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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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幕間6:限界の計算機と、千年樹の琥珀糖

 投資家ビアンカの隠れ家。

 防音魔法が完璧に施されたゲストルームの天蓋付きベッドで、エマ・ルミナスは死んだように――あるいは、電源を落とされた機械のように、ピクリとも動かず眠り続けていた。


 勇者パーティー『アヴァロン』の不正を暴き、広場での魔断を見届けた直後。

 隠れ家に帰還したエマは、出迎えに出たビアンカたちに対し「……脳の演算資力が完全に枯渇しました。これより48時間の強制停止状態に移行します」と事務的に告げ、そのままベッドに倒れ込んで意識を手放したのだ。


 それから、丸2日が経過していた。

 天井に吊るされた魔導ランプの薄暗い光の下、エマはゆっくりと灰青色の瞳を開いた。


 視界のピントが合うまでに、数秒の遅延が発生する。

 極限の並列演算によって酷使された脳髄はまだひどく熱を持っており、全身の筋肉はひどい気怠さに支配されていた。


「……現在時刻と、室温の開示を要求します。私の体内時計の誤差修正が必要です」


 乾いた唇を微かに動かして呟くと、ベッドの脇で愛用の大剣に油を引いていたヴォルフが、呆れたように低く息を吐いた。


「午後2時。室温は22度だ。……丸2日だぞ、お嬢様。途中で息止まってねえか3回は確認した」


「48時間の強制休業。……王宮前広場で限界を超えて前借りした、体力という名の『負債』を考えれば、妥当な返済期間ですね」


 エマは分厚い毛布を押し除け、上半身を起こそうとした。

 しかし、2日間まったく動かしていなかった体が極度のエネルギー不足を訴え、生まれたての子鹿のように腕がガクガクと震える。


「寝てろ。腹の底からスッカラカンだろうが」


 ヴォルフは布で大剣を拭う手を止め、サイドテーブルに置かれていた、豪奢な螺鈿細工の小箱を手に取った。

 箱の中には、まるで宝石のように自ら淡い金色の光を放つ、透明な砂糖菓子が数粒だけベルベットの布の上に鎮座している。


「ルカがビアンカの金庫からくすねてきた『千年樹の樹液(ミレニアム・サップ)と星屑蜂蜜の琥珀糖(アンバー・シュガー)』だそうだ。1粒で家が建つらしいぜ」


「……は?」

 エマの顔が、疲労とは別の角度で僅かに歪んだ。


 ヴォルフはその小箱から、一番魔力濃度が高そうな琥珀糖を無造作に指で摘み出すと、起き上がろうとしていたエマの口元に、有無を言わさず押し当てた。


「ほら、口開けろ。燃費の悪い頭に直接くべる、最高級の薪だ」


「……非効率の極みです。そのような見栄と看板代だけで価格が釣り上げられた嗜好品に、莫大な資本を固定化させるなど、1人の査定員として到底見過ごせ……むぐっ」


「理屈こねながら涎を飲み込むな。黙って食え。これも俺の『維持管理業務』だ」


 エマは不本意そうに眉をひそめながらも、差し出された暴力的な価値の塊を口に含み、奥歯でカリッと噛み砕いた。

 純度の高い魔力蜜と、数百年かけて結晶化した千年樹の樹液が、舌の上で爆発的な甘さとなって溶けていく。


 ズン、と。

 直接的かつ超高純度の糖分が血流に乗り、ひどいガス欠を起こしていた脳細胞を強引に叩き起こす。白く濁っていた視界の霧が瞬時に晴れ、鈍く痛んでいた頭の芯に、冷たい知性の光がカチリと戻っていくのがわかった。


「……味覚への暴力的なまでの刺激ですが、精気の変換効率は悪くありませんね。……脳内演算領域の復旧率、95%を確認」


 エマは口元の甘い残滓を上品に拭き取ると、ベッドの横に置かれていた自分のスレート・グレーの制服の上着を手に取り、シワを伸ばした。


「おっ、エマさん起きたの!? よかったー!」


 その時、バタバタと騒がしい足音と共に、客室の扉が開いた。

 情報屋の少年ルカが、インクの匂いが真新しい号外新聞を片手に飛び込んでくる。


「ちょうどいいニュースがあるよ! エマさんがぶっ倒れてる間に、あの『元・英雄様』たちの負債額と返済計画が確定したみたい」


 ルカがベッドの上に広げた新聞には、デカデカと『アヴァロン財団、完全破産』の見出しが躍っていた。

 エマは銀縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、その見出しと本文の数字だけを冷徹な視線で解析する。


「……元勇者アレクサンダーならびに『アヴァロン』のパーティメンバーは身分剥奪。ギルドおよび国庫に対する8,400,000ゴールドの損害賠償のため、北方・第8魔石鉱山での無期限強制労働……なるほど」


「一生、極寒の北でツルハシ振るわされるってさ。ピカピカの鎧から囚人服への大転落だね」

 ルカが呆れたように言うと、傍らのヴォルフが鼻で笑った。


「まあ、妥当だな。……で? お嬢様の計算だと、あいつらはあの天文学的な借金を何年で返せるんだ?」


 エマは視線を空中に泳がせ、即座に暗算を弾き出した。


「第8鉱山の囚人労働における1日の平均賃金が150ゴールド。そこから最低限の生命維持費(食費と寝床代)50ゴールドを天引きし、残りの100ゴールドをすべて返済に充てたと仮定します」


 エマは冷淡な声で、一つの容赦ない「答え(数字)」を宣告した。


「休日を1日も与えず、病気にもならず、毎日休まずツルハシを振り続けたとして……完済までおよそ84,000日。年数にして約230年かかります。……人間である以上、物理的に返済不可能な『完全なる債務不履行(さいむふりこう)』ですね」


「230年……。死んでも借金取り立てられるじゃん, 怖っ……」

 ルカが顔を引きつらせる。


「華々しい処刑すら与えられず、一生帳簿の底で数字の奴隷として生きる。……粉飾という嘘で大衆を騙した詐欺商品には、これ以上ないほど適切な減損処理(げんそんしょり)です」


 エマの顔には、同情も、あるいは復讐を遂げた歓喜も一切なかった。

 ただ「誤った数字が、あるべき場所へ収まった」という、査定員としての事務的な納得だけがあった。


「……で、勇者の清算も済んだことだし、次はどこの帳簿を焼き払いに行くんだ? いよいよ神様か?」


 ヴォルフが皮肉げに問いかけると、エマは冷徹な顔へと完全に戻り、首を横に振った。


「いいえ。神殿も勇者アレクサンダーも、所詮はただの『偽装組織』に過ぎませんでした。私たちの次なる監査対象は、この国という巨大な仕組みの規律そのものを作った男……宰相ギルフォードです。彼が意図的に隠蔽している、国家規模の天文学的な負債を計算し直さなければなりません」


「……へえ。今度の敵は、国そのものときたか」


 ヴォルフは黒鉄の大剣を背に背負い直すと、呆れ顔の中にほんの少しだけ、頼もしい相棒への信頼を滲ませて笑った。


「相手が国のトップだろうと、お前が1ゴールドの誤差も許さねえってんなら、俺は今まで通りお前が計算を終えるまで前を塞ぐだけだ。……だが、今度ばかりはきっちり『国家転覆割増し』で護衛費用を請求させてもらうぜ、悪徳査定員」


「ええ、構いませんよ。……彼の隠し財産を差し押さえた後、全額経費で落としますから」


■査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


【体力の前借り】

 己の肉体の限界(資本)を超えて演算能力を前借りした結果生じた、巨大な疲労という名の「負債」です。これを返済するためには、48時間という長期の業務停止(強制休業)が必要不可欠でした。健康管理も計数官の重要な業務であり、無計画な赤字は猛省すべき点です。


【嗜好品への資本固定化】

 1粒で家が建つほどの『千年樹の琥珀糖』。栄養補給という本来の機能に対して、希少性や見栄という無駄な価格が上乗せされています。投資家としては極めて非合理的な資金の固定化(無駄遣い)ですが……今回ばかりは、その暴力的な原価に見合うだけの即効性(精気)があったことだけは、不本意ながら帳簿に記載しておきます。


【完全なる債務不履行(さいむふりこう)減損処理(げんそんしょり)

 回収の見込みがない資産の価値を帳簿上で引き下げる(損失として計上する)処理のことです。勇者たちが抱えた8,400,000ゴールドは人間の寿命では物理的に完済不可能な「不良債権」となりました。華々しい最期など許されず、一生をかけてツルハシで返済させられる彼らの末路は、まさに無価値な資産への適切な減損処理と言えます。


隠れ蓑(かくれみの)(偽装組織)】

 本来の目的(黒幕の巨大な不正)から監査の目を逸らすため、あえて目立つ場所に置かれた偽の標的です。勇者や神殿の腐敗は確かに悪でしたが、それらはすべて、宰相ギルフォードが構築した「真の負債」を隠蔽するための派手な看板に過ぎませんでした。


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