第4話 「制服と本音」
1
午前10時。
DUモバイルのバックヤード奥の小さな会議室。
優斗は椅子に浅く腰掛けていた。
机の上には、印刷された紙が数枚。
“販売処理確認”“説明内容の統一”“顧客照会”。
文字だけなら事務的なのに、空気だけが刺々しい。
本部の男は笑っている。
けれど目が笑っていない。
「瀬尾くん、クレーム多いよね」
「『特典の条件説明が店舗で違う』って」
優斗は頷く。
頷くくらいならいくらでもできる。
噛みつくほど、優斗はバカじゃない。
「説明はしたつもりです」
声は、できるだけ平らに。
本部の男は、紙をトントンと指で叩いた。
「“したつもり”では困るんだよ」
「いま、対象顧客の購入履歴と、説明内容の聞き取りを当ててる」
——当ててる。
その言い方が気に入らない。
まるで、もう答えが出てるみたいだ。
優斗の喉元まで「うるせぇ」が上がった。
でも飲み込む。
代わりに、本部の男が言った。
「今日から、出勤停止」
「調査が終わるまで、店舗には入らないで」
「……は?」
優斗の声が、思ったより低く出た。
「“自宅待機”だよ」
「処遇は追って連絡する。連絡があるまで、勝手に動かない」
出勤停止。
自宅待機。
“負け”の匂いがした。
優斗は、笑ってみせた。
従順そうな顔をつくるのは得意だ。
「……分かりました」
会議室を出た瞬間、スマホを握りしめる。
胸の奥がむずむずして落ち着かない。
怖いわけじゃない。めんどくさいだけだ。
(大丈夫。誤魔化しゃいい)
(だって、俺がやったって証拠なんか——)
そこまで考えて、ひよりの顔が浮かんだ。
昨日、忘れていったスマホ。
通知を、見られたかもしれない。
(……先に、潰しとくか)
優斗の口角がわずかに上がる。
笑ってはいない。
“段取り”を決めた顔だった。
いったん部屋に戻るつもりだった。
けれど部屋にいると、考えが膨らむだけだ。
(顔だけ見て、黙らせりゃいい)
そう思うと、足が勝手に百貨店のほうを向いていた。
2 昼:大蔵屋へ
大蔵屋百貨店の地下。
弁当売り場は昼前から混み始めている。
優斗は焼肉弁当を手に取った。
——本当は今、弁当なんていらない。
胃が落ち着かない。
でも“買う理由”が必要だった。
(昼休憩って言えばいい)
(ちょっと寄っただけ、って顔しとけばいい)
エスカレーターで一階へ。
インフォメーションカウンターが見える。
ひよりは、いつもの笑顔で客に案内していた。
あの笑顔を見ると、優斗はいつも少しだけ苛立つ。
誰にでも同じ顔をする。
なのに、自分の前では疲れた顔をする。
(俺の女なのに)
優斗は、カウンターに近づいた。
「ひより」
ひよりが顔を上げる。
一瞬だけ、驚いた目。
「……優斗?どうしたの」
「昼、店抜けた。弁当買いに来ただけ」
嘘を、当たり前みたいに言う。
優斗の得意なやつだ。
「今日、帰り遅くなるって言ってたよね?」
ひよりがそう言った瞬間——
ひよりのスマホが震えた。
カウンターの上に置いてあった画面が、ふっと光る。
番号表示。
短い文。
〈足はもう大丈夫?〉
〈困ったことあったら、いつでも相談してださい〉
優斗の視界が、そこで止まった。
——誰だよ。
喉の奥が熱くなる。
耳の裏がじん、と痛む。
「……誰?」
ひよりが反射的にスマホを伏せる。
それが、火に油だった。
「誰だって聞いてんだよ」
声が大きくなる。
周囲の客が、ちらっと見る。
売り場の店員が、動きを止める。
「やめてよ、ここ……」
「やめろ?じゃあ見せろよ」
「なんだよその番号。男だろ」
ひよりの頬が、少しだけ白くなる。
逃げたいのに逃げられない顔。
怯えた顔を見て、余計に腹が立つ。
ひよりが、俺を裏切っているのに。
3
そのとき。
低い声が割って入った。
「お客様。従業員に対する威圧行為は控えてください。」
振り向くと、黒い制服。
胸に警備会社のロゴ。
腕章には「警備主任」の表示。
朝倉だった。
——恵美の言ってた、“警備の人”。
——反則級の。
周囲の女性従業員の視線が、一斉にそっちへ向く。
好奇心と、興味と、“場違いな騒ぎ”への警戒。
朝倉は、優斗を見ている。
ひよりの位置を確認して、半歩だけ前に出た。
自然に、ひよりを背にかばう距離。
「ああ。すぐ終わるんで」
優斗が笑う。
外面の笑いだ。
でも目が笑っていない。
朝倉は、淡々と言った。
「終わる、終わらないの問題ではありません。」
「店内でのトラブルは、お客様センターへ。こちらでは対応できません。」
“警備”の正論。
それが優斗には一番効く。
人前で、正面から“悪者”にされるのは、優斗の一番嫌いなやつだ。
「……チッ」
優斗は短く舌打ちした。
ひよりを一度だけ睨む。
声を落として、唇だけ動かす。
「……あとでな」
そして、弁当袋を持ったまま、足早に去っていった。
4
騒ぎが引いたあと、ひよりの手が小さく震えているのが分かった。
朝倉は、声のトーンを落とす。
「……大丈夫ですか」
ひよりは、笑おうとして、失敗した。
「すみません……私のせいで……」
「あなたのせいじゃない」
即答だった。
ひよりの胸が、少しだけ苦しくなる。
優斗はそういう言い方をしないから。
「さっきの、メッセージ……」
朝倉が言いかけて、止める。
踏み込まない。
でも、逃げない。
「困ったことがあったら、相談してください」
「——それは、変な意味じゃなく」
ひよりは、うんうんと何度も頷いた。
目が熱い。
「……ありがとうございます」
朝倉は、短く頭を下げて、その場を離れた。
警備主任としての顔に戻るのが、早い。
その背中を見送りながら、ひよりは思った。
(私、今……守られた)
守られてしまった。
優斗を相手にほかの男性から。
5
夜。
玄関の鍵が回る音がした。
優斗が入ってくる。
靴を脱ぐ音が荒い。
「スマホ、出せ」
ひよりは、息を止めた。
「……なんで」
「昼間のやつ。誰だ」
「番号の男」
番号しか表示されていないのに、相手は男だと確信しているようだ。
ひよりは、咄嗟に言葉を探す。
正直に言えば、朝倉だと分かる。
分かれば、優斗はもっと面倒になる。
「……ただの、昨日の……」
「昨日?」
優斗の目が細くなる。
「昨日何?」
「言えよ。お前、俺に嘘ついてんのか?」
ひよりの胸が、ぎゅっと縮む。
“嘘”と言われると、呼吸が苦しくなる。
自分が悪い気がしてしまう。
でも——
昼間、朝倉に守られた瞬間。
あの“正論”が自分の前に立った瞬間。
ひよりの中で、何かが少しだけ変わっていた。
ひよりは、ゆっくり言った。
「……私、もう、こういうの嫌」
優斗の眉が動く。
「は?」
ひよりは、自分でも驚くくらい静かに続けた。
「スマホ見せろとか、誰だとか」
「私は……あなたの所有物じゃない」
空気が止まる。
優斗の顔が、ゆっくり歪む。
「……調子乗ってんじゃねぇよ」
「昼のあいつか?警備? あいつにいい顔されたから?」
ひよりは、震えた。
でも、目は逸らさなかった。
——その震えは、怖さだけじゃない。
悔しさが混ざっている。
優斗が一歩詰めてくる。
ひよりの手首をつかみ、スマホを奪おうとした。
「貸せよ。」
ひよりは反射的に手を引いた。
一瞬、優斗の顔が固まった。
―――“思い通りにいかない”
その感触が、優斗をさらに苛立たせる。
優斗は、鼻で笑った。
「いいよ」
「勝手にしろ」
「ただ、覚えとけよ。お前が困ったとき、助けんのは俺だけだからな」
ひよりの喉が、きゅっと鳴った。
助けてないのに。
いつも、助けてくれないのに。
でも、その言葉は“鎖”みたいに絡みつく。
優斗は、ソファにどさっと座り、スマホをいじり始めた。
怒っているのに、終わった顔。
ひよりは、その背中を見て思う。
(……優斗との未来が見えない。)
(でも、見たい気持ちも、まだある)
その“揺れ”が、いちばん苦しい。
(第4話 終わり)




