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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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第64話: 4 パーセントの免罪符と、証拠隠滅を阻む番犬

王都の特設広場は、不気味なほどの静寂に包まれていた。


数万の群衆が息を呑んで上空を見上げる中、漆黒の飛行船の甲板から、エマ・ルミナスの冷徹な声が拡声器(かくせいき)を通じて降り注ぐ。


『アヴァロン英雄慈愛財団が国民から集めた年間総予算、2,000,000ゴールド。……カトリーヌ広報官。貴女が血の涙を流して守ろうとした「孤児院の運営費」と「末端神官の給与」の合計は、そのうちのいくらですか?』


泥だらけのドレスで石畳に這いつくばるカトリーヌは、ビクンと肩を震わせた。彼女は血走った目で上空の飛行船を睨み返し、罪人としての汚辱の中に、せめてもの誇りを滲ませて叫ぶ。


「錯覚ですって……!? 私をただの強盗と一緒にしないで! 帳簿の裏で機密費の帳尻を合わせ、残ったすべてのカネを、私は1ゴールドの狂いもなく孤児たちへ送金しているわ! あの子たちのパンと毛布の代金だけは、絶対に守り抜いてきたのよ!」


彼女にとって、それこそが唯一の免罪符だった。

 英雄の嘘を隠蔽し、民衆から不当に税を搾り取ろうとも、自分だけは500人の孤児を救う「盾」であるという自負。それがあったからこそ、彼女は神殿の深い闇を直視せずに今日まで正気を保ってこられたのだ。


『……いいえ。貴女が承認した送金ルートには、見えない《《上位階層へのバイパス》》が組み込まれています』


エマの無機質な宣告が、広場の熱を急速に奪っていく。


『貴女が命懸けで集めた2,000,000ゴールドのうち、実に92パーセントにあたる1,840,000ゴールドは、貴女の決済印を通過した直後、神殿上層部を通じて名もなき巨大な口座へと自動的に吸い上げられている。孤児院に届いていたのは、残りのたった8パーセント……ただの端数に過ぎません』


「……は? な、何を……でたらめを……ッ! 嘘よ、私のこの手で、毎月確かにあの子たちへの送金手続きを……ッ!」


『貴女が押していたのは送金印ではなく、上位口座への吸い上げを許可する承認印です。貴女は帳簿の表面しか見せられていなかった』


エマの言葉は、氷の刃となってカトリーヌの免罪符を無残に切り裂いた。


『貴女がどれほど孤児を愛し、罪悪感に苛まれながら泥を被ろうとも。……貴女自身が、見えざる黒幕の巨大な算盤の上で踊らされていた、ただの哀れな集金装置(歯車)に過ぎなかったということです』


その冷酷な宣告が響き渡った瞬間。

 カトリーヌの顔から、一切の表情が削ぎ落とされた。

 自分の犯した大罪が、孤児のためですらなく、顔も知らない絶対権力者の財布を肥やすためだけのものだった。自分が命懸けで守っていたつもりだった500人の命すら、ただ「同情を誘って防衛税を集めるための人質ダミー」として上に利用されていたに過ぎないのだ。


その「完璧な絶望の数字」を突きつけられた彼女は、糸が切れた操り人形のように、冷たい石畳へと力なく崩れ落ちた。もはや反論する気力すら、己の罪を正当化する怒りすら、彼女の魂には1ミリグラムも残っていなかった。


「チィッ……! おい、お前ら! 何をぼーっと突っ立っている!」


 アレクサンダーは、背後に控えていた自身のパーティメンバー――魔法使いの男と、神官服を着た僧侶に向けて怒鳴り散らした。


「早くそのふざけた紙切れを全部燃やせ! そして広場に幻術をかけろ! 魔族の精神攻撃だと群衆を錯乱させるんだ! 早くしろッ!」


「は、はいッ!」


 焦燥に駆られた魔法使いと僧侶が進み出る。彼らもまた、この甘い汁を啜り続けてきた共犯者だ。

 2人は血相を変え、広場全域に散ラばった書類を一瞬で灰にするための、大規模な『炎熱の呪文』と『幻惑の祈り』の詠唱を同時に開始した。


 だが。

 彼らの口から、最初の呪文の(ふし)が紡がれようとした、その瞬間。


「――うるせえよ」


 いつの間に地上へ降り立っていたのか。

 上空の飛行船から射出された細い降下用鋼線を伝い、紙の吹雪に紛れて地上へ潜入していた黒いコートの大男――ヴォルフが、逃げ惑う群衆の波を静かに割って、彼らの背後に音もなく立ち塞がっていた。


「ひぃッ!?」

「な、なんだ貴様は――!」


 魔法使いと僧侶が振り返るよりも早く。

 ジャキン、と。重く冷たい金属音が響いた。


 ヴォルフは背中の漆黒の大剣を引き抜き、その分厚い刃の腹を、詠唱を始めようとしていた魔法使いの鼻先へピタリと突きつけていた。

 大剣から放たれる圧倒的な死の気配。それは、温室育ちの彼らが今まで戦ってきた演出用の魔獣とは次元の違う、本物の奈落の暴力だった。


「お嬢様の書類が焦げたら、《《廃棄費用》》がかさむんでね」


 ヴォルフは極めて低く、酷薄な声で言い放つ。


「大人しく口を閉じろ。……舌を噛み切りたくなきゃな」


「ヒッ……! ぁ……」


 鼻先に突きつけられた物理的な死の恐怖に、魔法使いの男は腰を抜かし、詠唱は完全に中断した。

 炎で証拠を焼き払うという物理的な逃げ道を、たった1振りの剣の威圧だけで完璧に塞がれたのだ。


「ば、馬鹿な……我々アヴァロンの魔法を、力尽くで止める気か!?」


 物理的な証拠隠滅を封じられた僧侶は、震える足で後ずさりながら、苦し紛れに最後の盾――すなわち「教会の権威」にすがりつくように絶叫した。


「騙されるな、愚かな民衆よ! その紙切れこそが悪魔の偽造だ! 我々の神聖なる教会の公式帳簿だけが、唯一の真実なのだからッ!」


■査定員エマの業務日誌:用語解説


【4%の免罪符】

予算の大部分を横領しながら、極小の一部を慈善事業に充てることで組織を正当化する極めて悪質な手口。カトリーヌはこの善意を信じていましたが、経営的には批判をかわすための安価な宣伝費用(コスト)として消費されていたに過ぎません。


【証拠隠滅の阻止】

不備を突かれた組織は、決まって証拠の物理的な焼却処分を試みます。魔法による広域焼却は、ヴォルフの物理的威圧によって完全に封殺されました。これは資産価値を守るための、最も費用対効果に優れた防衛策です。


実地監査(アセスメント)の貫徹】

現場での証拠を確定させることは、監査における最も重要なプロセスです。ヴォルフの介入により、勇者たちの致命的な不備(エラー)を証明する書類の保全が完了しました。


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