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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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第68話:黒幕の損切りと、無価値な偶像

 白亜の王都の中心で、英雄という名の巨大な虚像が音を立てて崩壊した。


 魔力を失い、物理的な抵抗手段をヴォルフによって完全に断ち切られた勇者アレクサンダーは、泥と自らの汗に塗れながら、石畳の上を無様に這いずっていた。


 彼を取り囲む数万の群衆も、そして王都の衛兵たちも、もはや彼に向かって怒号を上げることはなかった。圧倒的な熱狂と憎悪の波が引いた後に残ったのは、ただ「負債まみれの詐欺師」を見下ろす、極めて冷淡で事務的な視線だけだった。


「……ま、待て。俺はまだ終わっていない。終わるはずがない……!」


 アレクサンダーは震える手で、白銀の胸当ての内側に隠し持っていた、小さな黒曜石の通信魔導具を取り出した。


 それは、彼が毎月の上納金を納め、彼を英雄として仕立て上げ続けてきた、絶対的な後援者への直通回線だった。


「宰相閣下! ギルフォード閣下! 応答してくれッ!」


 彼は血を吐くような悲痛な声で、魔導具に絶叫した。

 王都の治安維持を担う衛兵たちが彼を拘束しようと一歩踏み出すが、通信機から漏れ出した微かな、しかし背筋が凍るほど重い権力の波長を感じ取り、ピタリと動きを止めた。


 ノイズの直後。広場の静寂を切り裂いて、通信の向こうから、一切の感情を含まない、凪いだ水面のような声が響き渡った。


『……魔力紋の合致を確認した。アレクサンダー君。予定外の通信だが、君の担当業務である「大聖誕祭の定期公演」は完了したのかね』


「か、閣下! 助けてください! ギルドの査定員を名乗る狂人が、私の帳簿をデタラメに荒らし回って……! このままでは、貴方への月々の配当も……!」


 アレクサンダーは、まるで蜘蛛の糸にすがりつく亡者のように喚き散らした。自分がどれほど有益な道具であるかを必死に誇示するその姿は、英雄の欠片もない、ただの惨めな債務者だった。


 だが。通信の向こうの男――王国宰相であり、この国のすべてのシステムを構築した真の支配者、ギルフォードの返答は、あまりにも早く、そして残酷なまでに「理性的」だった。


『……事態の推移は、すでに報告を受けている。王都第5区画における魔導通信網の損壊、ならびに君という英雄の信用を担保としていた各種債券の暴落。……君は現在、我が国の経済基盤に対して 8,400,000ゴールド の物理的・信用的な損失を発生させている』


「な……何を、言って……」


『理解できないかね。君という資産の価値は、今この瞬間をもって私の許容損失額を大きく超過したということだよ』


 通信機越しのギルフォードの声には、投資に失敗したことへの怒りも、長年手駒として使ってきた勇者への失望すらも、一切存在していなかった。


 ただ、帳簿の数字が合わなくなったから、赤線を引いて消す。その程度の、極めて事務的で冷徹な響きしかなかった。


『よって、事前の契約約款、第14条第3項に基づき、現時刻をもって君への投資契約を解除する。同時に、君の身柄、全財産、および勇者という称号の所有権を、国庫へ強制的に差し押さえる。……不良資産の損切り(そんぎり)だ』


「ま、待てッ! 閣下、私は貴方のために……!」


『通信を終了する。あとは、そちらにいる優秀な監査官殿の計算式に従い給え』


 魔力切れの音と共に、黒曜石の魔導具は光を失い、ただの冷たい石ころへと変わった。

 それは、アレクサンダーという人間が、社会という巨大な市場から完全に登録抹消された瞬間だった。


「あ……、あぁ……」


 アレクサンダーの口から、もはや言葉にならない空気が漏れる。劇的な断罪も、感動的な悲劇もない。彼はただの「価値のない数字」として、システムを構築した男の冷徹な算盤によって、あっさりとゴミ箱へ捨てられたのだ。


「……終わったな」


 背後に立っていたヴォルフが、黒鉄の大剣を鞘に収めながら低く呟いた。

 衛兵たちが無言で進み出ると、抵抗する気力すら完全に失い、白目を剥いて涎を垂らすアレクサンダーの腕を事務的に掴み、引きずっていく。


 そこには一切のドラマはなく、ただの不法投棄物の回収作業と同じ光景が広がっていた。


 上空の飛行船の甲板。

 エマ・ルミナスは、眼下で衛兵に引きずられていく男を一瞥すらせず、ただ銀縁眼鏡を中指で押し上げ、王宮の奥――宰相府がそびえ立つ方角を、氷のような灰青色の瞳で静かに見据えていた。


「……驚くべき処理速度です。一切の感情的ノイズを挟まず、数秒で最適解である切り捨てを選択した。……あの宰相にとって、勇者すらも、国家という事業を回すための安価な原価(コスト)に過ぎなかったということですね」


『その通りだ、査定員エマ・ルミナス』


 突然、エマの手元にある魔導器が、ギルド本部からの上位権限による強制接続によって不気味な雑音を立てた。奥から響いたのは、先ほどアレクサンダーを冷酷に切り捨てた、宰相ギルフォードの凪いだ声だった。


『見事な手際だった。1ゴールドの誤差も許さぬ潔癖な査定能力は、かつてこの国の保険網を設計した若き日の私を思わせるよ』


「……お褒めに預かり光栄です、宰相閣下。ですが、貴方の構築したシステムには、極めて巨大で意図的な不備(エラー)が存在します。国民の命を隠れ蓑にした、不当な利益の還流という不備が」


『不備ではない。それは国という巨大な獣を飼い慣らすために意図的に組み込んだ合理的な設計だ。……君は、既存の帳簿の読み方は知っているようだが、新しい法律を作る側の論理をまだ理解していない』


 通信越しに対峙する、二人の理性の怪物。感情を交えない、純粋な論理と論理の静かな衝突が、飛行船の甲板の温度を数度下げたように感じさせた。


『待っているよ、エマ・ルミナス。君のその真っ白な計算式が、私が法として定めた絶対的なシステムの前で、いつまでその形を保てるか……楽しみにさせてもらおう。次なる実地監査(アセスメント)の報告を、心待ちにしているよ』


 通信は、今度こそ完全に切断された。

 エマは真鍮の万年筆を握り直し、王都の空高くそびえ立つ、巨大なギルド本部とその背後にある王宮を見上げた。


「……驚異的な処理速度と、一切の感情を持たない損切り。アレクサンダーがただの末端の歯車に過ぎなかった理由が、よく分かりました」


 エマの灰青色の瞳に、かつてないほど冷たく、鋭い光が宿る。


「ヴォルフ。地上へ降ります。……この巨大な不備の正確な被害総額を、アリアの帳簿と突き合わせて確定させましょう。すべての真実を、報告書として国民に提出するために」


■査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


【損切り(不備資産の破棄)

損失が拡大する前に、対象を強制的に切り捨てる決済。宰相ギルフォードにとって勇者は英雄ではなく、維持費が利益を上回った瞬間に廃棄される原価(コスト)の一部に過ぎませんでした。



【システム構築者とルール】

これまでの相手はルールの中で不正を働く者たちでしたが、次に実地監査(アセスメント)する対象は、システムと法律そのものを設計し、合法的かつ不可視に利益を吸い上げる構造を作り上げた人物です。


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