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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第4章:不渡りの王国

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第85話:血塗られた大局の算盤と、国家の保険料

 大議事堂を包む空気は、もはや物理的な質量と鋭い棘を備えた圧殺の檻へと変貌していた。

 先ほどまで己の特権と富を声高に叫び、平民を路傍の石の如く見下していた 100人 を超える貴族たちは、今や完全に沈黙している。彼らはただの紙切れと化した権利書を震える手で握りしめ、冷たい大理石の床に這いつくばって絶望のうめき声を上げるだけの、哀れな債務者(ライアビリティ)へと成り下がっていた。


 だが、その阿鼻叫喚の渦の中心にありながら、王国宰相ギルフォードだけは、微塵も表情を崩してはいなかった。

 彼は演壇から一段ずつ、ゆっくりと大理石の階段を下り、エマ・ルミナスの数歩手前で静止した。豪奢な法衣に身を包んだその姿は、荒れ狂う嵐の中心に立つ巨木のようであり、一切の動揺を感じさせない。


「見事な不良債権の清算だ、元・査定員殿。貴様がこの愚か者どもの財産を紙屑に変え、返済という名の首輪を嵌めたことで、私が彼らに支払っていた『無駄な賄賂』は帳簿から完全に消去された。


……むしろ、国家の歳出を適正化してくれたことに、為政者として礼を言わねばならんな」


 ギルフォードの足元から、チリチリと空気を焦がすような、莫大でどす黒い魔力の波動が立ち昇り始めた。

 それは、懐柔や政治的駆け引きといった人間的な情緒を完全に削ぎ落とし、国家という巨大な機械を動かす絶対的な歯車へと回帰した、冷酷な支配者の姿であった。


「だが、貴様は根本的な『前提条件』を見落としている。


……なぜ私が、貴様が暴いた『国民の 8% の命』を地下の炉で焼いてまで、この王都に過剰な防壁を張り、過分な光を灯し続けなければならなかったのかを」


 ギルフォードは、議事堂の巨大なステンドグラス越しに見える、王都の空を指差した。

 昼夜を問わず王都全域を覆い、毒々しいほどに輝き続ける『神聖防壁』。それは本来、魔獣の脅威から市民を護るための慈愛の光であるはずのものだ。


「……東の巨大帝国だ」


 ギルフォードの声が、議場に重く、不気味な地鳴りのように反響する。


「帝国は常に、我が国を呑み込もうと国境付近で牙を剥いている。彼らの軍事力は我が国の 10倍。まともに激突すれば、この王国は 3日 と持たずに地図から消滅するだろう。……では、なぜ彼らは今日までその一歩を踏み越えてこなかった?」


 エマは銀縁眼鏡の奥で、灰青色の瞳を鋭く細めた。


「……『見栄』、ですか」

「その通りだ。私はこの王都に、天然の魔力資源を持たない我が国には到底不可能な規模の『圧倒的な魔力障壁』と『無尽蔵の輝き』を展開し続けた。


……帝国の密偵たちに、『王国には未知の抽出技術がある。底知れぬ国力がある』と錯覚させるためにな!」


 ギルフォードが両手を広げると、議事堂を照らす巨大な魔導シャンデリアが、彼の放つ魔力に呼応して一層眩く、暴力的なまでに発光した。光が強まるほどに、地下で焼かれている名もなき命の悲鳴が、積算上のノイズとなって脳内に響くような錯覚に陥る。


「見栄を張らねば、足元を見られ、一国は容易に滅びる。帝国に侵略されれば、国民の 100% が奴隷となり、あるいは惨殺の対象となるのだ。ならば、国を維持する『絶対の抑止力』の原価(コスト)として、毎年 8% の底辺の命をくべる……。為政者として、これほど合理的で、かつ安価な『国家の保険料』が他にあるか!」


 それは、血も涙もない、しかし反論の隙を与えぬ「大局の正論」であった。

 92% を生かすために、8% を定期的に廃棄する。個人の倫理や道徳を完全に度外視した、国家という巨大な算盤が弾き出した、残酷な全体最適。


「…………ッ」


 その瞬間、エマの視界がグラリと大きく揺れた。

 彼女の右目に宿る魔導式解析眼(トレース・アイ)が、ギルフォードの言葉の裏付けとなる「王都全体の魔力消費量」と「帝国の仮想軍事力」の相関関係を、無意識のうちに猛烈な勢いで算出し始めてしまったのだ。


(王都の防壁維持にかかる年間魔力量、300,000,000。対する帝国の推定武力、及び侵攻時の国民死亡率の回避係数……。防衛予算の欠如を、人的犠牲で補填する方程式。……確かに、短期的な延命措置としては、彼の数式は完全に成立してしまって……!)


 国家規模の命の天秤。数え切れぬほどの生と死という、あまりにも巨大すぎる変数の積算に、エマの華奢な身体を動かす熱量が、滝のような勢いで枯渇していく。

 視界が明滅し、指先から温度が失われる。膝から力が抜け、冷たい大理石の床に倒れ込みそうになった、その時。


「――考えすぎるな、お嬢様。脳が焼き切れるぞ」


 背後から伸びてきた黒い革手袋が、エマの細い肩をガシリと力強く支えた。奈落の底から拾い上げた不変の定数、ヴォルフだ。

 彼は懐から、油紙に包まれた不格好な茶色の塊を取り出すと、有無を言わさずエマの口の中へ乱暴に押し込んだ。


「むぐッ……!?」

「ルカがスラムから掠めてきた、軍用の高圧縮携帯食糧だ。廃糖蜜で石のように固めてある。味と食感は最悪だが、熱量と糖分だけは爆薬並みだ。……噛み砕け」


 口腔内に広がる、暴力的なまでの甘みと、泥臭い糖分の塊。

 エマは眉間を寄せながらも、言われた通りにその硬い結晶をガリガリと噛み砕き、強引に嚥下した。


 数秒の遅延の後。

 血中に直接叩き込まれた圧倒的な糖分が、活動停止しかけていた彼女の脳細胞を強制的に再起動させる。視界を覆っていたノイズが晴れ、灰青色の瞳に再び極低温の理性の光が灯った。


「……ひどい味です。舌の細胞が全損するかと思いました」

「文句は後で聞く。頭の歯車は回るようになったか?」

「ええ。……視界は極めて鮮明です。ヴォルフ、適切な資産の納品に感謝を」


 エマは身を翻し、再び完全に感情を排した、氷のように冷徹な瞳で宰相を真っ直ぐに射抜いた。その手には、真鍮の万年筆がしっかりと握られている。


「宰相ギルフォード。貴方の主張する『 8% の保険料』という計算式。……一見すると見事な国家運営に見えますが、根本的な『資産(アセット)の枯渇』という概念が欠落しています」

「……何だと?」


 ギルフォードの眉が、初めて微かに動いた。


「貴方は人間を、ただ燃やせば熱を発する『無機質な薪』と同じだと誤認している。……人間の命は、ただの燃料ではありません。労働し、次世代を育み、将来の富と税収を生み出す『再生産可能な資産』です」


 エマは手元にある、アリアが神殿の地下から持ち出した『人口動態』の分厚い記録の束を、ドンッ、と演壇に叩きつけた。


「貴方の帳簿を確認してください。過去 10年、貴方が防壁の出力を上げるために 8% の命を燃やし続けた結果、王国の労働人口はどうなりましたか? 働き盛りの若者や、スラムで日銭を稼ぐ泥臭い労働者たちが次々と行方不明になり、農地の生産力は低下し、物流という名の血液は滞っている。……現に、辺境の都市から王都に至るまで、物価は年々異常な高騰を続けています」


 エマの魔導式解析眼(トレース・アイ)が捉えているのは、頭上で輝く眩い防壁の光ではない。その光を生み出すためにスカスカに空洞化してしまった、国家という土台そのものの脆弱さであった。


「国力を偽装するために、未来の国力そのものを燃やせば、当然、実体経済は衰退する。衰退した国力を補い、帝国への見栄を維持するためには、来年は 9%、再来年は 10% の命を燃やさねば計算が合わなくなる。……これは防衛ではありません。自らの手足を食べて飢えを凌ぐ、ただの『緩やかな自殺』です」


「…………ッ」


「貴方の仕組みは、いずれ必ず燃料切れを起こし、帝国に攻め込まれるまでもなく、数年以内に内側から完全に崩壊する。……これが、貴方の冷酷な大局算が抱える、致命的な不備(エラー)です」


 静まり返る議場。

 エマの提示した数字の真実は、宰相が掲げた「 92% を救うための大義」という名のメッキを見事に剥がし、それがただの自己崩壊を前提とした《《無能な延命措置》》であることを、白日の下に曝け出した。


「……面白い」


 だが、完全に論破されたはずの宰相ギルフォードは、喉の奥で低く笑った。

 彼の瞳には、敗北の焦りなど微塵もない。むしろ、自らの破綻を平民の少女に指摘されたことで、彼の中に眠っていた絶対的な権力者としての傲慢と狂気が、完全に目を覚ましたようだった。


「貴様の言う通りだ、元・査定員。私の仕組みはいずれ限界を迎えるだろう。……だが、それが今日や明日ではないことも、貴様のその優秀な頭脳なら理解しているはずだ」


 ゴゴゴゴゴ……と。

 大議事堂の床が、いや、王都の地下全体が、不気味な地鳴りを上げ始めた。


「実体経済の崩壊など、数年先の未来の話に過ぎん! だが、今ここで私がこの防壁の出力を落とせば、帝国は明日にでも国境を越えてくるのだ! 貴様の言う『正しい帳簿』など、国が今日滅びればただのゴミ屑に過ぎん!」


 宰相が両腕を高く掲げると、議場の床に敷き詰められた大理石の目地から、赤黒く濁った異常な魔力の光が溢れ出した。

 それは、王都の地下深くで今この瞬間も燃やされている、名もなき市民たちの命の輝きが、限界を超えて引き出されている証拠であった。


「貴族どもが自己破産したというのなら、好都合だ。これより、王国宰相であるこの私が、国家の全権とこの『命の搾取構造』の制御を直接握る! 誰の許可もいらん、私がこの国の唯一の支配者だ!」


 凄まじい魔力の奔流が、大議事堂をドーム状に包み込んでいく。

 それはもはや、政治的な駆け引きでも、法的な権限でもない。純粋にして絶対的な「暴力」と「恐怖」による制圧であった。


 息をすることすら困難なほどの重圧。冷たい大理石の床に這いつくばっていた貴族たちは、その赤黒い光を前にして、ガタガタと無様に震え上がった。

 彼らは本能で理解したのだ。自分たちがいくら特権や財産を失おうとも、命さえあれば生き直せる。だが、この血塗られた宰相を失えば、明日には帝国の軍馬に踏み躙られ、一族郎党すべてが惨殺されるという残酷な現実を。


「お、おお……宰相閣下……!」

「我々をお守りください! 帝国の刃から、どうか我々を……!」


 数分前まで宰相を糾弾しようとしていた貴族たちが、今度は涙と鼻水を流しながら、己の命の安全保障を求めて宰相の足元へと平伏していく。

 これこそが、宰相ギルフォードの真の支配。

 借金という鎖が断ち切られた後に行き着く、外敵への恐怖を利用した完全なる「大局の恐怖支配」であった。


「見たか、平民の娘よ! これが国家だ! 倫理や綺麗事など、剥き出しの暴力の前では何の意味も持たん! 私の血塗られた算盤だけが、この国を明日へ繋ぐ絶対の真理なのだ!」


 狂乱の渦の中心で、宰相は高らかに勝利を宣言した


 だが。

 その絶望的なまでの光景を前にして。

 エマ・ルミナスは、ただの一歩も退いてはいなかった。


 暴風のように吹き荒れる魔力の波を真っ向から受けながら、彼女は静かに銀縁眼鏡のブリッジを押し上げる。

 その灰青色の瞳――魔導式解析眼(トレース・アイ)の奥では、宰相が絶対の自信を誇るその魔力構造を、「恐怖の象徴」としてではなく、ただの「入力と出力の計数」として無機質にスキャンする、青白い演算回路が猛烈な勢いで明滅を始めていた。


■元・査定員エマの業務日誌:用語解説


大局の算盤(たいきょくのそろばん)

個人の犠牲や倫理を無視し、国家全体が生き残るための「最も効率的な数値」だけを追求する冷酷な思考法(全体最適)。宰相は「100人全員が死ぬより、8人を殺して92人を活かす方が国家としてはプラスである」という、血も涙もない計算式で国を運営していました。


緩やかな自殺(ゆるやかなじさつ)

未来の利益を生み出すはずの「資産(労働力となる国民)」を、現在の火の車を乗り切るための「燃料」として使い潰してしまうこと。目先の防衛力は維持できても、国力自体がどんどん目減りしていくため、最終的には確実に国が内側から崩壊するという致命的な経営上の不備(エラー)を指します。


決算(けっさん)

一定期間の損益を確定させ、最終的な帳尻を合わせること。私は、宰相が 20年間 積み上げてきた粉飾(嘘)を終わらせることを、国家という巨大な事業の最終的な強制決算(クロージング)と定義しました。


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