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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第4章:不渡りの王国

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第82話:粉飾の議場と、泥まみれの元・査定員

 王都ルミナリスの中心にそびえ立つ、白亜の大議事堂。


 その最深部に位置する巨大な円形議場は、常軌を逸した量の《《光》》に包まれていた。


 天井を覆い尽くす数百の巨大な魔導シャンデリア。

 壁面に埋め込まれた高純度の魔力石(まりょくせき)の群れ。


 それらは今、真昼であるにも関わらず最大出力で稼働し、議場内を影一つない白日の空間へと染め上げている。


 それは明らかな《《魔力の無駄遣い》》であった。

 だが、すり鉢状の議席を埋め尽くす数百人の貴族たちの中で、その異常な消費に疑問を持つ者は誰一人としていない。


「――見よ、諸君。この王都の尽きることなき光を!」


 議場の最下層。

 白大理石で作られた豪奢な演壇の上で、王国宰相ギルフォードが両腕を広げて声を響かせた。


 五十代半ばの、隙のない軍服のような漆黒の礼服に身を包んだ男。

 彼の声は魔法による拡声器を通さずとも議場の隅々にまで届き、聞く者の心を完璧に掌握する奇妙な引力を持っていた。


「周知の事実として、我がルミナリス王国には、隣国である帝国のような豊かな天然の魔力資源が存在しない。我々は国家の生命線である魔導力元(エネルギー)を、その仮想敵国である帝国からの輸入に頼らざるを得ないという、致命的な弱点を抱えている」


 ギルフォードの言葉に、貴族たちが静まり返る。

 それは王国が抱える、絶対に覆せない地政学的な絶望だった。


「では、なぜ強大な帝国は、資源を持たない我が国を今日まで飲み込もうとしないのか? 武力か? 違う! 我々が彼らの《《計算を狂わせている》》からだ!」


 宰相は力強く拳を握り、頭上の眩すぎるシャンデリアを指差した。


「輸入した魔石の量からは、到底計算の合わない圧倒的な巨大防壁。そして、この王都の過剰なまでの繁栄と光。これを見た帝国はこう錯覚する。『ルミナリスには、我々の知らない未知の無尽蔵なエネルギー源が隠されているに違いない』とな! この圧倒的な余裕の演出こそが、帝国に攻め込む隙を与えない《《最強の盾》》なのだ!」


 おおおおおっ、と。

 議席から地鳴りのような歓声と拍手が沸き起こる。


「諸君らがこの王都で優雅な生活を謳歌し、特権(とっけん)という名の富を消費すること。それ自体が、帝国に対する強烈な牽制となっている。我々の過剰なまでの贅沢は、単なる浪費ではない。我が国が生き残るための、尊き《《防衛という名の義務》》なのだ!」


 その言葉に、絹のドレスや宝石で着飾った貴族たちはさらに熱狂した。


 宰相は、彼らの底なしの強欲を「国を守るための愛国行為」という甘い言葉で全肯定してくれる。

 何の労働もせず、ただ領民から搾り取った富で遊び呆けている自分たちこそが、この国を支える最大の功労者なのだと、最高に心地よい免罪符を与えてくれるのだ。


(……そうだ。この熱狂こそが、完璧な統治の形だ)


 ギルフォードは、歓声を浴びながら内心で冷たく笑った。


 この眩い光を維持するために、裏でどれほどの《《見えない燃料》》が焼かれているかなど、この愚かな株主(きぞく)たちは知る必要はない。

 彼らはただ、私が与える特権という名の違法配当(あまいしる)に酔いしれ、私の決定に賛成の票を投じるだけの、従順な防波堤であればいい。


 歓声が静まるのを待ち、ギルフォードは演説のトーンを一段階落とし、沈痛な面持ちを作った。


「しかし、憂慮すべき事態が起きている。……病の床にある国王陛下に代わり、この国難の時代を牽引すべき王太子ルーファス殿下が、数日前より公務を放棄し、王宮から姿を消されたのだ」


 議場が、わざとらしいざわめきに包まれる。


「殿下は、この強固な王都の防衛システムに難癖をつけ、あろうことか『特権の廃止』や『防衛費の削減』などという、帝国に隙を見せるような暴論を口にしておられた。国家の生存戦略を理解できぬ青さが、責務の重圧に耐えかねて逃亡を図ったのだろう」


 深くため息を吐き、宰相は議場全体を見渡した。


「国政を一日たりとも停滞させるわけにはいかない。粉飾(ハッタリ)の光は決して絶やしてはならず、諸君らの財産は守られねばならない。……よって私は、この大議会において、国家非常事態権の行使を提案する。王太子殿下が帰還されるまでの間、国軍の指揮権、および国家予算の全承認権限を、暫定的にこの私、ギルフォードへ委任していただきたい!」


 それは事実上の、王権の完全な《《簒奪宣言》》だった。


 だが、特権という名の甘い汁に首まで浸かった貴族たちに、それに反対する理由は微塵もなかった。

 ルーファスのような「清廉潔白でうるさい若造」が消え、自分たちの贅沢を保証してくれる宰相が全権を握る。これほど素晴らしい経営方針の変更はない。


「賛成だ!」

「宰相閣下に全権を!」

「我々の特権を守れ!」


 次々と賛成の挙手が上がり、議場は異様な熱気に包まれていく。

 議長席に座る宰相派の議員が、満面の笑みで木槌を大きく振り上げた。


「……これより採決を取る! 宰相ギルフォード閣下への、暫定的な全権委任動議に対し――」


 その時だった。


 ガァンッ!!!


 演壇の真裏。

 宰相の背後に位置する、絶対に部外者が立ち入ることのできないはずの『議長控室』の重厚なマホガニー製の扉が、蝶番を引きちぎらんばかりの凄まじい勢いで蹴り開けられた。


「な、なんだ!?」

「衛兵! 回廊の衛兵は何をしている!!」


 突然の轟音に、貴族たちが悲鳴を上げて立ち上がる。

 ギルフォードもまた、計算外の事態に目を見開き、弾かれたように振り返った。

 

 土煙が舞う中、開け放たれた扉の向こうから、一つの巨大な影がゆっくりと歩み出てきた。

 黒いロングレザーコートに身を包み、背中に禍々しい黒鉄の大剣を背負った、狼のような隻眼の大男。


 頭のてっぺんからブーツの先まで、昇降機の油と泥水に塗れたその男――ヴォルフの放つ、歴戦の魔獣すら凌駕する圧倒的な死の気配に、議場内の空気が一瞬にして凍りついた。


「……ちぃとばかし、暑苦しすぎるぜ。この箱は」


 ヴォルフは首の骨をポキリと鳴らしながら、値踏みするように議場を見渡す。

 誰も声を発することができない中、ヴォルフが道を譲るように一歩横へ退いた。


 そして、暗い控室の中から、二つの人影が演壇の眩い光の下へと歩み出た。


「そ、その御姿は……!」


 貴族の一人が、震える指を突き立てた。


 暗灰色の粗末な外套を深く被り、足元を泥水でひどく汚した青年。

 彼がバサリと外套を脱ぎ捨てると、その下からは、勲章や金糸の装飾がすべてむしり取られた、ただの作業着のような濃紺の軍服が姿を現した。

 そして彼の手には、王族の権威ではなく、この国の『破産宣告』に法的な効力を持たせるための唯一の事務用品――王太子の『獅子の印璽(ししのいんじ)』が固く握りしめられていた。


「る、ルーファス殿下……! なぜ、そのような泥まみれのお姿で、控室から……!?」


 ギルフォードの顔に、初めて明確な焦燥が浮かんだ。


 王宮の最上層に軟禁したはずの王太子が、なぜここにいる。

 それに、この議場へと続く回廊には数十人の特務騎士を配置し、完璧な警備網を敷いていたはずだ。どうやって、一滴の血も流さずに、演壇の真裏まで到達したというのか。


 だが、宰相をさらに混乱させたのは、王太子の隣に立つ、もう一人の存在だった。

 王都の心臓部たるこの神聖な大議場に、絶対に存在してはならない異物。


 煤と油で黒く汚れ、所々が破れた純白のブラウスとプリーツスカート。

 銀縁の眼鏡をかけ、両腕に信じられないほど分厚い書類の束を抱えた、華奢な平民の少女。


「遅れて申し訳ありません。議事堂のインフラである魔石用昇降機のメンテナンスが行き届いておらず、想定よりも到着に四十三秒の遅延が発生しました」


 エマ・ルミナスは、数百人の貴族たちの刺すような視線を全く意に介することなく、極めて事務的な、氷のような声でそう言い放った。

 彼女は乱れた襟元を直し、スタスタと演壇の中央――宰相ギルフォードの目の前へと歩み寄る。


「き、貴様は何者だ! ここは神聖なる議場だぞ! 衛兵、この薄汚れた平民をつまみ出せ!」


 宰相派の貴族が金切り声を上げる。

 だが、エマは冷たい灰青色の瞳をスッと細め、腕に抱えていた分厚い書類の束――『|王国総産出高予測報告書グランド・けっさんしょ』を、大理石の演壇の上に、ドンッ! と重い音を立てて叩きつけた。


「王国定款、および商業ギルド特別監査法に基づき、現時刻をもってこの議会の進行を一時凍結します」


 エマは真鍮の万年筆を抜き放ち、宰相の鼻先でペン先を鋭く光らせた。


「宰相ギルフォード。貴方の提示したその《《粉飾決算》》に、異議を申し立てます」


■元・査定員エマの業務日誌:用語解説


粉飾決算(ふんしょくけっさん)

 企業が自らの経営状態を良く見せるため、帳簿を不正に操作して、実際よりも多くの利益が出ているように偽装することです。王国は帝国からの魔力輸入に依存しているという弱点を隠すため、あえて莫大な魔力を浪費する巨大防壁と貴族の贅沢を演出することで、「我が国には輸入に頼らない未知のエネルギー資源がある」と帝国に錯覚させる、国家レベルの巨大な粉飾を行っていました。


利益供与(りえききょうよ)

 会社の経営陣が、株主総会(議会)を自らの思い通りに動かすため、特定の株主に対して不当な利益(特権や賄賂)を与えること。宰相は貴族たちに「贅沢は国を守るための義務だ」という大義名分を与えて甘い汁を吸わせることで、誰も自らの政策に逆らえない「共犯関係」を築き上げていました。



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