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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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第63話:生活の盾と、泥に塗れた必要悪

 空から降り注ぐ何十万枚もの『紙の雪』が、王都の大聖誕祭(だいせいたんさい)を完全な恐慌状態へと陥れていた。


「嘘だろ……。俺が毎月、飯代を削って納めていた防衛税が、全部この『西区の高級娼館貸し切り代』に消えてたっていうのか……?」


「ワイバーンの仕入れ値、3,000ゴールドだってよ! なあ、俺たちの寄付金はどこへ行ったんだよ!」


 市民たちの手に握られた紙切れは、いかなる魔法の光よりも残酷に「英雄の真実」を照らし出していた。

 彼らが縋っていた平和の象徴は、闇業者から安物の魔獣を買い叩き、巨額の利益を中抜きする、極めて悪質な自作自演の詐欺集団だったのだ。


「ち、違う! 騙されるな、それは魔族が作った偽造文書だ!」


 広場の中央で、勇者アレクサンダーが顔を真っ赤にして叫ぶが、その声は怒れる群衆のざわめきにかき消されていく。

 彼がどれほど聖剣を振りかざそうと、市民たちが「英雄を見る目」から「泥棒を見る目」へと反転していく物理的な温度低下を、止めることはできなかった。


「やめて! その紙を読まないで! 破り捨てなさいッ!」


 パニックに陥る広場の中、絹のドレスを振り乱して群衆の足元を這い回る1人の女性がいた。

 神殿広報官(こうほうかん)、カトリーヌ。


 普段は完璧な微笑みで勇者の奇跡を宣伝する彼女の顔には、極度の疲労と絶望が張り付き、泥に塗れた指先で必死に領収書の束を掻き集めていた。


「お願いだから、その数字を信じないで! 英雄という看板を失えば、この王都はどうなると思っているのッ!」


 カトリーヌは、上空に浮かぶ漆黒の飛行船――エマ・ルミナスを見上げるように絶叫した。

 その声には、単なる悪党の開き直りとは違う、血を吐くような悲痛な響きが混じっていた。


「英雄を維持するのに、どれほどの金がかかると思っているの! 聖剣の維持管理費だけで毎月50,000ゴールド! 貴族たちから支援を引き出すための交際費、見栄えの良い魔法の演出……! 私だって、好きで帳簿を誤魔化してきたわけじゃないわ!」


 カトリーヌは泥だらけの領収書を胸に抱きしめ、涙声で訴え続ける。


「でも、この『平和の偶像』を維持できなければ、神殿が運営する西区の孤児院はどうなるの!? 500人の身寄りのない子供たちや、末端で祈り続ける神官たちは、明日食べるパンすら買えなくなるのよ!」


 その悲鳴に、激昂していた市民たちの動きがピタリと止まった。


 孤児院。明日のパン。500人の子供の命。

 カトリーヌの言葉は、この巨大な嘘の仕組みを回し続けなければ、何の罪もない弱者たちが路頭に迷うという、生々しい《《生活の盾》》だった。


「……私も、田舎の家族に仕送りをするために、毎日胃に穴が空く思いでこの帳簿の辻褄を合わせてきたのよ! それでも、孤児院の子供たちが笑ってくれるならって、そう信じて泥水をすすってきたのよ!」


 カトリーヌは狂乱したように群衆を睨みつけた。


「多少の裏金がなんだっていうの! 英雄の嘘がなんだっていうの! この嘘で何千人もの人間が生活できているなら、それは《《必要悪》》じゃない! 綺麗な理想だけで、子供の腹が膨れるとでも思っているのッ!?」


 彼女もまた、この狂った仕組みの中の実務責任者に過ぎない。

 家族を養い、孤児院の予算を確保するために、自らの手を汚して「英雄の粉飾」を支え続けてきたのだ。その涙ながらの訴えは、感情という名の強烈な要因となって、広場の空気を揺るがせた。


「そ、そうだ……勇者様がいなくなったら、西区の孤児たちはどうなるんだ……?」


「うちの妹も、神殿の炊き出しで命を救われたんだ。あの金が嘘で集めたものだったとしても……」


「でも、明日から孤児院が閉鎖されたら、あの子供たちは路地裏で死ぬんだぞ!」


 正義の告発が、一転して「弱者の命を脅かす暴力」へとすり替わる瞬間。

 広場を支配していた怒りが倫理的な迷いへと変わり、数万の群衆の視線が、非難めいた色を帯びて上空のエマへと向けられた。


 群衆の動揺を察知した勇者アレクサンダーが、醜く顔を歪めて同調する。


「その通りだ! カトリーヌの言う通りだ! 俺たちはな、お前ら愚民が平和に眠れるように、あえて泥を被ってやっているんだ! 英雄がいなくなれば、お前らの生活も崩壊するんだぞ!」


 広場の空気が完全にアヴァロン側へと傾きかけた。

 孤児たちの命を人質に取られた以上、これ以上の追及は「血も涙もない冷酷な所業」として、市民たちの反発を招くのは火を見るより明らかだった。


 だが。

 キィィィン、と。


 上空の拡声器から、一切の感情を排した無機質な音が響き渡った。


『―― 1ゴールドの不純物を、必要悪などという曖昧な言葉で正当化しないでください』


 群衆の迷いも、勇者の開き直りも、カトリーヌの血を吐くような自己犠牲も。

 エマ・ルミナスは飛行船の甲板から、そのすべてを「不要な雑音」として冷徹に見下ろしていた。


『カトリーヌ広報官。貴女の主張は、典型的な、配当を偽装した自転車操業の詐欺です。500人の孤児を養うために、貴女たちは 50,000人の市民から防衛税を不当に搾取し、経済を停滞させている。貴女たちの仕組みは、 1人の孤児を救う裏で、新たな10人の孤児を生み出す最悪の貧困再生産装置です』


「ち、違う! 私たちはただ、この国を回すために――――清らかな祈りだけじゃ、腹を空かせた孤児たちは救えないのよ! 私たちが泥を被ってでも資金を集めなければ、あの子たちは冬を越せずに死んでいた! これは命を繋ぐための、血の滲むような努力なのよ!」


『それに、貴女たちが守ろうとした生活の元手は、強制的に搾取された市民の命そのものです。王宮地下の魔導炉から引き抜かれた、市民の寿命という名の簿外資産(ぼがいしさん)。他者の命を燃やして得た利得を生活と呼ぶなら、それは単なる強盗に過ぎません』


 エマの声には、微塵の揺らぎもなかった。

 相手がどれほど涙を流そうと、どれほど弱者を盾にしようと、彼女の『魔導式解析眼(トレース・アイ)』に映る数字は絶対に嘘をつかない。


『そして何より……』


 エマは銀縁眼鏡を中指で押し上げ、絶対零度の声で宣告した。


『貴女のその自己犠牲の計算式は、根本から破綻しています』


「な、何を……」


『貴女が血の涙を流して守ろうとした「孤児院の運営費」。……それが本当に、この巨大な横領資金の中から正しく割り当てられていると、本気で信じているのですか?』


 カトリーヌの肩が、ビクンと大きく跳ねた。

 エマは手元の分厚い書類の束を、パラリとめくる。


『アヴァロン英雄慈愛財団が国民から集めた年間総予算、2,000,000ゴールド。……貴女が必死に隠してきたその帳簿の「真の内訳」を、今ここで開示します。これこそが、貴女たちが支払うべき対価(コスト)の正体です』


■査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


【生活の盾(必要悪のすり替え)】

 「これを暴けば孤児院が路頭に迷う」という、悪党が好んで使う心理的防壁です。自らの横領から目を逸らさせるため、意図的に「社会的弱者」を人質に取る卑劣な手口。感情は論理的な監査(アセスメント)を妨げますが、数字の真実は情では動きません。


【神殿広報官カトリーヌ】

 勇者パーティーの裏側を回し続けてきた実務責任者。彼女の自己犠牲は本物ですが、間違った数式にどれほど労力を注いでも、正しい答えは導き出せません。彼女の献身もまた、組織を維持するための安価な宣伝費用(コスト)として消費されていました。


【自転車操業の詐欺】

 新たな税収を利益と偽り、配当(孤児院への寄付等)に回す手法。拡大するほど負債が膨らみ、必ず破綻します。カトリーヌはこれを必要悪と信じていましたが、財務の観点から見れば致命的な不備(エラー)を含む時限爆弾に過ぎません。


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