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ひより日和  作者: mamio
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第3話 「点と点」

第3話「点と点」


1

朝。

玄関のドアが閉まる音がしても、ひよりはすぐに動けなかった。


昨夜、朝倉と会った。

胸の奥に小さな熱が残っている。嬉しいのか、怖いのか、自分でも分からない。


足首はまだ痛い。けれど昨日より腫れは引いていた。

ひよりは靴を選び直し、上着を羽織った。


そのとき、リビングのソファに置きっぱなしの優斗のスマホが、ふっと光った。


(優斗、スマホを忘れて行ったんだ)


短い振動。画面に文字が流れる。


〈フリマアプリ〉

〈購入されました〉

〈新品未開封 ワイヤレスイヤホン〉

〈2日以内に発送してください〉


ひよりは一瞬だけ立ち止まり、スマホを手に取った。


(フリマ……売れたんだ)


別に珍しいことじゃない。

誰だって、いらないものを売ることはある。

優斗だって、何か売ることはあるだろう。


(でも、新品未開封ってことは……買ったけど使わなかった、とか?)


優斗が“新品のまま”ものを手放すイメージができない。

それだけが、なんとなく引っかかった。


ひよりはスマホから視線を外しかけた。


玄関のほうで足音。

優斗が戻ってきた。忘れ物を取りに戻ったんだろう。


「……何してんの」


優斗の冷めた声が響く。

ひよりは言い訳を探す前に固まった。


「ごめん、光ったから…」


優斗はスマホをひったくるように掴み、ポケットに押し込んだ。


そのまま玄関へ向かい——途中で立ち止まった。

ポケットの中で、スマホがもう一度震える。


画面を確認し、優斗の指が一瞬止まる。小さな舌打ち。


「……しつけぇな」


通話には出ない。けれど切りもしない。

苛立ちだけを残して、乱暴にポケットへねじ込む。


ひよりは、喉まで上がった「誰から?」を飲み込んだ。

聞けば、面倒になる。

面倒になった優斗は、必ず“怒り”で終わらせる。最後に残るのは、いつも“ひよりが悪かった”という空気だけだ。


(なに、怒ってるの?)

(……私がスマホに触ったのが、嫌だった?)


ドアが閉まる音が、少し強かった。


ひよりは息を吐き、出勤の準備を再開した。

けれど、通知の文字だけが、妙に鮮明に頭に残っていた。


2


駅前の「DUモバイル」は、開店前の準備で忙しい。

シャッターが半分だけ上がり、外気が店内の冷房とぶつかって短い寒気が走る。


瀬尾優斗は、カウンターの奥でダンボールを開けながら欠伸を噛み殺した。


「……だりぃ」


仕事は嫌いじゃない。というより、接客は得意だ。

相手が欲しい言葉を、欲しい順に並べるのは簡単。

声のトーンを少し下げれば“誠実”になるし、笑えば“親切”になる。


店長が言う。


「瀬尾、キャンペーン説明、ちゃんとしてる?最近、本部うるさいから」


春の目玉は「乗り換え特典:ワイヤレスイヤホン」。

他社からの乗り換え契約をした客に渡す“おまけ”で、条件は決まっている。


でも優斗は、その条件を都合よく言い換える。


「乗り換えに加えて、オプションつけると特典つきます」


そう言うと、客は安心して頷く。

“オプションつけたほうが得なんだな”と思うからだ。


オプションを付ける客には、ちゃんと手続きする。トラブルになりにくい。

逆に、乗り換えはするが「オプションはいらない」と言う客には、別の言い方をする。


「特典はキャンペーン対象の条件があるので……今回は難しいですね」


客は少し残念そうにする。

でも、大半はそこで終わる。“条件”って言葉は便利だ。人は、よく分からないものには従う。


そしてイヤホンが残る。


棚の奥に入れておけば、誰も気にしない。

管理しきれていない。なら——少しくらい。


優斗は新品の箱を指で弾いた。

カツン、と乾いた音。


(みんな、こういうの売ってんじゃん)


本当は違う。

もらったものを売るのと、渡すはずのものを渡さずに売るのは違う。

でも優斗は、その“違い”を、見ないふりをする。


(同じだろ。結果、誰も死なねぇ)


罪悪感は驚くほど湧かなかった。

店は回る。自分は働いてる。

それで十分。


昼前。客が途切れたタイミングで、同僚が小声で言った。


「……それ、特典のやつだろ」


優斗は鼻で笑い、肩をすくめる。


「余ってるやつ。店も困らねぇよ」


「いや、そういう問題じゃ——」


優斗は、面倒臭そうに、言い返した。


「問題になるほど、お前、この店の管理ちゃんとしてる?

 店長だって棚の中身見てねぇだろ」

「客だってさ、特典でもらったもん平気で売ってんじゃん。フリマでもリサイクルショップでも」


“客だってやってる”

―わざと混ぜる。

“自分はもらったものを売ってるだけ”みたいに聞こえるように。


本当は違う。

自分がやってるのは「もらった物」じゃない。」

でも、その違いを口にするのは、負けみたいで嫌だった。


同僚は口をつぐんだ。


その瞬間、優斗のスマホが震えた。


〈フリマアプリ:購入されました〉

〈新品未開封 ワイヤレスイヤホン〉

〈2日以内に発送してください〉


(よし。また売れた)


新学期、新社会人を狙ったこのキャンペーンは3月から5月末まで。

優斗はもう、何十個も出した。


口角が上がりかけて、すぐに戻す。

この手の喜びは、人に見せるものじゃない。特に、ひよりには。


——いや。見せたくないというより、見られたくない。


誰かの視線が自分のスマホに乗るだけで苛立つ。恋人なら尚更だ。


(俺の領域だろ。触んな)


優斗は、スマホをポケットにねじ込んだ。


「瀬尾、クレームの電話増えてるぞ。なんでこうなる」


店長が言う。

優斗は「あー、はい」と適当に返す。


クレーム?知るか。

文句言うなら最初から契約すんな。


そのとき、店長のスマホが鳴って顔色が少しだけ変わった。


「……本部? え、明日……?」


通話を切って、店長が言う。


「瀬尾、明日、本部が来る。販売処理の確認。対象顧客リストも出せと言ってる。」


同僚が固まる。空気が重くなる。


優斗はゆっくり瞬きをした。

怖くはない。ただ、めんどくさい。


(だりぃ……)


「へー」と平然を装いながら、優斗は考える。


(誤魔化しゃいい。どうせ“もらった特典”売ってるやつなんて山ほどいる)


また“同じ”にする。

都合のいい同列。


そう思った瞬間、ひよりの顔が浮かんだ。

ひよりは余計なことを言う女じゃない。

でも時々、目だけがうるさい。静かな目で、じっとこっちを見る。


——あの目に、“疑い”を置かれたくない。


優斗の苛立ちは、そこから始まる。


3


夕方。

大蔵屋百貨店の更衣室。


汗と香水と制汗スプレーと疲れ。

それらが混ざって“裏側”の空気になる。


ひよりはロッカー前で靴を履き替えた。

足首の痛みは昼間より少し増している。でも歩ける。歩けるから、また我慢してしまう。


近くで、紙コップのお茶を飲みながら、同僚たちが話している。

最初は他人事の雑談のはずだった。


「ねぇ、駅前のDUモバイル最悪だったんだけど!」


「え、なに?」


「他社乗り換えしたらイヤホン特典つくって書いてあったのに、くれなかった!」


ひよりの指が止まった。

思わず、息が漏れる。


「……え?」


声が出てしまった。

同僚がひよりに気づいて、話の矛先が自然に向く。


「高阪さん、DUの春のキャンペーン知ってる?」

「他社乗り換えで契約したら、ワイヤレスイヤホンプレゼントってやつ。」

「他社乗り換えだけで、特典じゃなく“オプションもつけたら特典”って言われたの」

「でも私、イヤホン持ってるしオプション要らないって言ったら、特典なしだって」


「その時は、ああそうなんだって納得したんだけどさ」

「友達は別店舗で、乗り換えしただけで普通にもらってんの。条件、乗り換えだよね? なんで私だけ…」


「あ…それは…ひどいね」

うわの空で適当な返事をする。

ひよりの頭の中で、点と点が勝手につながる。


——今朝見た通知。

——新品未開封ワイヤレスイヤホン。

——2日以内に発送。


(……まさか)


胸の奥が冷たくなる。

嫌な予感は、いつも当たる。


(優斗が……?)

(特典を……売ってる?)

(……そこまでするほどお金ないの?なんで…?)


ひよりは紙コップの飲み物を一口飲んだ。

味がしなかった。


その瞬間、スマホが震えた。

優斗からのLINE。


〈今日、帰り遅くなる〉

〈余計なことすんなよ〉


“余計なこと”ってなに。

それが、今朝の通知と、同僚の愚痴と、繋がる。


ひよりはスマホを握りしめた。


(……何を隠してるの?)


答えはまだ出ない。

そして、不安も消えない。


(第3話・終)


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