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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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幕間5:空売りの授業と、無価値になった偶像の末路

 公的な地図から完全に抹消された、王都の裏経済を牛耳る投資家ビアンカの『隠れ家』は、地上で吹き荒れる大恐慌の嵐が嘘のように、優雅で静謐な空気に包まれていた。


「……信じられないわね。王都の金融街は今、紙切れになった債券を握りしめた貴族たちと、暴徒と化した市民で阿鼻叫喚の地獄絵図よ。なのに、あんたの所だけは笑いが止まらないってわけ?」


 赤い髪を揺らして隠れ家に転がり込んできたセラフィナ――セラが、呆れたようにため息をつきながら、最高級の天鵞絨の長椅子にどさりと腰を下ろした。

 その隣では、情報屋の少年ルカが「外は暴動一歩手前で死ぬかと思ったよ!」と文句を言いながら、テーブルの上の高級な焼き菓子に手を伸ばしている。


 二人の視線の先。

 漆黒の上下服を隙なく着こなしたビアンカは、1本 数万ゴールド は下らない年代物のワイングラスを傾けながら、艶やかな、しかし底冷えするような笑みを浮かべていた。


「当然でしょう? 私はただ、あの可愛らしい査定員殿が『いつ、誰の価値を暴落させるか』という確実な未来に、少しばかりの資本を乗せただけよ。……ルカ。市場の利益は確定したかしら?」


「ばっちりだよ、ビアンカさん。……はい, これ」


 ルカはポンチョの懐から、王都のギルド本部が発行した真新しい『口座残高証明書』を取り出し、テーブルの上へ滑らせた。

 そこには、たった1日でビアンカの口座に振り込まれた「4,500,000ゴールド」という、目を疑うような莫大な利益が印字されていた。


「よ、450万ゴールドぉ!?」

 セラが素っ頓狂な声を上げ、思わず身を乗り出す。


「ちょっと、あんた何をどうやったらたった1日でそんなに儲かるのよ!? 勇者の財団が崩壊して、関連する資産は軒並み大暴落したはずでしょ!?」


「簡単なことよ、セラフィナ」

 ビアンカはワイングラスを置き、何も知らない子供に教えるような、優しい声で口を開いた。


「私は昨日、アヴァロン財団が発行していた『高額な債券』を、市場の貴族たちから大量に《《借りてきて》》、まだ高値のうちにすべて売り払ったの。そして今日、エマが勇者の粉飾を暴き、その債券が1ゴールドの価値もないゴミへと大暴落した」


 ビアンカは, ルカが持ってきた分厚い札束の一部を指先で弾いた。


「だから私は、暴落したそのゴミを『タダ同然の値段』で買い戻し、元の持ち主たちへ返却したの。……高く売って、安く買い戻す。手元に残った4,500,000ゴールドの差額が、私の利益というわけ。私たちはこれを『空売り(からうり)』と呼んでいるわ」


「……えげつな……」

 セラは顔を引きつらせ、ルカは「大人って怖い」と呟いて焼き菓子をかじる手を止めた。


「エマが『真実(数字)』を暴く。私がその真実を使って『資本』を吸い上げる。……まったく, あの没落令嬢は私にとって最高の金融商品よ。彼女の計算式には、1ゴールドの狂いもないのだから」


 ビアンカが機嫌良くワインを飲み干したその時、ルカが思い出したように、懐からくしゃくしゃになった『号外新聞』を取り出してテーブルに広げた。


「そういえば、その金融商品の標的にされた『元・英雄様』たちの末路も、きっちり数字で確定したみたいだよ」


 セラが身を乗り出して、その号外の見出しを読み上げる。


『アヴァロン英雄慈愛財団、完全破産。……巨額の不正受給、ならびに国家資産毀損の罪により、元勇者アレクサンダーとそのパーティメンバーは、身分を平民以下へと剥奪。ギルドおよび国庫に対する8,400,000ゴールドの損害賠償のため――』


 セラはそこで一瞬言葉を切り、呆れと、少しばかりの嘲笑を交えて続きを読んだ。


『――北方・第8魔石鉱山における、無期限の強制労働(きょうせいろうどう)を宣告』


「……極寒の北の鉱山で、一生ツルハシを振るわされるってわけね。あの綺麗に磨かれた白銀の鎧の代わりに、ボロボロの囚人服を着て」


「自業自得だね。彼らが横領した金額をツルハシ1本で返すなら、ざっと250年はかかる計算らしいよ。死んでも借金は消えないね」

 ルカが肩をすくめた。


 劇的な公開処刑でも、華々しい散り際でもない。

 彼らはただの「莫大な負債を抱えた囚人」として、社会という帳簿から完全に減損処理(げんそんしょり)されたのだ。かつて数万の民衆から歓声を浴びていた英雄の末路としては、あまりにも惨めで、そして極めて「事務的」な結末だった。


「……さて」

 ビアンカは、その号外新聞を冷たい目で見下ろした後、再び艶やかな笑みを浮かべて立ち上がった。


「準備はいいかしら、二人とも。可愛い後輩殿が勇者の粉飾を片付けてくれたおかげで、最高の軍資金(450万ゴールド)が手に入ったわ」


「準備って……あんた、まさか」

 セラの顔が、今度こそ本気で引きつった。


「ええ。エマが次に狙うのは、勇者を裏で操っていた黒幕……この国のルールを作った『宰相』よ。彼女がその巨大すぎる帳簿を監査するためには、圧倒的な力が必要になる」


 ビアンカは、隠れ家の壁に貼られた「ルミナリス王国の巨大な全体地図」に、赤い鋲を突き立てた。


「次はこの国そのものを空売り(からうり)して、宰相の首を買い叩くわよ。……極悪な敵対的買収てきたいてきばいしゅうの始まりね」


■査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


空売り(からうり)

 相場が下落すると予想した際、他者から株や債券を「借りて」売り、暴落した後に安く買い戻して返すことで、差額の利益を得る極めて攻撃的な投資手法です。ビアンカは私の監査行動を「確実な暴落の兆候」として利用し、損失の恐れなく莫大な利益を生み出しました。道徳的ではありませんが、計算式としては極めて美しいと言わざるを得ません。


敵対的買収てきたいてきばいしゅう

 相手方の同意を得ることなく、資本の力を用いて強引に組織の経営権を奪取することです。ビアンカはこれを国家という巨大な組織に対して行おうとしています。法を守る私と、法を買う彼女。最悪の相性であり、かつ最強の協力体制と言えます。


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