いが止まってる。限度額も超えてる。リボも分割も積んでる。で、払えない。……ここまでは合ってるな」


優斗は歯を食いしばった。


「……」


「で、金の使い道だ。お前、酒は飲めない。ギャンブルも決定打はない。なのにカードが膨らむ。何に使った」


優斗は肩をすくめる。


「いろいろっすよ」


「“いろいろ”じゃ調書にならない。具体で言え」


優斗は一拍置いて、吐き出す。


「靴とか服。ガジェット。タクシー代とか。

後輩に奢る。……ケチって思われたくないんで」


刑事が言う。


「それで限度額までいった?」


優斗は目を逸らす。


「……いったんじゃないっすか?」


「女は?」


優斗が、鼻で笑う。


「……時々。飯とか。プレゼントとか、まあ、ホテル代?」


「付き合ってた?」


「付き合ってねぇよ。向こうも本気じゃねぇし」


「名前は」


「……知らねぇっす」


軽い。

あまりにも軽い。


刑事は淡々と結論を置く。


「つまり、お前は“生活”じゃなくて“体裁”に金を使った」


優斗の喉が鳴る。


「…………」


「……あいつは、“ちゃんとしてる”からさ」


刑事が目を細める。


「ちゃんとしてる?」


優斗は吐き捨てるように言って、少しだけ声を落とした。


「怒鳴らない。言い返さない。

飯はあるし、部屋もある。

俺がダメでも、“いいよ”って言う」


刑事は黙って聞く。


優斗は、ぽろっと言った。


「……安心するんすよ」


「安心?」


優斗は一瞬だけ迷って――言ってしまう。


「母親みたいで」


その言葉が、部屋に落ちる。


「何も言わなくても、戻れると思ってた。

多少ひどくしても、最後は許すって」


刑事は静かに言う。


「それが“無償の愛”だと思ってた?」


優斗は答えない。

答えないことが、答えだった。



2 


刑事が次の紙を出す。


「で、お前は“彼女も知っていた”と言った。なんでそんな嘘をつく」


優斗の目が、ギラつく。


「嘘じゃねぇ」


「根拠は?」


「俺の……スマホ見てた」


刑事が言う。


「通知を見ただけで共犯? 苦しいな」


優斗は唇を噛む。


「……分かってたはずだ」


「“はず”は証拠にならない」


刑事は言葉を切る。


「お前が一番怖かったのは、金じゃないな」


優斗の目が揺れる。


「……は?」


「彼女が、自分から離れることだ」


優斗は言い返さない。


「だから鎖を強くした。

金を理由にして」



3


刑事がペンを差し出す。


「供述、まとめる。読んで、間違いがなければ署名」


紙には、冷たい文字が並ぶ。


――販促品の不正流用

――売却

――弁済困難

――金銭要求

――脅迫的言動


優斗は、その中の一文を見て目を細めた。


――「交際相手に対し、名誉を毀損する旨の発言」


「……これ、消せよ」


刑事は首を振る。


「消えない。お前が自分で言ったんだ」


優斗は拳を握る。

それでも、結局ペンを持った。


署名する音が、やけに大きく響いた。


4


供述書に署名した直後、優斗は椅子に深く沈んだ。


それでも、終わらせたくない。


「……ちょっと待ってください」


刑事が振り向く。


「まだ言いたいことがあるのか」


優斗は頷く。


「全部俺が悪いみたいになってるけど、違うんすよ」


「なにが?」


優斗は言葉を選ぶ。


「……ひよりがさ」


その名前だけ、少し柔らかい。


「結構きついんすよ。正しいことばっか言う」


刑事は黙る。


「俺が“金ない”って言ったら、最初は出す。

でもその後、“また?”って顔する」


優斗は続ける。


「頼ってるだけなのに、責められてる気になる」


刑事が言う。


「それが横流しの理由か?」


優斗は一瞬黙る。


「……俺だけのせいじゃないって話っす」


刑事は目を細めた。


「甘えるな」


優斗は笑う。


「別に…甘えてなんか…」


そして、ぽつりと本音が漏れる。


「……あいつ、俺がいないと回らないくせに」


刑事は何も言わない。


「俺が帰る場所、作ってやってたのに」


その言葉の幼さに、部屋が静まる。


刑事が静かに言う。


「それを“支配”って言うんだ」


優斗の顔が歪む。



「……俺だって、怖かったんすよ」


「何が」


「終わるのが」


刑事は短く言う。


「それはお前の行動の結果だ」


優斗は、睨む。


それでも最後に、もう一度だけ足掻く。


「……どうせ、あいつも最後は離れる気だったんすよ」


刑事は答えない。


沈黙だけが返る。


優斗は、それ以上何も言えなかった。




ドアが開く。

外の音が少しだけ流れ込む。


取調室には、白い机と、白い壁と、

自分が吐いた言葉だけが残った。


(第8話・終)


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