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ひより日和  作者: mamio
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17/18

番外編7 「皆さんでどうぞ」

1


早いもので、もう3月だ。

1月の正月明けに、引っ越しを決行して2か月が過ぎた。


ひよりと一緒に住むようになって、生活は充実している。

特に食事だ。

以前は、外食か買ってきたものがほとんどだった。

それが、自分にとっては普通だったが、難を言えば飽きる。

今は、ひよりが作ってくれるものが旨い。


ひよりに頼り切って、また彼女が疲れることがないように料理も手伝うと言ってみても、毎回断られる。

なので、俺はそれ以外のことで、役に立つ男でいようと思っている。

ひよりが安心して、笑っていられるように。


先月のバレンタインデーで、ひよりからチョコレートとハンカチをもらった。

日頃の感謝を“ホワイトデー”にかこつけて何かプレゼントするつもりだ。


そう思っていたが…それだけではダメらしい。



数日前の夜のことだ。


ひよりは、リビングのこたつのそばで、洗濯物をたたみながら言った。


「そういえば、恒一さん。各売り場の皆さんへのお返しって考えてます?」


最初は何の話か、わからなかった。

首をかしげて黙っていたら、ひよりは何かに気づいたような顔で言う。


「バレンタインデーにいっぱいチョコもらってたじゃないですか」

「お返し。もう用意しておかないと間に合わないから」


あれは…警備室のやつらと分けたので…自分がもらったという自覚がなかった。


「返さないとマズい?」

「いちいち、騒がれると疲れるから…」


ひよりは、ちょっと考えて言った。


「返したほうがいいと思います」

「その方が、たぶん騒がれませんよ?」



返すほうが、騒がれそうだと思っていた。

だが、ひよりはそこらのスーパーで売っている個別包装のお菓子を売り場ごとに“皆さんでどうぞ”と簡単なメモでもつけて、渡しておけという。

それが一番、静かに幕引きできると言った。

ひよりが言うなら、その通りに違いない。

面倒なので“警備室から皆さんへ”にしておけば、問題ないだろう。


ひよりは、明日遅番の俺の代わりに、スーパーで買ってくると言う。

自分のことなので、大丈夫だと言ったが、ひよりは唇を尖らせて言った。


「そんな小さなものでも、ほかの女性に渡すのなら知っていたい」


らしい。


こんなにも可愛らしいひよりはやっぱり特別だ。

3月14日まで、あと3日。

ひよりへのプレゼントの内容が、俺の中では白紙なのが痛い。


明日のシフト、ひよりは早番、俺は遅番。


ひよりの退勤後に、9階の催事場を偵察することに決めた。




3月12日。17時半。

まっすぐ帰っていれば、ひよりはそろそろ家に着く時間か。

俺は、休憩時間を利用して9階へ上がった。


バレンタインデーのときと比べると、そこまで多くないという印象だ。

規模も小さめだ。

ただ、17時半と言う時間帯がよくない。

仕事を終えて来る男が増えてきている。


スーツを着たサラリーマン風の男が、商品ポップを食い入るように読んでいる。

そうかと思えば、スマホで相手の好みを確認中か?

とにかく、どうしていいか迷っている男が多い。

他人のことは言えない。

俺もそのひとりだ。


会場を見回してみると、百貨店はよくわかっている。

「職場の方へ」「本命の彼女へ」「予算別おすすめ」

素晴らしい。

わかりやすい。


「本命の彼女へ」このポップの前で足を止めた。

さっきのサラリーマン風が読んでいたものだ。

読もうと目を向けたときに、声をかけられた。


「朝倉さん」


水野だ。7階の。

“最後尾”と、デカく書いた看板を持っている。

応援のようだ。

若手は、催事に駆り出されるらしい。


「迷ってます?」


いや、迷ってなどいない。

参考だ。


「いや…巡回だよ」

「そっちは?応援?」


水野はいつものさわやか笑顔とは似ても似つかない、疲れた顔で言った。


「ええ…もう僕は、イベント推進部に鞍替えかってくらいこき使われてますよ」


「まぁ、がんばれ」


なんだかちょっと、おかしくなった。

笑いをこらえながら、立ち去ろうとしたとき、水野が後ろから言った。


「朝倉さん、アクセサリーなら駅ビルのほうが、いいと思いますよ」


俺は、振り返って軽く手を上げて、礼の代わりにした。


駅ビルなら、今日は無理だ。

22時にはすでに店は閉まっているだろうから。


2


次の日。

3月13日。


タイムリミットが迫っている。

今日こそは決めたい。


昨日、9階のホワイトデーフェアで見た「本命の彼女へ」というポップには、アクセサリーが人気だと書いてあった。

軽く読んだだけだが、妙に頭に残っている。


そのあと、水野に「アクセサリーなら駅ビルのほうがいい」と言われた。


そういえば、俺はあいつに“巡回”だと言ったはずだ。

なんで分かった。


だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


今日のシフトは昨日と逆だ。

ひよりは遅番で、俺は早番。

相変わらず、俺たちふたりのシフトは噛み合わない。


配置転換願でも出そうか。

夜勤のない職場……。

そして、男だけの職場。


いや、それはひよりと相談しないとまずい。

勝手に決めることではない。


ひよりが買っておいてくれた個包装の菓子は、すでに警備室に置いてある。

神田には、メモを貼っておけと言ってある。


“警備室より皆さんへ”


これを各階の担当者が売り場へ渡しておけば完璧だ。


警備室のやつらは、本命の相手の分しか返礼を用意していないらしい。

神田は嬉しそうに言った。


「主任!こういうことができるから、モテるんすねー」


いや、俺だって最初はひよりのことしか考えていなかった。


静かに終わるなら、なんでもいい。


17時に仕事を終えて、駅ビルへ向かう。

アクセサリーを扱う店は2軒あった。


1店舗目は2階だ。

1000円くらいの、おもちゃのようなアクセサリーが多い。


却下。


もう1店舗は3階だった。

ショーケースがある。

女性客ばかりだ。


店に入ると、何人かがこちらを見る。


なんでもいいが、ちょっと放っておいてもらいたい。


どうしていいか分からず立ち尽くしていると、店員が近づいてきた。


「プレゼントをお探しですか?」


ああ、助かった。


「ええ、まあ……」


曖昧に答えたにもかかわらず、店員は察したように笑った。


「ホワイトデーでございますね」


「はい」


「奥様、もしくは恋人の方へでしたら、ネックレスが人気です。指輪もございますが、サイズがありますので」


指輪。


指輪は大げさだと思った。

普段からの感謝の気持ちもある。

バレンタインデーのお返しという側面もあるが、サイズも分からないし、意味も重い。


それに、指輪は。

また別の機会でいい。


「普段使いできて、あまり派手じゃないものがいいです」

「指輪は、また別の機会に」


そう言うと、店員は少しだけ微笑んだ。


「それでしたら、ネックレスがよろしいかと思います。サイズもありませんし、お仕事中でもつけやすいものが多いですよ」


なるほど。

それはいい。


「お相手の方は、金属アレルギーなどは大丈夫でしょうか?」


金属アレルギー。


どうだろう。


俺の顔に“分からない”と書いてあったのだろう。

店員は、ショーケースから細いチェーンのネックレスをいくつか取り出した。


「ご心配でしたら、素材を見て選ばれるとよろしいかと思います。ゴールドやプラチナは、比較的アレルギーが出にくいとされています」


アクセサリーを買うにも、知っておかないといけないことがこんなに多いとは。


「お相手の方は、普段どんな色を身につけられますか?」


ひよりは、派手なものを好まない。

でも、地味すぎるものを選ぶと、仕事用みたいになる。


「原色の服を着ていることはないです。仕事では、落ち着いたものが多いです」


「でしたら、ピンクゴールドもお似合いになると思います。肌なじみがよくて、やわらかい印象になります」


店員は、いくつかのトップを並べた。


小さな石。

ハート。

涙型。

パール。


パールは駄目だ。

それは誕生日に取っておきたい。

彼女の誕生石だから。


赤い石も見せられた。

けれど、ひよりには少し違う気がした。


目に止まったのは、淡い青い石だった。


春に、ひよりと部屋を探しに行った日。

彼女は、薄い青のワンピースを着ていた。


デートと呼ぶには少し違ったかもしれない。

けれど、車の窓越しに見たあの姿を、俺はまだ覚えている。


「こちらはアクアマリンです。淡い色なので、普段使いもしやすいですよ」


宝石の名前より、その色が気になった。


ピンクゴールドの細いチェーンに、小さなアクアマリンのしずく型。


派手ではない。

でも、ちゃんと光る。


「……これで」


言ってから、少しだけ息を吐いた。


小さな箱に入った、ひよりのネックレス。


家に持って帰るのは、駄目だな。

明日まで、車のグローブボックスに入っていてもらうことにした。


3


3月14日。

ホワイトデー当日。


朝、警備室で早番組を集めて、10分ほどの作戦会議をした。

机の上には、先日ひよりが買っておいてくれた個包装の菓子が山盛りになっている。


「先月のバレンタインデーで、個人的にチョコレートをもらったやつも、もらってないやつも、警備室で分けたよな」


何人かが頷く。


「なので、返礼はしておいた方がいいと判断した」


要点だけ説明していく。


各自、担当フロアの巡回時に、この菓子をインフォメーションへ預ける。

そこから各売り場の代表者に、時間のある時に取りに来てもらう。


インフォメーションは館内に3か所。

1階総合インフォメーション。

4階インフォメーション。

10階サービスカウンター。


1階は3階までの売り場へ。

4階は7階まで。

10階は8階から上。


内線で連絡してもらい、配布してもらう。


「配布物は、警備室から売り場の皆様へ」


ここが大事だ。

個人名ではない。

警備室からだ。


「これで行く」


俺は紙袋を3つに分けた。


「1階は俺が行く。4階は神田、お前が行け。10階は……」


言いかけたところで、手が上がる。


「俺が行きます」


神田の隣に立っていた警備員が名乗り出た。


よし。


「11時の巡回で開始」


警備室の早番勢が一斉に返事をする。


「はいっ!」


ふう、と息が出て、椅子にもたれかかった。


11時まで、あと2時間。

その間に、駐車場、搬入口、ごみ置き場、バックヤード、機械室、電気室。

警備員たちは、それぞれの持ち場へ散っていく。


完璧だ。


ひよりが言うには、これが一番静かに終わるらしい。

なら、それでいい。

静かに終わるなら、何でもいい。


そう思っていると、神田が寄ってきた。


「主任、これ全部、主任が用意したんですか?」


本当は俺ではない。

ひよりだ。

だが、それをそのまま言うわけにもいかない。


「ああ」


適当に返事をしておく。


神田は、3つに分けられた紙袋を見て言った。


「これ、高阪さんの案ですか?」


ぎょっとしたが、表情は守った。


「なんでそうなる」


「高阪さんは、こういうの上手そうなんで」


こいつは察しがいい。


「だから、なんでそこで高阪さんが出てくるんだ」

「お前、どこまで知ってる。前田さんか?」


神田は右手でこぶしを作り、左手でそれを包んだ。

妙に言いにくそうに、小声になる。


「駅で見たんですよ」


「何を」


「主任と高阪さんが、一緒にいるところです」


神田は慌てて、小さく手を振った。


「いや、誰にも言ってないです」

「前田さんからも聞いてないし、彼女は聞いても言わないです」

「でも、前田さんは俺よりずっと前から知ってると思います」


そのうち、バレるとは思っていた。

別に悪いことをしているわけではない。


だが、変に噂されるのはひよりがかわいそうだ。


そのうち、ちゃんとしなければいけない。

そう思った。


11時。

1階のインフォメーションへ行く。


この大量に菓子の入った紙袋をインフォメーションに託せば、面倒なイベントは終わる。

あとは、大事なひよりとのイベントだけだ。


カウンターの上に、紙袋を置く。


「警備室からです。先月はありがとうございました」

「3階までの各売り場には、時間のある時に取りに来てもらえるよう、連絡をお願いできますか?」


ひよりは全部知っているので、にこにこ笑っている。


ひよりは笑っているのが一番いい。

それが一番、平和だ。


横に立つ前田さんが、やれやれという顔で言った。


「やっと片付きましたね。お疲れ様です」


笑いをこらえている。


「……おかげさまで」


そう答えると、前田さんはますます笑いそうな顔をした。


コスメエリアと婦人雑貨売り場、インターナショナルブランドをぐるっと回って、警備室に戻った。


神田は、すぐ後から入ってきた。


「四階、完了です」


「騒がれたか?」


「少し」


「失敗か」


「いや、成功の範囲っす」


それならいい。


巡回から戻った別の警備員が言った。


「主任、助かりました」

「来年もこれでいきましょう」


何を言っている。

もう、こりごりだ。


「来年からは、受け取らない方向で検討だ」


神田が笑う。


「無理ですって」


警備室としての返礼は終わった。

“皆さんでどうぞ”は、これでいい。


多少騒がれた気もするが、想定内だと思うことにする。


あとは、車のグローブボックスに入っている小さな箱だけだ。


あれは、皆さんでどうぞ、ではない。


4


ここしばらくは、早番と遅番というすれ違いのシフトが続いていた。

それでも、夜になれば帰ってくる。

それは、私の心の余裕にもつながっていた。


“余裕”というのは、言い換えれば“幸せ”なんだと思う。


16時の巡回では、いつものように恒一さんがインフォメーションへ来た。


「変わりなし?」


いつもと同じ。


カウンターの端に寄る。

そして、いつものように声を小さくする。


「一緒に帰ろう」


私も、小さく頷く。


一緒に帰るのは、私たちにとって日常と言えば日常。

けれど、毎日できるわけじゃない。

まだ少し明るさの残る時間に一緒に帰れることが、ちょっと幸せだった。



午前中。

内線電話で各売り場に連絡すると、昼までに“皆さんでどうぞ”を受け取りに来る各売り場代表者。


概ね、予想通りといった印象だった。


大蔵屋百貨店は、1階、2階、3階に婦人雑貨エリアがある。

売っているもののジャンルが違うので、階層を分けている。

2階はアロマ系だ。


四十歳を過ぎているであろう、2階の代表者の女性は楽しそうにしていた。


「警備の人も大変よね。こちらは感謝の気持ちもそれぞれあったんだろうけどね」

「ここの警備はイケメンぞろいで、あたしなんか遠目から目の保養よ」


そう言って、笑っていた。


コスメエリアからは、莉子ちゃんが来た。

袋を広げて“皆さんでどうぞ”のメモを見て、一瞬、目を伏せる。


でも、すぐに顔を上げて、笑顔を作った。


「みんなでおいしくいただきます」

「それに……明日は、朝倉さんに天気以外の話ができますよね!」


そう言って、小走りで去って行った。

どこまでもポジティブだ。



帰り道、“皆さんでどうぞ”作戦が一応成功に終わったことで、彼はほっとしているみたいだった。

皆さんの反応を簡単にかいつまんで、彼に“報告”しながら、家路についた。


マンションの駐車場まで来ると、なんだかソワソワと落ち着きが悪い彼。


ああ、私へのホワイトデーを気にしているのね。


「車に忘れ物があるから、先に上がってて」


ちょっと、笑ってしまう。


嘘のつけない人。


胸の中がじわりと温かくなる。

彼の、こういう不器用で誠実なところを愛してる。

この人のいない毎日は、きっと私に、色のない世界を見せるのだろう。


私へのプレゼントは、なにかしら?


玄関の鍵を開けて、コートを掛ける。


クッキー?

定番のチョコレート?

プリン?


いや、プリンは車の中に置いておかないだろう。

焼き菓子ね。


夕ご飯の後で、こたつに入って、今日と明日と、もう少し未来の話をしながら一緒に食べたい。


ドアの開く音がした。

彼の手には、小さな紙袋。


やっぱりね。

“皆さんでどうぞ”ではない、私だけの特別なプレゼント。


恒一さんは、紙袋をそっと差し出した。


「嬉しい。開けてもいいですか?」


「うん」


目を伏せている。

緊張しているの?


包装を解いて、違うと思う。

これは……お菓子の箱じゃない。


私は、そっと箱を開けた。

思わず、目が大きく開く。


「あ……どうしよう……素敵」


私は、手で口元を押さえた。

お菓子だと思っていたから。


箱の中には、涙の形。

淡い青。


素敵なネックレスが入っていた。

きっと、この涙型は、嬉しいときの涙に違いない。


やっと出た言葉は、少し涙に詰まって、彼を驚かせたかもしれない。


「つけてくれますか?」


窓辺に立つと、窓に映った彼が、私の後ろに立っている。

私は、髪を横に流した。


彼が、ゆっくりと言った。


「この色を見たとき、思い出した」

「前に、部屋を探しに行った日」

「空が高くて青くて、君の青いワンピースが風に揺れてた」

「だから、この色にした」


ああ、やっぱり。

この人を愛さずにはいられない。


「そんなこと、覚えていたんですか?」


「忘れるわけない」


彼の指が、首の後ろで細い留め具を留める。


「ホワイトデーなので。」

「でも、それだけじゃなくて」

「いつも、そばにいてくれて、ありがとう」


窓に映る自分が、滲んで見えない。


「私こそ……幸せです。ありがとう」


振り返って、彼を見る。


「どうですか?似合ってますか?」


彼は、私の涙を指で拭って言った。


「とても」


窓に映る首元で、小さな青が光っている。


“皆さんでどうぞ”ではない。

私だけのものだった。




ひより日和 番外編7 「皆さんでどうぞ」 おわり


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